実家から路地を迷い辿って帰る。
全心身痛で、ひどい状況。つい鎮痛剤を倍掛けで酒で流し込む。男気のある渋谷陽一さんが「鎮痛剤は決して飲まない主義」と言い切れた強さは、じぶんにはみじんも無い。
手近にあった1982年のロバート・フリップ&アンディ・サマーズ作品「心象風景」を掛け、全身をマッサージしつつ頭を抱えていた。
■Andy Summers & Robert Fripp 「ぶらんこの少女(Girl On A Swing)」■
当時の評論家には、ペンギン・カフェ・オーケストラの影響がモロ出た曲と言われた。
なぜ?こんな全心身痛なのかを考えれば、昨日横になりすぎたせいもあろうが、ゴミ屋敷に積み上げられた歴史を巡る本をめくりつつ・チャンネル桜の議論を聴きつつ・三ノ輪で戦下を過ごしたお袋さんから聴いてきた当時の話・亜細亜戦地におもむいていったおじさんを国旗を振って送り出す三ノ輪のモノクロームの写真・東南アジアで撮影したおじさんのたずさえた日本刀、仲間との写真、そして、そのおじさんが亡くなった際に遺品整理の中から引き受けた写真の中で、むごい写真を破り捨てたシーンが、ぐるぐると昨日の1日、脳の中で駆け巡っていたせいである。
ほとんど勉強に疎かったじぶんが、少しずつ「強制」では無い形で、子供時代から読んできた本を振り返りながらも、そこには一切記載されていない「事実」をハタチ以降追い求めてきたが、それらから芋づる式に次第に分かっていく、今に至る道。
それぞれ書いた方々は、必死に「事実」検証を重ねてきた。それらは断片であるから、それらをじぶんの中で咀嚼しながら、組み合わせながら。
しかし、それすらも水面下、というか、暗い闇の中での真実のシナリオにはたどり着けない。腑に落ちない。
真実に近づこうとする、数少ないまっとうな人の本を、もっともっと読まねばならないと思った昨日だった。
「なぜじぶんが、何の因果か不明なまま、この世に放り出されたのか?」に近づくのは、むしろ文学・哲学という水の流れに教わるべきだが、それとは別の川がじぶんの中には若い途中から流れ出した。それを自己制御しつつも、止めるじぶんの手からポトポトと水が落ちていく。
「この日本と呼ばれる国は、どのようにして今に至ったのか?じぶんが通り過ごしてきた・組み込まれたシステムとは何だったのか?」
今の日本の有り様に、疑問符だらけの中、今まで語られてきた歴史なるものすら大いなるウソが含まれているのは分かりつつも、では何が「真実のシナリオ」なのか?
産まれたからには「it makes me woder」の状態で、居心地が良い訳はない。
周りは「傾倒しすぎ」と良くいうが「カネ儲けだけの野蛮なる世界で過ごして死んで、お前は構わないのか?」と思う。
■「大東亜戦争は終わっていない」(チャンネル桜・2012年8月11日)■