
2015年4月21日 火曜日
ようようと眠れぬで明け方、4時台空が明るくなり出す。眠りに堕ちる。
この休みに、小林弘幸先生の自律神経に関する話しを聴きながら、文京・本郷あたり。びっこを引きづりながら、裏通りにシャッターを切っていたというのに。いくら脳で分かったつもりでも肉体言語にならねば、何の意味もない。
朝はすぐやってきてしまう。
眼痛苦しい中、起きると付けっぱなしのPC画面で誰かが講義をしている。
アラームで気付きつつ、横からタテになるには時間を要する。
やっと起きて、お茶とパン。カラスの行水で湯に浸かり、外に出る。初あじさい。
電車は今日も遅れている。車中、グローバル・コミュニケーション「76:14」。

ひたすらもんもんと一日、数字の羅列と格闘。
友は、流れるラジオと音楽とコーヒーと。
夜になり気付くとウトウト。意識がもうろうとしてきたのでやめる。
仕事でも何でもやっているうちに、主目的などどっか行ってしまって、作業に夢中になっていることがある。何をしようとしているのか?テクニックに走っていないか?一歩の引きと自己点検と。
仕事場を出ると、温度は下がり、冷ややかな温度の風と外気がカラダに当たって心地良い。
偶然おなじ時間だったKさんと途中までお話しをして別れた。
私は散歩がてら遠回りして夜の街を歩く。
もう散ってしまったけれども、そんな桜の杜の下を通ると、なんと良い香り。
桜の葉っぱの香りは、桜餅を思い出し、アンコたっぷりのお餅を食べたくなる。
帰路の電車は比較的すいていて、途中座る。ひどい頭痛と首・肩の痛み。
帰ると、激しい腹痛・胃痛。

それらの苦しさから、「76:14」に身をゆだねていたが、少し調子戻ると、がさごそCDの渦をかきわけ整理し出す。そうだ、と思いついて、フィーメルヴォーカルCDを一ヶ所に固める簡易整理。
区分など今さらどうでもよいけれど、女性ヴォーカル、とくくってしまえばまとめやすいことに気が付く。
音楽と容姿は一致しなくてよいのだろうが、例えば強いスポーツ選手が可愛かったり・綺麗だったりすれば。。。という妄想を抱くのは、いかにも大衆的だが、音楽にもそんな要素はゼロではない。
大竹伸朗さんも好きな青江三奈が素晴らしいのは、そのヴォーカルのみではなく・妖しい雰囲気と空気感にある。特異な音を発する人には、それに値する魅力が、佇まいや容姿になって漂っている。
そう言いながら、がさごそとCDを積み上げていくと、かなりなキワモノまでがあり、これまたまったく。。。という次第。
日本人で言えば、今井美樹さんや竹内まりやさんなどはまだしも、ウィンク、河合その子、高岡早紀、深田恭子、(ハウスミックスの)山本リンダ、杉本彩、なんてものまである。
それはそれで、私の中では音楽的にも意味があるのだが。
洋盤では、コアーズやスワンダイブ、シナモンなど90年代以降出会ったバンドも、やはりフィーメルヴォーカルとしての魅力が強くて、これらのかたまりに入れてしまうと、何ともすっきりする。
聴いているうち、少し頭痛はやらわぐ。その日一番欲しい音を聴いて、好きなことをして過ごすことが何より。
■ナタリー・インブルーリア 「トーン」1997■
毎日毎日インターFMを楽しみにしていた98年に出会った切なくも美しい一曲。
今日のお昼間、12時ちょうどのインターFMからこの曲が流れた。たまらない想いの充満。


