こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年4月22日 水曜日 -プロパガンダ/クラウディア・ブルッケンへの備忘録-

2015-04-22 23:17:26 | 音楽帳

朝のラジオ天気予報。今日は快晴、すがすがしい天気の一日になるでしょう。
たしかに風がさわやかな朝だった。

ところが夕方、雨が降り出した。春の天気は不安定。

「睡眠導入剤を断って数か月。しかし不眠は直らず、眠れぬ日々が続き・肌も脳もイカれ出す。
0か100という判断は馬鹿らしい。定期自主健診で、眠剤の再開を主治医と話し、クスリを出して貰った。

病院のロビー。壁に貼りついた巨大スクリーン、NHKテレビが映る。その前を人々が行き交う。
順番を待って、ふかふかのイスに座ってぼうっとする。

クスリの番号を待ちながら音声なしのテレビ画面を見ている。
女に硫酸掛けた者逮捕、パターン化された報道形式、リアリティのいちじるしい欠落。

患者さんの行き交う視界に異物。
クラウディア・ブルッケンそっくりの女。生きる性器そのものの20代とおぼしき情婦の姿。足の根本まで明らかに見える白の超ミニに、黒いストッキング。
場に不必要なまでのあでやかな衣服、腰をグラインドさせながら病院ロビーを歩いている。

テレビ画面を見ている低い位置の自分に、立った上からの目線。
挑発と侮蔑がいりまじった冷酷な視線を、しっかりと私に向け、見下す。(2015/4/7memo)」




トレヴァー・ホーンがプロデュースしたZTT作品において、アート・オブ・ノイズと共に、プロパガンダをよく聴いた。(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドもあるが、メディア戦略の面ばかりが目立ち・音としてのクオリティを当時は認めていなかった。)

ユニット=プロパガンダには2人の女性が居る。この片方であるクラウディア・ブルッケンにはかなり奇異な印象を抱いた。彼女のふるまい・表情は、時に被害妄想的であり、精神の病に包まれた者が恐怖におびえ発狂不安をおびえるように見えた。
それは、異なる文化圏の人の表情への表出のさせ方なのか?
笑ったときは狂気か?正気か?
あいまいで理解出来ないものがあって、むずむずした。わけの分からなさに魅かれていた。

クラウディア・ブルッケンの顔立ちは、いかにも異邦人。
美人ではないのだが、不思議な造形をしており、アーチストらしい風貌。自分がバンド「プロパガンダ」と密接な頃、髪を逆立てたり、化粧と服装で七変化するクラウディアを見ていた。「デュエル」(そして「Pマシーナリー」)のクラウディアは美しかった。

高く大きな鼻筋は、男性なら巨根が・・・と、よく言われるような具合。
昔から好きになってしまう女の子になぜそそられるのか?と自己検証をすると、どの子も鼻が高く筋が通っている。
好きになる女性全員がそういうわけではないが、必ずと言っていいくらいそういう女性を目ざとく発見しては好きになってしまう。深層心理を分析すれば、要因は出てくるだろう。

クラウディアはとろんとした目が正気と狂気の合い間の不気味さを湛えており、くちびるはポテッと厚い。
声は、風邪でも引いているかのような鼻かかっており、こもった男性的声をしている。そのヴォーカルはニューウェイヴサウンドによく似合っており、「フローズン・フェイセズ」で“ハハハ”と笑いながらドイツ語でのラップ(というかおしゃべり)は、加工ソフトで歪んでいるが、妙になまめかしい。そう、彼女の存在自体が妙にぬめぬめしてなまめかしいのだ。

それら全体をくくったイメージから、私の中では”きっとクラウディア・ブルッケンはセクシャルなものが大好きなんだろうな“という確信があった。だからと言って、そんな程度のことは彼女のみではなくて、大味のガイジン女なら普通なレベル・・・、そういう偏見もあった。

実はニューハーフだった、と告白されてもおかしくはない大きなカラダと性別を越えた顔つき、性の匂いを強く感じさせる雰囲気。長い時間を掛けて集めたレコード・CD類では、いろんな表情のクラウディア・ブルッケンに出会える。音も好きだが、プロパガンダのレコードの楽しみの主は、彼女のポートレート写真にある。

プロパガンダとの初めての出会いは、12インチシングル「ドクター・マブゼ」。
深夜3時のFM番組「FMトランスミッション/バリケード」第一回目で聴き、その後、かなりのタームを置いて、ピーター・バラカンさんの深夜番組「ポッパーズMTV」でそのプロモーションビデオを見た。そういった流れだったように思う。

■プロパガンダ 「デュエル」1985■

■プロパガンダ 「Pマシーナリー」1985■




コメント (2)
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