こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年4月23日 木曜日 -身辺雑感/ヘヴン17への備忘録-

2015-04-24 00:10:30 | 音楽帳

日曜うろうろしていると、水道橋の交差点に辿り付いた。
ここに40年近く前にも居たなんて、思いもしない。

まったく時が経ったこともわからぬまま、そんな気は今でも持てない。
昨日クラウディア・ブルッケンの「今」が気になって、ネットという道具で調べると老いた表情に驚き、いけないものを見てしまって、すぐに素早くクリックして、そのページを閉じた。

シーナ、キンキンや萩原流行さんまでもが消えていく日に今居て、死への恐怖が迫りながらも、どうして・・・とつぶやかざるをえない。今朝、流行(ながれ)さんの文字をネットニュースで見た時は、我が身でも驚くような、さぁっとする血の気の引き方をした。
彼の特別なファンではないとしても、”いつも、そこにいる人”が消えてしまうことに心身は反応した。

”ピーターパン症候群”などというコトバが一時「はやった」ことがあった。
たぶんそういうときならば、自分は指差されるだろう。(実際は、そうはならなかったが)
どういう時代にも「適当な物言い」が現われ、それに感染する大衆が居るが、どういう時代でもたいてい私は指差される側にいる。
要は中身はなくて、指差す側と差される側がいるだけじゃないのか?

山下達郎さんの作品に「僕の中の少年」なるものがあるが、私もそういう少年が未だ心底にある。
底というより表面に近いところまで。

現代の心理学は占いと同一線上に在って分析・分類が大好きだが、単純に言えば大人っぽい様を昼間日常演じている者は、その内側に子供の情動を宿している。
絶望。と言いながら、実は子供っぽい夢と希望が内側にまだ在って、それが音楽や物語や絵や女性や動植物への視線に投影されている。
それはよく解かっている。

実は、3月下旬からカラダじゅうがかゆいのが始まっていた。
今夜もかきまくっていて、手足から血がにじんでいる。

過去何度もこういった湿疹・じんましんになる時期があり、2011年には紫色になるようなこともあったが、理由はわからないまま治癒した。今回もよくわからない。

今日は25℃まで気温が上昇し、帰った部屋も深夜と言うのに23℃を指している。
気候が影響している面はあるだろう。

今日の帰り道、イヤホンでヘヴン17を聴いていた。やはり相変わらずカッコイイ。
単に踊るためではない類の”ハウスミュージック以降”が現れた80年代→90年代の変化に、私はクラフトワークとヴィサージが影響していると聴こえていたが、ヘヴン17もその一つである。
ホワイトファンクと言われたヘヴン17は、音楽実験の中から稀有な音を産み出したと思っている。

1991年大阪で出会ったハウスのコンピレーションCDに新旧の音楽がミックスされていたが、その一曲に彼らの「ペントハウス&ペイヴメント」があリ、何の違和感も無く、その頃異国で彼らの音を再発見した。彼らが見い出した領域の音は、もっと評価されていいと思う。

身辺雑感、とは”パクリ”である。もとはゲーテの翻訳本の一節。
この冬、神保町の古本屋さんで発見したもの。
昨日今日パラパラめくっている。突き付けられる言葉も多い。

『あせることは何の役にも立たない。
後悔はなおさら役に立たない。
前者はあやまちを増し、
後者は新しい後悔を作る。』(「格言的」から)  

『私たちが読んだ善い思想、私たちが聞いた顕著なことを、私たちは日記に書きつける。
しかし同時に、友達の手紙から独特な言説、独自な見解、ちょっとした才気あることばなどを書きつける骨折りをしたならば、私たちは非常に豊富になるだろうに。

人は手紙を片づけて二度と読まない。
人は慎重さから最後に手紙を破棄する。

こうして最も美しい最も直接な生命の息ぶきが自他にとって取りもどしようもなく消えて行く。
私はこの怠慢を償おうと企てる。』(「親和力」より)


*今夜の一曲*
ヘヴン17のファンク色強い曲は外では聴けるものの、疲れを取ろうとする夜にその類の音は向かない。
彼らのメロディアスな面が強い「ラグジュアリー・ギャップ」に入ったこの曲を、今夜は。

■ヘヴン17 「レット・ミー・ゴー」1982■

「あのころのぼくたちは いつもいっしょに
果てしなく続く道を歩いていた
それが今では 卑俗な苦悩にさいなまれ
ぼくたちの魂は牢獄の中でこごえている

かつては最先端を行っていたぼくたちが
今やそんな考えも失せた

ぼくを自由にしてくれ
数々の絶望的な幻想がぼくを笑い者にする
ぼくを解放してくれ
これきり別れるにしても さよならは言わない

ぼくを自由にしてくれ
キミが心変わりしたあの夜
天は地に落ちた
ぼくを解放してくれ

いくら骨を折ってみても
どこかうまくいかずに
必死に努力しては考え込むぼくだった

死ぬほどの苦しみを何度味わったことか
無実の罪を言い渡されたぼくに
あらゆるものがカミナリのように覆いかかる

ぼくが望むものは夜だけだ
昼間などいらない
ぼくが望むものは夜だけだ
昼間などいらない

人生最良の日々を
ぼくたちが取り戻す望みはまだある
人生の現実が語られることはないけれど

これは町唯一のゲーム
ぼくは最後のカードを伏せるだろう
そして 親を負かす

ぼくは無実の罪を言い渡された
あれはぼくたちの人生最良の日々
ぼくは最後のカードを伏せる」  (訳 : 内田久美子)

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