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13日土曜日、さいたまスーパーアリーナへ、マドンナのライヴを見に行く。
昨年12月のキング・クリムゾンに続いて、ただただ言葉もなく圧倒された。
クリムゾンは他に類をみない演奏力のすばらしさだったが、マドンナはライヴ全体が1本の迫力ある舞台だった。彼女がテーマの1つとするセックス/エロティシズムをダンス・映像・音に絡めながら進む2時間。ダンス・映像・音どれを切り取ってもすばらしいもの。CDでは味わえない目の前で繰り広げられる力。
舞台正面からからまっすぐせり出した細長いステージを、ダンサーたちと行きかうマドンナ。そのステージ形状は、ペニスと2個のボールのデザイン。その真ん中あたりは十字架を模し、先端の亀頭がハート型心臓部になっている。
「マテリアル・ガール」等初期作品から最新作「レベル・ハート」収録曲まで全作品からピックアップされた楽曲は、すべて新たなアレンジでリメイクされ、まったく違った新鮮な印象を覚えた。
ライヴでもアルバムでも“中だるみ“といったことがあるが、そんな言葉はマドンナには無い。一曲一曲、目の前でカラフルに変化していくビジュアルと音には、退屈感はみじんもない。
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(クリムゾンにも感じたが)そうそう見ることのできない稀有なコンサートに15,000円は安すぎるくらいだった。ラジオで「5万円の席を買収して25万円で売っている者どもが居た」と言っていたが、連中の金儲け意図とは別に、それくらい価値のあるステージ。
「スター」と呼ばれる人にどれだけ本当の価値があるだろうか?
そんな疑問がよく湧く。
だが、今のマドンナには正真正銘その価値がある。(彼女がスターとよばれたいかどうかは分からないけれど)それが明快にわかる素晴らしいライヴだった。
マドンナは、もう他の追随を許さない存在として、まったく別の次元に突入している。
偶然か?意図されたものかは不明だが、ライヴ直前・直後の会場にマイケル・ジャクソンの曲が流れた。彼が亡くなった当時、痛々しさばかりで同調できなかったじぶんだが、今になって彼の存在の欠落は大きい事実を、この日思った。
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マリリン・モンローのように、見せてなんぼの世界でナンバー1(=セックスシンボル)になる。それを目指し、疑似アイドルを演じるところからスタートしたマドンナ。
そんな彼女の本筋たるセクシャルな楽曲も良いが、個人的には作品「トゥルー・ブルー」が忘れられない。
このアルバムで初めて彼女を三流アイドル以上のアーチストとして意識した。たぶんそれは彼女にとってもそうなんだろう。今でも、ここに入った楽曲とそこに漂うマドンナの可愛さが好きだ。
このツアーライヴでは、赤いギター抱えて歌ったタイトル曲「トゥルー・ブルー」。
スパニッシュなメロディーが美しい「ラ・イスラ・ボニータ」フラメンコを踊るマドンナ。。。それらが唐突に始まるシーンには、得も言われないなつかしさがあった。
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■Madonna 「Living For Love」2015■
ボウイの不在後、マドンナのライヴから新たなチカラをもらった夜だった。
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