【佐代子ちゃん】
上司であり同僚のSさんと、今週も案件が『片付かぬ』落胆を鉛のような重い身体に漂わせつつ2人で歩き、駅で別れる。
『0:12 北千住行』の電光掲示板。。。。。。
今夜も正規ルートでの終電が無い。
しかし、ひとまず休戦だ。
労働で死んでも、誰も何も思わない。
ただ自分が死ぬだけのこと。
『葬式』という一大イベントの会場には、当の本人が参加出来ない不思議。
そんなイベントなんか自分には要らない。
電通とヤクザが美空ひばりの葬式を仕切ったが如く、糸井重里曰くの『世の中、ぜ~んぶコピーなのだ。』
そうだ。
これも遺書に書かねば。
***
0:30南千住着。
荒涼たる夜のしじま。
【私が幼少の頃から続く、山谷ドヤ街の人々が泊まる簡易ホテル】
【野ざらしの地で、眠る人】
そこを歩き、放射能の風を感じながら、1:10帰宅。
みんなが玄関で「おでむかえ」をしてくれる。
今夜は、ビールを呑みながら、1人で「ラジオ深夜便」の如く、独りDJをしつつ更新していきたい。
***
うちは、汚い。
はっきり言って、ゴミ屋敷である。
レコード、CD、本、絵、ヴィデオ・・・・雑多なものの巣窟であり、遭難したモノに出会うには時間を要する。
今夜、やっとさくりんさんにも紹介出来る「ゼルダ物語」という藤沢映子さんが書いた1988年12月10日の初版本を発見。
【招き猫カゲキ団 佐代子ちゃんと小嶋さちほさん】
ゼルダとの初めての出会いは、1981年から毎月買っていた「ミュージックマガジン」の1982年1月号。
2:30記載:
「ゼルダ物語」には、どんなに80年代初頭のインディーズ・バンドがメジャー・デヴューに際し、困難な圧力が掛かっていたかが詳細に記載されている。
4人のレアな写真もふんだんにのっていて、これも自分の墓に入れて欲しい。
今、思えば、ファースト・アルバムの「月光飛翔(ムーンライト・フライト)」での佐代子ちゃんのヴォーカルは震えながら泣きながら歌っていたのだと、再確認する。
まさに、すさまじい圧力との闘いの末、ゼルダが永遠なる音楽を紡ぎ出してきたかがわかる。
30年越しの恋。。。。
一方的な片思いと、届かぬ・縮まぬ距離感。
それは、YMOも同じだが。
【2007年5月19日にパシフィコ横浜で見たヒューマン・オーディオ・スポンジの最後の曲。
YMO 1981年「BGM」に収録された「CUE」。】
2:40記載:
下記は、ライヴでの「月光飛翔(ムーンライト・フライト)」だが、ファースト・アルバムに収められているスタジオ録音の「月光飛翔(ムーンライト・フライト)」【この曲も、その切実さにおいて、自分の中のセルダに於いては、心に響く名曲である。】では、佐代子ちゃんの叫びのような・嘆きのような声を感じる。
3:00記載:
「・・・1981年秋から進められたレコーディングは、そんな彼女らと、制作者サイドの喰い違いがひんぱんに起こり、再三中断した。
・・・全曲オリジナルでは、いかにもマイナーな曲ぞろいで大衆性に欠けるとして、半分をモモヨの曲にしようとした。
また、彼女らの技術不足を懸念して、他のミュージシャンに演奏の助っ人を頼んだりもした。
・・・17歳だった佐代子。
ファースト・アルバムには、そんな佐代子が涙を懸命にこらえながら、震える声で歌ったヴォーカル・テイクも収められている。
彼女にいわせると、このレコーディングはまるで恐怖政治だったという。」
(藤沢映子さん 「ゼルダ物語」より)
3:30記載:
小嶋さちほさんは、私が毎月買っていた「ミュージック・マガジン」のレコード・レビューも書いていた。
その原稿料は、いわばアルバイトで、スタジオでの練習などの費用に充てられていたことが分かる。
レビューの中に、さちほさんが暮らす部屋の断片やプライベートな匂いを感じて、毎月読むのを楽しみにしていた。
さちほさんと佐代子ちゃんは、お互いを認め合い、強い絆で繋がっていたが、不思議な魅力を持つ佐代子ちゃんに惹かれながらも、さちほさんは佐代子ちゃんのお姉さんのような関係であったのだと思っている、勝手に。
かなり冷静に事に当たっていたさちほさんが、ある意味、自ら様々な厄介ごとの折衝のリーダーになっていたように思う。
4:20追記:
どうしてもビートルズ、というかポール・マッカートニーが天才であった頃の曲が聴きたくなった。
昨年、12月の暮れにも聴いていた名曲「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。
ゼルダとは、全く関係は無い。
しかし、ビートルズもゼルダも私にとってはかけがえの無いものでは同一である。
音楽が目指す渋谷陽一さん曰くの「1つのチューン」。
この世をひっくり返すほどの音楽の力。
夜が明け、白々と。。。
まるで、何も「平成」であるかのような、何事も無いかのような朝へ向けて。
あえて、再度、この曲を、この時・この二度と戻らない時に・聴きたい。
『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』/ポール・マッカートニー
長く曲がりくねった道は 君のもとに向かう道。
決して消えることがない、前も見たことのあるこの道を。
行けば必ず、ここに辿りつく。
君のもとに辿りつく。
荒れた風の強い夜。
雨が洗い流したあの夜は、涙の水溜りを残して去って行った。
昼を求めて泣きながら。
なぜボクをここに佇ませて、去ったのか。
教えてほしい。
どっちに行けばいいのだろう?
何度も何度も独りぼっちになって
何度も何度も泣いたことがある。
そう言っても わかってもらえないだろう。
いろいろやってはみたってことを・・・・。
でもやっぱり、振り出しに引き戻されて。
長く曲がりくねったこの道に来てしまう。
君はボクをここに佇ませたまま、とっくの昔に去って行った。
もうここで待ちぼうけなんてたくさんだ。
君のもとへ行きたいんだ。
君のもとへ・・・・。
***
2010年12月29日、このように自分は記載している。
『内界=「自分」=ボク・と・外界=世界/他者=君。
君のもとへ辿りつきたいけれども、容易ではない困難な道のり。
しかし、ボクが君に辿りつきたい「想い」だけは捨てないし諦めない。』
音楽が、この世の汚れた世界の外側に「在る」。
私は、音楽と共に死んでいく所存である。
音楽と出会えた事が、この世の一番の幸福だったかもしれない。
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5月21日 暗い土曜日
16:30記載:
また夜明けまで起きてしまう。
家の近くを一回りする。
晴れている。
朝日を浴びる。
6:30だというのに、朝から必死にウォーキングやランニングをする者。
犬と散歩する人を見る。
何枚か写真を適当に撮る。
【今年の初あじさい】
スクリーンを閉ざし、睡眠薬を飲み、眠る。
・・・・起きると16:00.
まだ、だるいが、緑茶を煎れて飲む。
タバコを一服。
さくりんさんとも話した「ゼルダ」の存在と時代の関係を記載したいと考えながらも、
昨夜から夜明けのブログは、
「おい、単なるラヴ・レターのようじゃないか」
少々むずったい。
ヒントを探して、そこらに積み上がった本を、何冊かぱらぱらめくってみる。
■多重人格も無理な統合をしない■
「・・・われわれ日本人はハーモニーだと思うてる。
インテグレートはされなくても、ハーモニーがある。
違うんちゃうかと。
日本人には、調和の感覚は美的感覚としてありますわね。
日本人は倫理観という場合、美的感覚がすごく大事になってくるんじゃないか。
向こうは一神教でしょう。
だからやはりインテグレーションといいたいし、どこかに一なるもんがあるんですよ。
一なるものまで統合されていく。
こちらの場合は一なるものがなくて、いろいろあるんだけど、ハーモニーがある。
だから僕はそのハーモニーの感覚を身に付けて生きていく、
これがいいんじゃないかと思っているんですけどね。・・・・・」
(「文藝別冊 河合隼雄 こころの処方箋を求めて」より 2001年4月30日発行)
続いて、写経のように、気になる想念の断片をパソコンでうつしとっていく。
そういう周辺から、ゼルダとは何かへのぼんやりした「CUE」に至れないものかと。
「大事なものは目に見えないと誰かが誰かがいったが、その典型的なものの1つに『思い』というものがある。
そんな目に見えない『思い』の上にある日常には理屈では説明のできないことが必ず、
そして何気なく不思議と起きるものだ。
信じられる音楽家には必ず独特の『思いへの間合い感』のようなものが日常の根底に流れていて、
他人にとってはただ『適当』とか『無神経』としか思えない、
そんな『思い』が曲に余裕を与え、また適当さから生まれるそんな隙間が曲を聞き手の心につながりやすくさせるのではないか。」
(大竹伸朗 「ネオンと絵具箱」より 2006年10月8日 初版発行)
17:45
80年代東京の断面を包含した藤原新也さんの「東京漂流」
私のゼルダとの出会いは、やはりラジオから流れてきた「Ashu-Lah」
働きずくめで白くなる バタバタと粉になる
つくづく鋭い歌詞だと思います。
そのイメージのまま1枚目を聴き、はたと止まること数回…それがリザードの曲でした。
例えば「他人の」曲でもカバーならまったく違っていたであろうくらい、佐代子ちゃんに生気が感じられない。
唇を噛み、涙をこらえた遮断だったのですね…
しかしそれは眠らないよう眠らないよう、正気を保つため自分に課した痛みでもあった。
そして2枚目、3枚目…と素晴らしい楽曲に昇華させ、私たちの元に届けてくれました。
「サラブレッド」は「周りはすべて敵」の当時の自分にぴたり合致する曲でしたが、
今、その意味がより分かる気がします。
いじくられた1枚目にあっても、オリジナルはやはり異彩を放っていますね。
その中でも「Ashu-Lah」「ソナタ815」は、様々なコンピレーションに入っているライヴ?一発録り?バージョンが、よりゼルダらしくて好きな音。
(ベストアルバムもこのバージョンですね。)
「ソナタ815」から「サラブレッド」への、双子のような切り離せない繋がりも、深く暗く堕ちてゆく闇の魔力。
毎晩、風が強いですね。
不気味な、放射能をはらむ風。
平和を買いに行くけど それは高くつく
平和を買いに行くけど それは高くつく
開発地区は いつでも夕暮れ
夜になれば 風が 彼等をふぶく
2011年5月22日の闇をも歌った「開発地区はいつでも夕暮れ」。
やはりゼルダはただものではないですね。
欧米のサブカルチャーに憧れながらも、どこかはっきりと「寄って」いないと落ち着かない日本のサブカルチャー。
ゼルダの魅力であるはずの「一言で語れない」宇宙が、正当な評価を受けない理由のひとつかも…と感じます。
才能を評価されないのは、天才の宿命かもしれませんね。
一言で語れないからこそのライフワーク。
また、お話聴かせてください。
いくつかつらづらと…
●「ラッキー少年のうた」がCMで引用され、それを話題にするヤツに『あれをゼルダの全てだと思われたら困る』とムキになったのは、ボクも同じです(笑)。
ボクは、戸川純はゲルニカから聴いていたので、それはそれでいろいろ想い出あるのですが…。
●さくりんさんのコトバ『強く、しなやかなゼルダ』。
まさに。
●自分の音楽体験は79~86年が濃厚過ぎた。
まさに『あらゆるものを見聴き吸収した』時代。
『裏を返せば多くの拒絶の時期でもありました』
幸せとか不幸というより、日々の時代と密接に関わって、その中に取り込まれていました。
背伸びしてた。
生意気だった。
その分苦しんだり悩んだり、絶望したり…。
●私がゼルダの完成形に近いものを感じた『空色帽子の日』。
それは、曲もそうですが、ギターとドラムが半端無い素晴らしい演奏だった面もあります。
佐代子&さちほ2人のコンビネーションは当然として。
●『フラワー・イヤーズ・オールド』、ボクも大好きです。
『光の中を駆け抜ける子供たち』
『10の自由は通り過ぎ…』
ゼルダの変幻自在さ。
器がデカイ。
●今、自分とリアルタイムの時代との関係は『経済』が媒介の主であって、あの頃とは違う。
ボロ雑巾のように働き、悲劇的状況の中での支えは(決して当時が幸福だった訳ではないのに)80年代という時代と密接に関わった経験値だったりするような気がします。
持続力途切れ、逃避中(+_+)
カフェということもあって、職場にもCDをたくさん持ち込んでいますが
(営業中にかける音楽も、もちろん私の検閲を通ったものに限ります)
戻れなくなりそうなので今日は聴くのはガマン。
「79~86年が濃厚過ぎた」
時代=過去に浸っているだけと言われても結構、
多感な時期に聴いたものだから…と思春期で括られても結構、
しかし、あの時期に、むせるほどの音・音に触れたことが支えになっているのは誰にも曲げようがない。
「経験値」はいくら使っても減らない。
むしろより確かに、光を放ち、還ることを許してくれる。
そしてそれはいつも、微笑んでいる。
「遊糸飛行」のエンディングが浮かびます。
「Tomorrow Never Knows」にも匹敵する、私の緊張→安堵の瞬間です。
「背伸びしてた」「生意気だった」
はい、私は今もちっさくて青いです(笑)
戸川純は語れるほど詳しくないけれど…
帰ったら聴いてみようと想います。
蛾は苦手ですが、布教された時に感じた「憂悶の戯画」の美しさ。
日本の音楽だって捨てたものじゃないと想えるひとりです。