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三島由紀夫の最後をドキュメントとして、映画にした「Mishima」は、日本では非公開、海外では映画ではやったものの、いまやDVDも手に入らない状態である。
Youtubeで、その映画「Mishima」の冒頭とエンディングの数分を見ることは出来た。緒方拳演じる三島由紀夫が陳腐だった。そして無様だった。侮辱を感じた。
昨夜は、そのサウンドトラックを、かのフィリップ・グラスがやっているので、聴いたが、特別なものは感じなかった。というか、なんでかのフィリップ・グラスが、こんな駄作のサントラを引き受けたのだろうか?と思った。
三島由紀夫の死から37年がたった。
しかし、未だにその事件・死に様は、人の心からは離れない。
そういう中、この映画は永遠に日本で公開しなくて良い。
極めて陳腐なイミテーションのようなものであるからである。
「あさま山荘事件」もそうだが、現実・事実を超えるものなど無い。
「ノンフォクション」なんてものは、ウソに過ぎない。
三島さんの死を、あんな陳腐な無礼な映画にするのなら、永遠に闇に葬った方がいい。
そして、サウンドトラックだが、どういう事情で、フィリップ・グラスが、これを受け入れたのかは不明だが、三島さんのあの日の前後に関して、元々、音楽など一切必要が無い。
あるとすれば、外気音程度のもので充分なはずである。
三島さんの死自体をドラマ仕立てにすること事態が、何もわかっていないという感じである。
ニセモノの音も映像も要らない。やめて欲しい。
あのような三島さんの死から何を受け取り、何を感じるかということだけだ。
37年経とうとも、1970年11月25日の日は、多くの人への衝撃と思想、あれがなんだったのか、その意味を問い続けている。
かくいう自分もそれに囚われながら、生きる1人の日本人である。