こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

YouTube 「三島由紀夫  -  松本清張 事件にせまる」

2007-05-12 23:26:22 | 雑記帳


Youtubeで、三島由紀夫先生の事を検索したら、「三島由紀夫  -  松本清張 事件にせまる」というファイルを発見し、早速ダウンロードし、見た。

三島さんは、自分が20歳という遅くにして出会い、その死に様・生き様にショックを覚えて以来、自分にとっての解決すべき対象であり、シンパシーも含め、1つの自分の判断基準になっている。
永遠に自分は、死ぬまで三島由紀夫の事を追い続けることになるであろう。

最近は、「三島由紀夫が死んだ日」の全2巻を読んだところだった。

誰がなんと言おうと傑作は「金閣寺」である。また、小説では無いが「太陽と鉄」という、死ぬ前、1年当たり(自衛隊への体験入隊の頃)に書いた文章が、余りに印象が強い。

この「三島由紀夫  -  松本清張 事件にせまる」は5つのファイルに別れているが、どうやら80年代初頭、浅田彰が話の中に出てくる辺りから推測するに、83年当たりに作られた番組のようである。

是非、みんなにも見て頂きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=V5HIkId_fSY
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2 コメント

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Unknown (くもお)
2007-05-16 07:06:52
「三島」は昭和史の中で、また日本文学の中で、ある種のタブー的扱いを受ける特殊な事件になってしまっていますね。文学者とは、あるいは芸術家とは、作品の枠を超えて存在をアピールするものだ、ということが非常に分かりやすい形で認識できます。私はアメリカに住んでいたいときに、レンタルビデオショップで三島の映画を見かけてみたい衝動にかられましたが、外国に住みはじめたばかりだったので、自分のナショナリズムを意識することに抵抗感があって敬遠して借りることができませんでした。
同じ意識を、米国右翼映画監督であるイーストウッドの硫黄島2部作のDVDが売り出されたときにも感じました。
この番組は、三島事件に至るまでのドキュメンタリーですね。自決することの異常性があるから番組になっているんだろうけど、日本の歴史の中で、侍とは常に自決できる生きかたをしていたので、彼にとっては当たり前の最後であったことでしょう。漱石も鴎外も川端も自死によって文学者を終えている。日本人とはかつてスイッチオフで一生を終えることができるファンクションをもっていたのでしょう。こういった潔さの対極にある、生き続ける苦悩、を尊ぶ社会ではかつてはなかった。
今の社会は、みんな結構考えるようになってまとまりにくくなっている。戦争は国をまとめるためのいいきっかけであるが、それもなければ、思想だということになる。しかし、それもない今、日本人は何をもってアイデンティファイするのだろうか。
三島事件は、一個人で行動した革命(2.26)予行演習のようなものだったのでしょうが、日本人の精神を考える上で貴重な事件であり続けていると思います。

YouTubeを見終えて。
くもお
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くもおさんへ (かたちんば)
2007-05-16 09:32:41
コメント有り難う御座います。

私は、三島さんに1986年、二十歳で出会いました。
彼の死に方に衝撃を受けたというのが最初でした。
ちょうど自殺しかけた頃のことです。
そこから「仮面の告白」をおそるおそる読み、
ここには、まだ自分にとって、開かれていない、自分が紐解くべきヒントが多く潜んでいることを知りました。

ただ、その死に様が余りに衝撃的だったので、86年の当時ですら、それ抜きに、彼の小説をありのままに読める環境が世間には無かった気がします。

あるひとは、「35年経てば、喪明けを宣言してもよいのではないか」ということを言っています。(これは「三島由紀夫が死んだ日」というよく出来た本である人が言ったコトバです。)
その通り、やっとあの事件抜きに、彼の作ったものを素直に受け入れる風土は出来つつあるとは思います。

ただ、逆に、その本でも触れていますが、いかに1970年という年が日本のターニングポイントであり、結果的に、日本は「からっぽのニュートラルな国家」と成り果てました。

今、日本という国家として、アイデンティファイするものは見当たりません。個人個人が考えて、何かを自らに課して生きるしかないのでしょうか。
私も、この「からっぽな空間」になってしまった日本で、毎日迷走をし続けながら、それを日々考えながら、「とりあえず」という已む無き状態で生きています。
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