朝鮮民主主義人民共和国(以下、単に「朝鮮」という)が公式に日本人市民の拉致を認めた「日朝平壌宣言」から10年。この間、5人の帰国が実現しただけで進展がない。10年の節目ということで、メディア上でも様々論評されているが、この10年の空費の原因は何かということに関する突っ込んだ分析はあまり見られない。
実際、その原因は何か、また問題の解はどこにあるのかということについて私見の一端を明らかにしてみたい。
まず拉致問題の“埒”が明かない理由の第一は政府間交渉という枠組みに依存しすぎていることである。元来外交関係がない中で国交樹立交渉を棚上げしたまま、通常その活動の全体が国家機密に属する諜報機関が実行した拉致という微妙すぎる問題を表の外交舞台で解決しようという異例中の異例の芸当をしようとすることに無理があるのである。
第二は朝鮮という国の建国由来に関する歴史的な無理解である。朝鮮は日本の帝国主義的植民地支配に対するレジスタンスを担った抗日パルチザンの有力メンバーが中心となって創設された国家である。抗日レジスタンスとの関わりでは南の韓国の建国由来も類似するが、韓国以上に、朝鮮にとって「抗日」は国のバックボーンを成す。
日本側は近年深刻化が伝えられる朝鮮の経済的苦境にかんがみ、日本からの経済援助をちらつかせつつ制裁の圧力をかければ相手方は折れるとの見通しの下、「対話と圧力」を旗印にしてきたが、朝鮮側が経済援助欲しさに頭を下げて拉致の全面的解決に応じるとの見通しは「抗日」をバックボーンとする誇り高い相手を見くびりすぎている。
第三は拉致被害者救援運動の右派的偏向である。この運動は「日朝宣言」の前後から、当初の純粋な行方不明者救出運動の性格を脱し、かつて朝鮮と友好関係にあった旧社会党(現社民党)を攻撃する右派の牙城としての性格を強め、今日に至っているが、そのことがかえって朝鮮側に「拉致問題で騒ぐのは共和国に反対する日本反動らの策動」云々として全面解決に応じない理由づけを与える結果となっている。
以上のような点にかんがみれば、拉致問題の解も自ずと導けるであろう。すなわち第一に、政府間交渉の枠組みに拘泥せず、民間人道団体同士のインフォーマルな交渉を活用すること。それと関連して、拉致という国家犯罪をめぐる交渉は国家の体面にも関わることであるから、水面下の秘密処理―例えば被害者の第三国経由での秘密帰国―という手法も駆使すべきであろう。
第二に、歴史への理解を深め、経済援助と絡めた制裁一本槍の発想を改めることである。そして第三に、救援運動の右派的偏向を正し、より政治的に中立な人権回復運動として再構築することである。
さらに付け加えれば―これが最も困難なことであるかもしれないが―、「全員の無条件帰国」という目標を修正すること。実際、リアルに考えて、「死亡」とされている拉致被害者は拉致後に現地で機密を扱う職に就かされていたり、朝鮮国民の配偶者を持つなどしているため、事実上帰国困難な環境にある可能性も否定できない。
そこでより柔軟に、まずは本人の生存と所在を明らかにしたうえ、家族間の連絡・面会権の確保を目指すことが現実的であるし、すでに先行帰国した5人が一時そうなったように、家族が日朝間で引き裂かれるという新たな人権侵害を発生させないための方策でもある。