Ⅳ 保護の時代
「障碍者」の概念形成
今日では常識となっている「障碍者」という認識概念は、さほど古いものでない。長い間悪魔化されていた障碍者に正しい理解がなされる契機は、西洋啓蒙思想がもたらしたものだが、それに先駆けて、フランスのモラリスト、モンテーニュが進歩的な障碍者観を示していた。
彼は親によって見世物にされた障碍児を見て思索したことを、主著『エセー』にわざわざ一章を割いて述べている。「奇形児」と題されたその章で、モンテーニュは次のように述べる。
我々が奇形と呼ぶものも神から見れば奇形ではない。神は、自らがお創りになった広大な宇宙の中に様々な形態をお入れになり、それらを一様に眺めておられる。
我々は、慣例に反して生じるものを〈反自然〉と呼ぶ。しかし、何一つとして自然に従っていないものはないのだ。普遍的かつ自然に与えられている理性が、新奇なものに対して我々が抱く誤りと驚きとを我々から追い払ってくれますように。
16世紀人であったモンテーニュは科学的思考をまだ知らなかったが、ここでは神への信仰を媒介に、障碍者も神の多様な被造物の一つであり、それもまた「自然」であることを強調する。これは、障碍者を反自然的として悪魔化しようとする当時の蒙昧な思考へのアンチテーゼでもある。
このような思考によれば、心身の機能に制約・欠如がある者も「自然」な人間存在として公平に扱うことができるようになる。しかし、それを「障碍者」として認識するには、近代科学を土台とする近代医学の発達を必要とした。
医学は正常と異常を鑑別し、記述する。それに伴い、健常者/障碍者という対概念も形成されていった。これを近代統計学が後押しし、その発達は障碍者の細分類や人口統計の基礎を提供するようになっていった。
障碍者は悪魔として排斥されたり、好奇なショウで使役される存在から、発見・保護される存在となる。ただし、そこでの「保護」のありようは病院や福祉施設への収容と特殊教育である。
その点では、「新大陸」アメリカがリードしており、ここでは19世紀の比較的早い段階から、後にヘレン・ケラーも学ぶ視覚障碍者の学習施設パーキンス盲学校や、知的障碍者学校など、特殊教育が民間篤志家の努力で発達していった。