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奴隷の世界歴史(連載第7回)

2017-08-14 | 〆奴隷の世界歴史

第二章 奴隷制廃止への長い歴史

奴隷制廃止の萌芽
 奴隷制度は人間を人間に恒常的に隷従させる制度であるが、古代ローマや中世イスラーム世界の奴隷は主人によって個別的に解放されることもあった。このような個別的奴隷解放は、制度としての奴隷制廃止とは明確に区別された奴隷制度の運用上の柔軟化にすぎない。
 また、国内(及び植民地の一部)を中心とした限定的な奴隷制廃止は、フランスでは中世の14世紀、ポルトガルでも18世紀後半には実現しているが、これらは両国も参加していた大西洋奴隷貿易には適用されなかった。
 現代では―少なくとも法的な建て前としては―、奴隷制度が全世界的に禁止されていることは第一章で見たが、そこに至るまでには、まさに歴史的な長年月を要した。そうした国境を越えた奴隷制廃止への最初のステップとなったのは、奴隷貿易の中心にあった英国における奴隷制廃止運動であった。
 その小さなきっかけは18世紀後半、ジェームズ・サマーセットなる一人の逃亡黒人奴隷をめぐる訴訟である。逃亡したサマーセットを拉致した主人に対し、サマーセットの支援者らが人身保護を申し立てた事件で、裁判所は史上初めて奴隷の解放を命じた。
 当時の英国には奴隷所有に係る法は存在しなかったが、法の不存在ゆえに英国内で奴隷は存在し得ないという形式論理でサマーセットの解放を導いたこの判決は、裁判所の判例を優先法源とみなす判例法主義の英国ならではの歴史的転換をもたらした。
 この事件の10年ほど後には、奴隷運搬船が航海中に奴隷130人以上を海に遺棄した事件(ゾング号虐殺事件)で、奴隷の喪失は保険金支払の対象になるかという争点に関し、裁判所は奴隷は家畜同様の所有物であるゆえに保険会社は損害保険金を支払う義務があると判決した。
 サマーセット事件と同じ裁判長が関わったこの判例は、奴隷を家畜並みに所有権の対象としつつ、その棄損を保険金でカバーできるという不当なものであったが、後に奴隷制を法律をもって廃止する際に、奴隷所有主らに補償金を支払う妥協的な有償廃止方式―そうしなければ、議会を通過しなかっただろう―に影響した可能性がある。
 いずれにせよ、「法の支配」の祖国たる英国では、司法の力により、奴隷制廃止の最初の一歩が踏み出されたことは注目に値する。とはいえ、その第一歩も反奴隷制の思想に目覚めた先駆的な人々の尽力なくしてあり得なかったことも事実であるが、これについては稿を改める。

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