第1章 「真の民主主義」を求めて
(4)民主主義と共産主義
民衆会議/世界共同体の構想は共産主義を土台として「真の民主主義」を追求するものであるが、このような言明は「共産主義=全体主義=反民主主義」という、現時点でもなお世界的な常識となっている図式的理解に真っ向から抵触するであろう。そうした固定観念の誤りはすでに拙論『共産論』でも指摘しているが、ここで改めて詳しく論及し直すことにしたい。
このような「常識」の出所は冷戦時代の米国を盟主とした西側の反共宣伝にあり、そこで念頭に置かれていたのは共産党が独裁支配した旧ソ連の体制であった。たしかに、旧ソ連の体制はどう贔屓目に見ても民主的とは言い難かった。
しかし、これもすでに論じたように、旧ソ連は共産党が支配していても、実際は共産主義体制ではなく、共産主義へ至る「途上」段階にあったことは、旧ソ連自身が憲法前文で明白に自認していたところでもある(拙稿参照)。よって、旧ソ連の体制モデルを共産主義と見立てたうえで、共産主義=非民主的と断ずるのが早計であることは、繰り返し強調しなければならない。
本来、共産主義は経済体制に関わる概念であるので、そこから直接に政治体制論を抽出することができないことは、資本主義の場合と同様である。従って、理論上は共産主義、資本主義ともに一党独裁制や軍事独裁制とさえ結びつくことが可能である。
ただ、生産活動の非営利的な共同性を特質とする共産主義が全体主義と親和性を持つと考えられやすいことは、事実である。しかし、それは国家の存在を前提に、国家主導の経済計画を志向した場合のことである。これは、まさに疑似共産主義、すなわち集団主義であった旧ソ連モデルそのものである。
しかし、生産組織自身による共同計画という、より自由な共産主義体制を構想する場合には、全く違ってくる。この場合には、国家という枠組みを打破しつつ、より民主的な社会運営を可能とする政治制度が要請されるからである。民衆会議/世界共同体構想は、このような「自由な共産主義」という方角から抽出される政治制度である。
では、そのような政治制度を資本主義と結合させることはできないのか、という疑問もあり得るかもしれない。これも原理的に不可能とまでは言えないが、実際上は無理であろう。
資本は政治的なパトロンを擁して政策を自己に有利に取り計らわせることで持続性を確保し得るゆえに、パトロン政治集団―政党もしくは政党類似の党派的集団(官僚制や軍部のような公務員集団でも可)―の存在を必要とする。民衆会議/世界共同体はこうしたパトロン政治とは対極にある一般民衆を主人公とする政治制度であるからして、資本主義の上部構造としては有効に機能しないと考えられる。
そうした意味では、次章以下で詳説していく民衆会議/世界共同体はすぐれて共産主義的な政治制度であると言える。同時に、それは旧ソ連が体現していた「共産党独裁」という偽りの“共産主義”に対するアンチテーゼともなる政治制度でもあるのである。