第二章 奴隷制廃止への長い歴史
英国の奴隷制廃止運動
英国で奴隷制廃止運動の先鞭をつけたのは、17世紀に創設された非英国国教会系のキリスト教宗派クエーカー教徒たちであった。かれらが奴隷制廃止に目覚めたのは、元来クエーカー教では平等主義の教義が強かったためと考えられる。
これに触発される形で、英国キリスト教主流派である国教会側でも改革的な福音主義の立場から奴隷制廃止に賛同する潮流が生じ、両者が合流する形で、1787年に奴隷貿易廃止促進協会(以下、協会と略す)が設立された。以後、協会が奴隷制廃止運動のセンター機能を果たしていくことになる。
協会設立の原動力となったのは、当時まだ20代のトマス・クラークソンであった。そのきっかけはケンブリッジ大学の学生時代、ラテン語の論文コンクールで「奴隷制」のテーマを与えられて奴隷制について詳細な研究をしたことにあった。
彼の論文は賞を取り、英語にも訳されて多方面で反響を呼んだ。協会の設立もその延長上にあり、生涯を奴隷制廃止運動に捧げたクラークソンは おそらく歴史上最初の職業的な人権活動家であったかもしれない。
クラークソンが協会の理論的支柱だったとすれば、英国議会側で実務を担ったのがウィリアム・ウィルバーフォースであった。クラークソンと同じケンブリッジ大学卒業生であった彼は以後、英国における奴隷制廃止立法の中心人物となる。
協会はまた、解放奴隷オラウダ・エキアーノの奴隷体験を綴って反響を呼んだ自伝の出版と販売促進にも努めた。エキアーノ自身も奴隷制廃止運動に参加し、ゾング号虐殺事件をはじめとする奴隷貿易に関する詳細な情報提供者の役割を果たしたのである。
協会の活動は単に奴隷制に反対するばかりでなく、解放奴隷をかれらの先祖の地であるアフリカ大陸へ帰還させる派生的な運動を生んだ。その中心となったのは、クラークソンらよりも一足早く奴隷支援の活動を始めていた聖書学者グランヴィル・シャープである。
彼はアフリカのシエラレオーネ半島に解放奴隷の入植地を創設する計画の中心人物となり、それを実現する植民組織として、シエラレオ-ネ会社を設立した。最初の植民地は彼の名にちなみ、グランヴィルタウン(現フリータウン)と命名された。
これが現在は独立国家となったシエラレオーネの発祥であるが、初期の植民活動は地元部族との確執や伝染病などから困難を極め、失敗を重ねた。結局、シエラレオーネは王室管理地から英国植民地となり、入植者の子孫たちは現地部族と混血して、支配力を拡大していく。
一方、英国本国では、19世紀に入ると、ウィルバーフォースの尽力もあり、議会で段階的に奴隷制廃止立法が進んでいくが、これについてはまた稿を改めて見ていくことにする。