第1部 エスペランテート総論
(7)ジェンダー中立性等
文法上のジェンダー中立性
前回まで検証してきた世界語たりうるための絶対条件及び相対条件に対して、今回のジェンダー中立性は世界語としての完全性をめざす付加条件と位置づけられる。付加条件とはいっても、ジェンダー平等に関する現代的水準からすると、この条件はそなわればよしという以上に、可及的そなわるべきというレベルでかんがえられるべきであろう。
その際、文法上のジェンダー中立性は形式的な規則の面からジェンダー中立性を担保するいりぐちとなる。この点で問題となるのは印欧語族系言語やセム諸語系言語に特徴的な名詞の文法的性別である。特に典型的な印欧語族系言語では名詞は男性・女性・中性の三種に厳格に分類され、それにおうじて冠詞や動詞の形態なども明確に区別される。
このような文法的性別のシステムは、基本的に性別を厳格に区別するという社会的意識を根底にもつ点で古典的なものである。また非生物名詞にまで性別が不規則にわりふられることから複雑になりすぎるという点では、習得容易性にもかかわる。
その点で、印欧語族に属する英語は名詞の性別をほぼ喪失していることに特色があり、習得容易なだけでなく、ジェンダー中立性の点で他の印欧語族系言語にまさるものがある。
ただ、人称代名詞・第三人称に関しては、英語もふくめ、おおくの言語が男性・女性・中性の三性の区別をのこしているが、計画言語にあっては、人称代名詞においてすら性別を撤廃することが可能となる。
語彙上のジェンダー中立性
語彙上のジェンダー中立性は、文法上のジェンダー中立性とあいまって実質的なジェンダー中立性を支えるもので、それは語源のジェンダー中立性と語彙そのもののジェンダー中立性とにわけられる。
語源のジェンダー中立性として問題となるのは、英語のman/womanのような反意語的な対語の是非である。このばあい、womanという語の接頭辞wo‐は元来wif‐(=wife)で、要するに「おんな=おとこのつま」という含意があるからである。
ただ、英語のmanは意味が拡張されていて、両性を包括したおよそひと一般という集合名詞としてもつかわれており、こうした包括的用法をもってジェンダー中立性を確保しようとしているとみることもできよう。
ちなみに、語彙そのもののジェンダー中立性に関しては、日本語のように名詞の文法的性別がまったく存在しないにもかかわらず、語法のレベルで男性語法と女性語法が区別される言語も、ジェンダー中立性の点では問題をかかえる。
もっとも、近年では日本語でも男性語法と女性語法の区別が相対化される傾向がみられるが、両者をあきらかに混同することは、一種のパロディーとして容認されるばあいをのぞき、社会常識をかいた語法として非難されることすらある。
ただ、日本語以外の言語では日本語ほど厳格に男性語法と女性語法を区別する言語はほとんどみあたらず、エスペラント語にもそうした区別はみられないため、この問題をさほど重視する必要はないのかもしれない。
言語の非差別性
以上にみたジェンダー中立性は、一般化すれば言語の非差別性という条件にまとめることができる。遺憾なことに、おおくの自然言語には辞書に搭載されていない俗語もふくめ、多種多様な差別語がふくまれている。これは差別という人間特有の行為が、言語使用をつうじて発現することのあかしでもある。
この点に関しては、一般的にエスペラント語のような計画言語では語彙自体が計画的につくられていくため、差別語をそもそもはじめから排除することが可能となるので、自然言語ほどに差別語に神経をつかう必要がないという利点がある。