140周年の校史を伝える写真が残っている。昭和8年の教室での授業風景だ。
男女別々で授業を受けている。「男女共学」がまだだった頃の写真である。いずれもひとクラス50名もの大人数クラスだ。当時の登下校時の玄関も、体育館での運動も別々だあった由。
校歌の作詞者は「葛原しげる氏」童謡詩人として知られ、作詞した童謡は4千編とも。全国400校の校歌を手がけていた。
作曲の「清瀬保二氏」は歌曲から合唱曲、映画、劇音楽、舞台組曲など幅広い作曲活動を続け日本の現代音楽を世界に紹介した。
3階の校歴室には、当時の教科書や卒業アルバム、記念写真など貴重な資料が展示されている。
そういえば小生の母校である「中学校」の校歌の作曲者はなんと「山田耕筰」だった。
日本におけるクラシック音楽の土台を築いた大きな存在。「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」と言った童謡や「この道」などの作品でも知られている。その人が小生の卒業した中学校の校歌を作っていた。