※2017年のオーデンセ街歩きはこちらからごらんください午後五時ごろにオーデンセに到着して、ふらふら歩いて市庁舎前につく↓
アンデルセンは貧しい子供時代をこの町で過ごしたが、六十二歳でオーデンセの名誉市民となり、この市庁舎で民衆の歓呼をうけた。「故郷に錦を飾った」のだった↓
★オーデンセの紋章⇒北方神話に出てくる神の名前「オーデン」からきている
**
夕飯、「もうサンドイッチじゃないほうがいいねぇ」ということでスープ屋さんへ入るちょいとアジア風のようだがメニューの名前を読んでも・解説してくださいとお願いしても、よくわからない。食べてみましょう「MULLIGATAWNY」↓
野菜たっぷりのインド風なスパイスが入ったスープでした↑
チキンヌードルスープがこちら⇒
***
翌日、午前中は朝市とアンデルセン博物館へ↓この絵が描かれた建物は一般住宅なのだけれど、すごく記憶に残ります
きのう通過してきたランゲ島の蜂蜜↓
夏の蜂蜜は味も色も濃いい(左)、春はマイルド(右)
実際にどうか、日本で味を確認します(^.^)
↓えんどう豆はこちらでは生でも食べます↓
チーズはもちろんたくさんある↓
16世紀の家↓梁も傾いている。中はどうなっているのだろう↓
このエリアにも新しい建物は建っているが外観を他と合わせるように慎重に配慮しているのが分かる↓いちばん左にちらっとみえるのは本物の16世紀の家
アンデルセンの生まれた家のエリアは歴史的景観保護地区になっている↓
★アンデルセン博物館★昨年訪れた建物が改修にはいってしまい、オデオンのとなりに仮のものがオープンしている↓
むこう三年間はここで営業するのだそうだ。中国語の看板が併記されている。中国の人はアンデルセンが大好きで、今日もたくさんのグループが次から次へやってきた。
内部、入ってすぐに身長185センチのアンデルセンさんがお出迎え↓
↓旅を愛したアンデルセンの旅行バッグと、トレードマークのシルクハット用のケース↓
切り絵が得意で、
招かれたサロンであっというまに切ってはプレゼントして人気だった↓
↓このVRマスクでは何が見られるの?↓
↓アンデルセンが暮らしたニューハウン地区の部屋の雰囲気が見える↓
ニューハウン地区とはコペンハーゲン市内の人工港エリア↓こんな賑やかな界隈↓
寂しがり屋だったようにみえるアンデルセン、このエリアで何か所も住んでいたのだそうだ↓二階部分にパネルがついた赤い建物もそのひとつ↓
ここは三十代に住んだ場所だったが↓
アンデルセンの最後の住所もニューハウンだったと博物館で解説してあった。
アンデルセンは貧しい子供時代をこの町で過ごしたが、六十二歳でオーデンセの名誉市民となり、この市庁舎で民衆の歓呼をうけた。「故郷に錦を飾った」のだった↓
★オーデンセの紋章⇒北方神話に出てくる神の名前「オーデン」からきている
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夕飯、「もうサンドイッチじゃないほうがいいねぇ」ということでスープ屋さんへ入るちょいとアジア風のようだがメニューの名前を読んでも・解説してくださいとお願いしても、よくわからない。食べてみましょう「MULLIGATAWNY」↓
野菜たっぷりのインド風なスパイスが入ったスープでした↑
チキンヌードルスープがこちら⇒
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翌日、午前中は朝市とアンデルセン博物館へ↓この絵が描かれた建物は一般住宅なのだけれど、すごく記憶に残ります
きのう通過してきたランゲ島の蜂蜜↓
夏の蜂蜜は味も色も濃いい(左)、春はマイルド(右)
実際にどうか、日本で味を確認します(^.^)
↓えんどう豆はこちらでは生でも食べます↓
チーズはもちろんたくさんある↓
16世紀の家↓梁も傾いている。中はどうなっているのだろう↓
このエリアにも新しい建物は建っているが外観を他と合わせるように慎重に配慮しているのが分かる↓いちばん左にちらっとみえるのは本物の16世紀の家
アンデルセンの生まれた家のエリアは歴史的景観保護地区になっている↓
★アンデルセン博物館★昨年訪れた建物が改修にはいってしまい、オデオンのとなりに仮のものがオープンしている↓
むこう三年間はここで営業するのだそうだ。中国語の看板が併記されている。中国の人はアンデルセンが大好きで、今日もたくさんのグループが次から次へやってきた。
内部、入ってすぐに身長185センチのアンデルセンさんがお出迎え↓
↓旅を愛したアンデルセンの旅行バッグと、トレードマークのシルクハット用のケース↓
切り絵が得意で、
招かれたサロンであっというまに切ってはプレゼントして人気だった↓
↓このVRマスクでは何が見られるの?↓
↓アンデルセンが暮らしたニューハウン地区の部屋の雰囲気が見える↓
ニューハウン地区とはコペンハーゲン市内の人工港エリア↓こんな賑やかな界隈↓
寂しがり屋だったようにみえるアンデルセン、このエリアで何か所も住んでいたのだそうだ↓二階部分にパネルがついた赤い建物もそのひとつ↓
ここは三十代に住んだ場所だったが↓
アンデルセンの最後の住所もニューハウンだったと博物館で解説してあった。