重みのある古い民家が残る
五條新町巡りの2回目は、
栗山家(五條市指定文化財)
から、、、
1回目に登場の重要文化財
・栗山家住宅と共に、元禄の
大火から焼失を免れた、元
禄9年の棟札を持つ、大型
町家。外見は平屋ですが、
二階もある単層造り。
ただ二階部分は天井は低く、
明り取りの小窓がある、屋根
裏部屋的なイメージの造り。
物置などに使われることが、
多かったようです。
江戸時代~明治の後半まで、
このような建築様式が用いら
れてきました。普通の二階建
てでなく、中二階のようにした
のは、なぜ?
本格的な二階建てでは、町人
が武士を見下ろす、とされた
ためでした。大正期に入ると
通常の二階建て工法に変わ
り、新町では両方の二階建て
を、見ることが出来ます。
宝満寺。大正時代に建てられ
た、入母屋造りの本堂の大屋
根は圧巻。
この魅力的な、町並みを作っ
たのは、関ケ原の戦いでの功
績によって、1万石余の大名
としてこの地に入った、松倉
重政と言う名のお殿様。
重政は吉野川と並行する道路
に沿った町割りを行い、新町
を誕生させました。ここに商
人が集まるように、年貢諸役
を免除し、新町繁栄の基礎
を築きました。
重政は島原藩へ国替えになり
ますが、国替え後も地元の人
々は重政に感謝。祭りなどを
行っていたことが、記録として
残されています。
旅宿・やなせ屋。町家の離れ
と土蔵を、一棟貸しの宿泊施
設に改造した、モダンなお宿。
これは「書状集箱」と言い、
明治4年、郵便創業当時に
使用されていたものと同じ
型のポスト。
町並みに合わせて、設置さ
れています。もちろん、現
役ですよ。
こちらも町並みに合わせ、目
立たないように、〒受け。
五條源兵衛 大型町家を和風
レストランに改修。朝摘み野
菜や果物など、地元の旬の食
材を使った料理が、楽しめるそ
うですよ。
五條新町には街道と並行して
吉野川(和歌山県に入ると紀
の川)五條新町を横切るよう
に西川、東浄川、寿命川が流
れ込み、たびたび大水害に見
舞われてきました。
水害に打ち勝つために設けら
れたのが、石垣でした。石垣
には玉石を野積みにしたもの
と↓
切石を乱石積みにしたものと、
2種類の石垣があり、今も水
害から町を守っています↓
お食事処・山直
明治15年創業の食堂。私は
寒かったので、鍋焼きうどん
を注文しました。体がぬくも
りました。
昔、船着き場があった場所
この案内書きがなければ、見
落とすところでした。
現在も当時の面影を色濃く
残す五條新町、まだまだ見
る所はたくさんありますが、
ひとまずこの辺で、、、
長々とお付き合い、ありがと
うございました。