漢字俳句とひらがな俳句

2006-05-20 17:49:36 | Weblog
      十薬の匂ひに慣れて島の道 稲畑汀子

 今日のNHK俳句での、宇田喜代子、阿辻哲次の会話の中に
 「いざ、推敲の段階でその文字を掌に乗せて、転がして、色々な角度から
 味わってみる」そして主宰の「文字の持つ姿を大切に・・・」と言うことを
 言っていました。
 ころころも前から「詩、景色の佳さは勿論、書いて良し、詠んで良し、眺めて
 良し」が俳句の醍醐味であり、佳句の条件ではないかと思っています。
 そういう意味では、分かる人には分かると言ったような「無季俳句、口語俳句、
 不定形俳句」の分野では勉強不足かもしれません。

 ひらがな、漢字を楽しみ、その絶対的効果を得ている俳人といえば
 久保田万太郎だと思っています。

 
    おもうさまふりてあがりし祭りかな
    さびしさは木をつむあそびつもる雪
    しらぎくの夕影ふくみそめしかな
    翁忌やおきなにまなぶ俳諧苦

   といったような、漢字の数や位置によって詩の効果をふかめています。
   また、以下のような句も詠み、まさに視覚としての文字を理解している
   作家と言えましょう。

    芥川龍之介佛大暑かな      
    漢字の持つ効果、まさに戒名のようです。
   
    親一人子一人螢光けり      
    「り」の音韻、り・り・り・り・これも虫の音にもとれます。
    又、十七音をぶつ切りにして孤独感を含ませているようにもとれます。
   
    「俳句の周りを楽しむ」まさに楽しませて頂きました。
    
 
 
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林翔 90歳の句集 「光年」

2006-05-19 20:51:21 | Weblog
夕風や白薔薇の花皆動く 正岡子規

 なるべくPCに向かう時間を制限しているが、どうしてもじっとして
 いられない。現代社会人は沈黙や静寂の生活に慣れていないし、
 ましてや俳句になるとじっとしていられない性分は自分でも手を焼く。

 林翔の名前はこのブログでも何度か紹介できました。
 現在は、能村登四郎亡きあとを継いだ能村研三氏の後ろ盾となって
 「沖」を支えている。
 なんとも90歳と言う齢。私の父と同齢で、かたや訪問看護を受けている。
 ある意味、それが普通であるかも知れない。
 その第七句集の夏の句を少しご紹介したい。


  平成九年  いぶし銀てふ寡黙もて梅雨迎ふ
        鉄橋の弧に弧を重ね虹の立つ
        さんずゐの点点点の涼しさよ

    十年  すべり合ふ少女の言葉若葉風
        百態の人の一人は汗拭けり

   十一年  その上の雲より白く山法師
        ストローを細き涼気の昇りゆく

   十二年  日の目見る男の乳首夏に入る
        夜の風鈴月の言葉と言いつべく

   十三年  登四郎先生死去
        登四郎登四郎登四郎憶ひ五月逝く
        白地好きの君よ黄泉路も白地着て
        ハンカチが胸に際立つ遺影かな

   十四年  打水や石への愛は日に一度
        辻に来て風の惑ひの風鈴屋
        
   十五年  昼顔よ道に迷ひし吾を笑へ

  如何だったでしょうか?
  十三年の句は心が熱くなりました。

 
  
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はしり梅雨

2006-05-18 21:05:51 | Weblog
     青梅 (赤塚植物園)

 毎年の事ながら梅雨の前のこの時期はお天気が落ち着かない。
 梅雨になれば諦めてそれなりに外出も仕事も出来るのに。
 「雨に歌えば」なんて気分になれない。
 古来から日本人は「雨」をいろいろな表現で詠って楽しんでいる。

 さみだれのあまだればかり浮御堂   阿波野青畝
 雨脚のみな消えてゐる花大根     小林健水
 御降りや声はなやぎて巫女溜り    辻本しのぶ
 借景の山に日の射す片時雨      塚本武史
 小糠雨芝生を濡らす針供養      小暮信泉
 五月雨や鉄の匂ひの歩道橋      下山宏子
 木曾ぶりの軒灯濡らす小夜時雨    栗原政子
 山雨来ておはぐろ蜻蛉見失ふ     東海林高絵
 春雷の華やぎ慈雨を残し去り     国安こぎみ
 山の音山に返へしぬ時雨くる     戸島とし子
 現世は篠つく雨や花御堂       西井静子
 秋霖の草に来てゐる闇のあり     吉原有司
 鷹白し春の驟雨の過ぐるまで     進藤一考 


**昭和59年6月赤馬句会報**

    六月の空を映して暗き湖    湯浅辰巳
    六月の勝鬨橋の虹割れる    田中茶能行
    釣り人の景に加はるはたた神  大政我人
    張り板にみなれしきぬや更衣  冬木一幸
    ばらの香を入れて久しき針仕事 田中ツル
    供華一花泰山木を得てうれし  尾畑ちよ 
    雨雲がさらに荷となり麦車   宇佐美寛歩
    裏木戸は開かずの錠や著莪の花 谷矢須子
    郭公に勇気づけらる野良仕事  田中雅子
    万緑に睦む馬上の軍神     宇佐美野仏
      
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向上のための心得

2006-05-17 21:15:22 | Weblog
べにばなとちのき(赤塚植物園)

 虚子の高弟阿波野青畝の言葉を紹介します。
 「作者はそれそれの個性に従って、写生の現れかたは種々多様になってくる
 はずであって、一律的な単純なものとなってはならないと思います。」
 初心の頃は初歩的な写生しか出来ませんから、誰が作っても同傾向の写生句に
 なってしまうでしょうが、年期が入るに従ってめいめいの持ち味が出てきます。
 まずは多くの写生を行って自分のものの見方、感じ方を磨く努力をすべきなのです

 確かに見えるものが見える、感じるものが感じるようになります。
 ころころの吟行法は
 まず吟行地に入ったら、あれこれ動かず、じっとその場所の風を感じることから
 始めます。風の中の匂い、音、を捉えたら動き出します。
 とかく、名勝地などに行くと動き回る傾向はまだころころにもありますが(笑)

     五月雨をくぐりて心海にあり    80,6月
     

     頬杖の肘が張り付く梅雨じめり   05、6月

 ころころは幾らか成長しているのでしょうか?

     
     
 
 
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気が抜ける

2006-05-16 16:19:06 | Weblog
      あやめ(赤塚植物園)

 現場1件終わるたびに来る脱力感。まさにブルー。
 鬱色のブルーではない。
 もう今月末からは、東中野、文京関口と次の現場が待ち構えている。
 完了の喜びと準備の不安と何年やってっても、この気分は繰り返す。
 今回の物件は世間を騒がせた例の「シノケン」がらみで済証がおりて
 ホットしたのはいつも以上。綱渡りのようだった。
 
 前に俳句はころころにとって秘密基地と言った。
 ゼネコン関係の仕事は常に裏表のある談合社会。
 体だけを使っているなら楽かも知れない。
 そのまた逆でもそうだろう。特に私みたいな不器用な人間には・・・
 だからこそスイッチボックス(秘密基地)に入って、心の切り替えが
 必要となる。

 俳句も多くを望めばまたそれも障害となる。
 ころころの俳句道には出世欲、名誉欲、などなにもない。
 一人旅みたいなものかな。結局自己満足ってところでしょう。

 昨日、現代俳句協会からIT句会年間の賞と記念の三千円分の図書カードが
 届いた。先月は角川から歳時記を貰った。何だかついてる。
 車の中でのラジオから人生の99%は苦労、1%が幸せ・・とか聞こえてきた。
 俳句をやっていればなんとか2%くらいになると思う。
 
 
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トホホな眼科検診

2006-05-15 15:31:59 | Weblog
    あやめ(乗連寺)

 久しぶりに眼科へ、忙しくもあり、担当医師が月曜日ともあり、なかなか
 診療を受けに行けなかった。
 眼科の医師は全て女医さんである。
 最近は、右目の回復に反して左眼に少し黄味がかった丸い残像が見えるようになった。
 でも、日常生活にそれほど苦を感じていなかったので、問診まで言わなかった。
 女医「一ヶ月半も来診がないと、もうお薬もないでしょうに、少し良くなったから
 って駄目ですよ。ちゃんと来てくださいね。」
 ころ「はあ・・」
 女医「何でこられなかったの?」
 ころ「月曜日は特に忙しいし・・」
 女医「私は5月から月曜日の担当になって、診断の継続は難しいの。」
 ころ「はっ。(ここで前の女医さんと違う事に気付く)」
 
 最近。TVを観ていても。若いタレントの顔が同じに見えてくる。
 蒸す迷惑・・いや、娘曰く。それは老化現象よ。と。トホホ
 
 女医「今日は車ですか?」
 ころ「はい」
 女医「眼科に来る時は、バスで来て下さい。」
 どうみても28~30のご妙齢。怒られっ放し。 
 女医「来週に左眼の眼底検査しますからね。」
 ころ「はあ・・(勝手に予定入れやがって)」
 
 初診で脳神経科、脳外科と廻されたときには、これでもう働けなくなるのかも?
 などと不安だらけで、脳のCT,MRI の撮影の時は観念した。
 人間はいい加減なもんで、いやころころは特にである。その頃の不安が薄れると
 薬さえ飲むのを忘れてしまう。
 我が子と同齢のような医師に注意されて、あらためてきちんと治療に行こうと
 感じている。

 *あやめを転換すると菖蒲になってしまう。あやめとしょうぶは違うのになぁ
  


 
 
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母の日

2006-05-14 08:29:45 | Weblog
     豆

 この年になっても母の強さを感じている。
 父90歳、母82歳
 父は3年前に嚥下障害による肺炎から、訪問診療、訪問看護を受けている。
 一日数回の酸素吸引、吸痰は家族の仕事となる。
 家族といっても今同居しているのは、母と義姉、義姉は近くに住む娘の病(鬱)
 の自虐行動を心配して一週間のうち4日は姪の家で過ごしている。
 私が実家へ行けるのは月1回程度。そのたび母は「頑張るよ、父さんは私が看る」と
 言う。本来ならば兄亡き後は自分が入って面倒を見なければならないが、複雑な
 家族構成になると義姉の行き場所をも考えなければならない。
 父は毎晩「今日もありがとう。明日もお願いします」と言って眠るそうだ。
 母はその言葉で頑張りぬこうと決めたのだろう。
 今、母が居なくなったら、私こそ一番後悔する。それが判っていて自分がはがゆい。

    花菖蒲母のぬくみの裁ち鋏
    夕焼けや母には母の流行り歌
    母の下駄片減り癖に桐の花
    白玉や母の働く音が好き
    蝶結び母に習ひて白靴に
    鬱に居る母の手に置く木の実かな
    花りんご父母の手を引く出湯旅
    更衣母の手擦れの古行李
    厨まだ母の城てふ梅雨ごもり
    白地着て一日母のよそよそし
    母といて寡黙なる日の菊匂ふ
    母のバス行ってしまいぬ烏瓜
    茸飯母の笑みほどよく炊けり
    母の文ひらがな多し泥大根
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自句分析 その2

2006-05-13 11:01:18 | Weblog
      竹皮を脱ぐ(植物園竹林)

 5月21日はGHに初参加した記念日。
 もう3年前の話になる。それがご縁でお近づきできた諸先輩に感謝。
 数日前から何となく過去の(GH毎日句会)のデータを整理してきている
 個人的には句集など出そうという気も無く。ただ記録として残しておきたい。

 2003.5.21~04.12.31(毎日句会のみの記録)

 延べ投句回数  420回
       一句一章    285句
       二句一章    135句

 季語の位置
       上五      213句
       中七       34句
       下五      173句

 入選句            36句

 選句点数   0点句     37句
      1~4点句    203句
      5~9点句    117句
    10~19点句     55句
       20点~      8句

 点数については、選句される傾向を見るためには必要と考えていました。
 参加当初は自分から見ても、句の甘さが目立ち、記録以外に残しようがない。
 ましてや、入選など無かった。初めて入選したのはそれから3ヶ月もたった
 6月23日 1点句でした。
 

 
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自句分析

2006-05-12 19:39:46 | Weblog
      のいばら(赤塚植物園)

 初学のころは師匠が沖だったために主観詠、人事句や二句一章が多かった。
 俳句に出会ってから3年目くらいに、飯田龍太の俳句に出会い、大景を詠みたいと
 思うようになった。そのころから一句一章の客観句に興味を覚える。
 ここ一ヶ月の投句内容、結果をみると圧倒的に一句一章の句に高点を頂くことが
 多くなった。


     芹の水笊にたばしるうすみどり
     春泥を蹴って厩舎のあさぼらけ
     東屋の四方に風ある余寒かな
     梅東風へ御目ふせたる地蔵尊
     春きゃべつきゅるりと水を鳴かせをり
     種浸す桶に日輪溢れけり
     
     花冷や露座大仏の前かがみ
     いかなごや醤油の匂ふ町工場
     羅漢寺の五百の黙や百千鳥
     
   上段の一句一章、下段の二句一章ともに多くの支持を頂いた句だが
   この割合を見ても、投句控えを見ても、一句一章句が多い。
   二句一章  五/十二  十二/五  
   五はほとんど季語に使われる事が多く、またそこに使ってこそ季節の詩に
   なる。時折 中七に季語が使われる場合が有るがやはり季感が薄く感じる。
   と言うか、まだ旨く使いこなせない。

    女身仏に春剥落のつづきけり    細見綾子
    海に出て木枯帰るところなし    山口誓子

 この十二という音節はフランス詩のアレクサンドランと言うのにも有る。
   十二音は人間の呼吸に無理の無い長さだという。
   それにしても「春剥落」は少々無理が有るも「は・は」と続く音韻に女身仏
   に効果的に響いていると感じます。

    くろがねの秋の風鈴なりにけり  飯田蛇笏
    春の鳶寄りわかれては高みつつ  飯田龍太

   一句一章は「けり」で決まった時が気持ちがいい
   
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赤塚植物園だより*11日

2006-05-11 19:24:55 | Weblog
    写俳 呆けたんぽぽ

 昼からの打ち合わせまで少し時間が有るのでいつものように
 植物園へ、つい一週間前にまわったのに、夏の花々の開花が進んでいる。
 入ってすぐ左側の小池には、河骨、はすの開花、右手の小池の淵にはあやめ
 そして、お気に入りの小道には、のいばら、二人静、ときわまんさく、たにうつぎ
 べにばな栃の木、わにぐちそう、そして、昨年連衆とみた、なんじゃもんじゃの木
 薬草園では牡丹が終わり芍薬の開花、聞けば今日開花したとか・・ラッキー!
 ぞして春を花で楽しませてくれた梅が青々と実となっている。
 まさしく草花の体内時計は確実に夏を捕らえているのだ。


 *何てことない結末*

 昨日提議の「子のいない」の作者と「孫いない」の作者は同一でした。
 そして今日の選句分の「孫も子もいない」作者はきっと同一でしょう。
 「独りの柏餅」ですから・・・
 考えてみれば子がいなければ孫は居るはずも無く、そして独り身ならば当然でした。
 それにしても三日間をドキドキさせて頂いて・・・・
 


 
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