「のぼうの城」は、映画から始まって、原作小説を読み、そして舞台となった、行田を訪問することによって完結する。
・・・なんて頭の中で勝手に起承転結を考えながら、土曜の朝、高崎線に乗り、2時間かけて熊谷へ向かっていた。
熊谷から、少しもどる形で秩父鉄道の列車に乗る。
映画の舞台になったためか、駅や車内の広告から、列車のヘッドマークまで、映画のPRで埋め尽くされている。たしかに、注目が集まっているのは間違いなのだが。
熊谷から2つめの「行田市」駅で降りたが、肌寒い。人の往来もここまでないとは・・・?駅長に、「観光なら案内所紹介しましょうか」と聞かれたが、人に指図されて動きたくない考えなので、それは丁重に断った。
パンフレットの地図片手に、小腹が空いたので、駅近くのファミレスで腹ごしらえをしつつ、どう進もうかと考えていた。で、いよいよ出発しようとしたら、
雨じゃなく、雹が降ってきた。
市内には循環バスがあって、それに乗って回ろうと思ったが、ちょうど自分の眼前で通り過ぎていった・・・。しかたなく、歩いていくことに。ま、これがもともとの目的ではあるのだが。
歩くこと、30分。12月の冷たい雨を感じながら、駅から2.6キロ離れた、「さきたま古墳公園」についた。ここに、石田三成が本陣を張った「丸墓山」古墳がある。字のごとく、円墳で、周囲の古墳群と比べて最も高い。
ここから、三成は、忍城を水攻めにさせるため、堤防を築き、荒川などの水を堰止め、「決壊させよ!」と下知し、この集落へ流れ込ませたのだろう。
このときに築かれた堤防が「石田堤」として、今も一部残っている。古墳を下りて、県道へ戻る途中の、この一段高い部分がそうだという。
せっかくなので、ほかの古墳も見ていこう。
雨も上がり、晴れ間も見えてきた。
にゃーにこっち見てんだよ。
黄色い細い目を開けてぼくにそう言っているように見えた。
全部見たと思ったら、1箇所、公園のはずれにあることに気づく。そこは「前玉(さきたま)神社」の土台になっているようだ。
そこも見て回り、戻る途中、1軒ポツンと和菓子屋があった。
のぼりに「塩あんびん餅」とある。はてなんだろう、と思って中に入ると、腰の曲がったおばあさんがいた。塩あんびん餅ってなんですか、と聞いたら、そこの張り紙見てみな、という。餡にあずきと、砂糖の代わりに塩を使ったものだという。
食べ方も3通りあり、一、そのまま食べる。二、砂糖を付けて食べる。三、焼いて食べる。とのこと。
味見のつもりで1個買って、そのまま食してみたが、変わった味で、妙だなと思った。まんじゅうや大福の先入観が抜けなかたからか、のめり込むところまではさすがにいかなかった。
晴れてきて、いなかったはずの人の姿もちらほら見えてきた。次の目的地、もうひとつの石田堤を見に行く。
水路に沿った「さきたま緑道」という、整備された道を1キロほど歩き、途中から細い路地に入る。40分くらい歩いて、ようやくそれらしい石碑のあるところまでたどり着いた。
この小高く盛り上がった部分が、堤防のあとだったという。そして、すぐ近くには、小さな公園もある。
この並びに、ほぼそのままの形で残っている堤がある。
登ってみた。
この櫓の下で、石田堤の堤防を築いた様子をテープで流していた。まぁどんな予算の使い方をしてるんだろかと内心皮肉に思いつつ、イメージ図を見ていたりする。
映画(小説)では、長親の田楽踊りと石田方の狙撃が堤の外にいた農民の心に火を点け、堤防の一部を壊したことで勝負が逆転したが、史実では台風によって堤の弱かった部分が決壊したらしい。それがこの付近だったという。
こうして、攻め方・石田軍の金と人夫をつぎ込んだ一大包囲網の名残を見たあとは、城方のほうを見に行くのだが、以下次回。