KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

築地市場めぐり

2015-12-30 14:56:59 | まち歩き
 今年も、年末恒例(!?)になった、築地めぐりに。
目的も昨年同様、「丸武」さんの玉子焼きを買うこと。

ちょっと寝坊して、着いたときには8時近くになっていた。
細い路地は、すでに歩くのが困難な状況になっていたが、ちょっと広い道路ではまだ余裕で歩ける。


目的の玉子焼きは、整理券もらって並び、ほどなく購入。


早くも目的を達成したところで、朝ごはん。
これも去年行った「又来い家」で、今年は3色丼を食す。



丸武さんをはじめとしたこの一帯は築地市場ではなく、「築地場外市場」


来年、豊洲に移転する予定という「築地市場」はまだ行ったことがないので、せっかくなのでブラブラ回ってみることにした。



場外市場もすごい人だかりだったが、中に入ると通路も狭い、カートが縦横無尽に行きかう。気風のイイ売り言葉に、時には怒号がひびく。

ちょっと怖い、と思いながらも、こういう雰囲気がぼく好きなんだな、と思った。
外国人の観光客もたくさん来ていて、市場のようすをカメラに納めたりしていた。

この市場は、正面から入ると右に曲がり、その後大きく右方向にゆるやかにカーブしている。


これは帰ってきた後でわかったことだが、この市場の外側に、かつて「東京市場駅」という貨物駅があり、ホームを建物に沿うようにカーブさせることで長編成の貨物列車が停車し、水揚げされた水産物を直接積み込みができるようにしたのだそう。
(それを行く前に調べておけば、レポの書き方も変わったろうに・・・)

この外の、表に面したところが、かつての東京市場駅跡。


売り物のドジョウ




この昭和な感じが、またひとつなくなってしまうのはちょっとさみしい。

市場の建物の外に出ると、



おおっ、元祖「吉野家」!こんなところに1号店があったなんて。
ここもおそらく、来年はなくなってしまうかも。貨物駅の調査を含め、あと1回は行ってみたいところだが。

・・・市場を出て、もとの場外市場に出てみると、ごらんの雰囲気で、買い物もままならず。

この時点で、まだ9時半ですよ。

2015年の「KCF徒然草」は、今回がひとまず最終回。
みなさま、一足早いですが、よいお年を。
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今年最後の公開運転のようす

2015-12-28 23:58:59 | Railway&RailwayModels
 大宮ソニックシティでの「さいたま鉄道模型フェスタ」にて、モジュール出展を行いましたので、その様子をば。


全景


45kさん、あうしさん夫婦作の交差点(手前)と、アキサ君作の交差点(奥)を隣どおしにしたために、いつも以上にダイナミックなメインストリートの丁字路に。

電車が次々に右左折直進すのを見て、ギャラリーもビックリ仰天。ぼくもびっくり。


新作モジュール、岳南比奈駅。並ぶ岳南電車&機関車。


クリスマスは時期的にちょっとずれてしまったが。






ちょっと煙突の上で、なつかし雷様が休憩


今年最後の公開運転なので、結構のびのび思い切ったことをやっている感じ。






やすぶしんぞう、というそうです。清き一俵!
まだまだ彼の出番は続きそう(モデルの人物とは一切関係ありません?)

もうひとつの公開運転は、「上尾リハビリホーム 一歩」さんによる、かつての都電神田をイメージしたレイアウト。


交差点は須田町、オレンジ色の電車が走るレンガ積みの高架線はかつての万世橋(旧交通博物館)。



遊びに来てくださったみなさま、ありがとうございました。

 もっと早い時間にブログ書いて公開したかったけど、昨夜からPCのパフォーマンスが上がらず、ほぼ1日がかりで調整(最後はスタートアッププログラムを一括起動しないように設定)してようやくストレスなく(?)かける環境ができたわけで。

ということで、年賀状作成は明日かな・・・。
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クリスマスが終わったあとだって大人が遊んでもいいじゃないか

2015-12-23 21:49:57 | Railway&RailwayModels
・・・と、いう記事書いてる今日はクリスマスの真っただ中。

この時期にこんなタイトルのブログを書く、ということは、そう(!?)、ワールド工芸さん主催の「さいたま鉄道模型フェスタ」がもうすぐ、ということです。

今度の土日(12/26~27)、またまた大宮ソニックシティで、今年最後の運転会に参戦。





大掃除の合間に、あるいは年賀状書く手をちょっとだけ休めて、遊びに来てくれるとうれしいです。

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地球をあげます(!?)

2015-12-20 22:57:08 | 日記・エッセイ・コラム
『ワレワレは、偉大なる宇宙人・怪獣諸氏のための憩いと議論の場としてひそかに運営していた「怪獣酒場」を、キミたちが「地球」と呼ぶ星「M240惑星」の住人達に一部開放(中略)働き者たちが集まると聞いている。うまい酒で日ごろの疲れを癒しに来るがよい。(後略)
 帰ってきた怪獣酒場 店長 バルタン星人』

(パンフレットより)

・・・
昨日、T-TRAKのメンバーによる忘年会に参加しました。
この日は出張のため5時起き、早朝の電車移動~8時半に工場入りして3時過ぎまで仕事、ひーこらひーこら言いながら、半ばヘロヘロ状態でやってきました。

川崎の某ビル地下に、その「帰ってきた怪獣酒場」が。

今回は地球人開放時間のうちの2時間きっかりという設定で。
帰ってきた、というのがまたミソ。

前菜は「ダダの盛り合わせ(?)」と、「禁じられた言葉サラダ(!)」


サラダを食べ終えると、メフィラス星人から究極の質問が・・・!


回答を、皿回収に来るダダ、もとい店員さんに告げなければならない。我々が出した答えは「・・・!」

ドドンゴ一番搾り(生ビール)。


バルタン星人のハイボール。


バニラ(「ウルトラマン」に登場した怪獣)によるストロベリーミルクのカクテル(ノンアルコール)。


アボラス(これも「ウルトラマン」に登場した怪獣)の発砲ブルーシトラス(ノンアルコール)。


「The最強」と銘打ったゼットンのカクテル。相当強い酒だったらしい。


「大阪城の悔恨」。ゴモラ考案という、切断された尻尾のローストビーフ、とっても美味。
よく見るとお皿の形も(^^;


この日は嬉しい(!)ことに、バルタン店長がサンタ姿で挨拶に。


サンタ姿のバルタン星人なので「バルサン」(!?)、煙はいたりしないだろーな・・・なんて冗談もあったが、この日は機嫌がよかったようで、撮影タイムのあと、お客さんひとりひとりに握手して回ってきた。トップバッターがいきなり自分。何たる光栄。

・・・ウルトラマン(は、今回禁句だが)シリーズは、リアルタイムの世代ではないのであまり詳しくはないし思い入れも大きくないが、最近デジタルリマスターされた放送を見て、あ、これ知ってる、こんなのもいた、とか、また数年前放送していた「ウルトラゾーン」という怪獣メインの番組で、「ゼットン番長」が面白くて見ていたので。全く興味ないわけではなかったので。

地球人に開放されていない時間に訪問してくる誇り高き怪獣たちや、にっくきウルトラマンを倒した怪獣たちの輝かしき姿をVTRで流すなども。



ところでこれ誰??

・・・2時間なんてあっという間。かなり疲れてたので、中ジョッキだけで酔いが回ったようで、店出たらあっという間に「怪獣ベロン」になってしまった昨夜のKouChanでした。水はぶっかけられなかったけど、帰ってきて速攻風呂&シャワーを浴びた。

そのたと、お土産をご開帳。
「ウルトラ怪獣石」というアクセサリーと、小皿(箸置き)、ドリンク1杯に1枚ついてくる限定ステッカー。


怪獣石(2個)の中身は、なぜか2個ともカネゴン!金運2倍アップか??

なお、今回のブログはウルトラ戦士、地球防衛軍関係者もしくは正義のヒーローに対してブロックしてます(ウソ)のであしからず。
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MIDIのイベントに行ったはなし パート2

2015-12-15 23:30:13 | 音楽
 前回の補足、というか、ここからメインかと。



会場に来たばかりの時は人がほとんどいない。閑散としているかと思ってたら、

併設していたステージでスペシャルイベントの真っ最中。この時は篠田元一氏、浅倉大介氏、そして松武秀樹氏によるレアな楽器によるライブをやっていました。

実際にライブで動いていた松武氏のMOOG III-Cと、E-μUのモジュールシンセ。


浅倉氏が使用していたのが、ビンテージシンセの中でも激レアレベルの「Prophet10」
ステージ中の写真はNGなので、紹介しているWEBページをリンクに貼ったが、単純にいうと、ビンテージシンセの有名機「Prophet5」を2段重ねて1台に集約してしまったもので、10音ポリ(5音ポリ×2)の分厚いサウンドと、どこかで聞き覚えのあるYMOサウンドが印象的だった。写真は展示されていたProphet5。


そしてこの日最後のスペシャルステージも拝聴。MIDI誕生に関わった音楽家たちのパネルディスカッションで、千住明氏、服部克久氏、そして、冨田勲氏が参加。聞き手は松武氏でした。


当初出席を予定されていた、ローランドの創業者で、MIDI誕生に大きく関わった、梯(かけはし)郁太郎氏は諸事情(!)により欠席。ステージの最後でビデオ出演されておりました。

やはりステージ最中の写真は動画含めNGのためありませんが、冨田氏の、MIDI誕生のころの裏話が最高に面白かった。冨田氏といえばその昔、日本で最初にシンセサイザーを輸入しようとして、軍事関係の機器と勘違いされて税関でひと悶着したはなしは有名だが、それに匹敵する内容で、とてもここで書ける話題ではないのであしからず。

 楽器としてのシンセサイザーは、その歴史の中で、単純な波形(正弦波、矩形波など)を合成(シンセサイズ)することにより、既存楽器をシミュレートするところから始まり、自然音やそれまで聞いたことのない電子音をつくりだし、また発音数も1音(モノフォニック)から複数の音を同時にならせたり(ポリフォニック)、さらに電子楽器であることから、シーケンサーやコンピュータ(1枚目のローランドMC-8など)を使ってプログラム自動演奏もできるようになったが、それをもっと発展させて、あらゆるシンセサイザーを接続し演奏できるようになればと、楽器メーカ6社(日本:ヤマハ、ローランド、コルグ、河合楽器、アメリカ:シーケンシャルサーキット、オーバーハイム)が集まり、MIDI(Musical Instrument Digital Interface)規格の母体になるものを提案する。

1983年のNAMMショーで、この規格をはじめて採用した日米のシンセサイザーを接続し、通信の実証試験を行った。

その時に使われた、シーケンシャルサーキット製のProphet600(アメリカ製)と、

ローランドのJupiter6(日本)。お互いの楽器をケーブルで接続し、一方の鍵盤操作により、相手方の音を鳴らす。この実証実験の成功により、MIDI規格を持つ楽器であればデータひとつでどの国の楽器でも演奏が可能になった。

当初は(今も使われているが)このような太いケーブルで、端子も大きな5ピン端子が標準だったが

PC接続によるDTM(デスクトップミュージック)が普及すると、RS-232などの汎用シリアル通信できる機種も登場する。ちょうどこの時、自分はDTMを始めたわけで・・・。

その後USB用の通信ドライバが開発されたり、一番新しいところでは、Bluetoothによる無線通信できるドライバも開発されるまでになった。

自分は正直、MIDIがここまで続くと思っていなかった。データは8ビットで伝送速度も遅く、パラメータも128までしかなく、自然音を忠実に再現するには不足する、いつかはMIDIを超えた規格が登場してMIDIは消えていくのではという人もいたようだが、今や音楽だけでなく、ステージ照明の制御や映像メディアとのリンクも可能になったとのことで、廃れるどころか、今もそのまま使われているのを見ると、規格に先見の明があったと感じたわけで。

色々と勉強になったなぁ。
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MIDIのイベントに行ったはなし パート1

2015-12-14 00:06:39 | 音楽
 前回の流れから、今回はこんな話を。
土曜日にラフォーレミュージアム六本木というところで「ThinkMIDI2015」なるイベントをやってまして、その1日目に行ってきたわけです。


案内に従って階段を下りて入ると、まず目の前に飛び込んでくるのは、ビンテージシンセの展示!



・・・ただしこれらが発売、活躍した当時はまだMIDI規格はなかったはず。

展示場中央には、MIDI誕生後に登場したシンセが。
FM音源シンセの代名詞、ヤマハのDX7.


手前はKORGの最初のミュージックワークステーション(つまり、これ1台で楽曲製作ができる)M1と、奥がヤマハのEOSの初期型。


90年代のシンセ。これらの楽器が登場したときにDTMを始め、当時のD○Mマガジンやキー○ードマガジンの広告とかで見たりしたが、とても高い上、使いこなせるかの自信もなかったなぁ。


そしてDTM用の音源といえば、こちら。ヤマハMU-80と、ローランドのSC-55。


そもそも今回のイベントに来た目的の一つは、以前横浜赤レンガ倉庫で見た、YMOの使用した楽器の展示だったが、前回と違ったのは、プレイヤー側の視点からの展示だった。
配置順に、細野さん


ユキヒロさん


教授


矢野あっこさん


そして最後は松武さんのセット。


正面はYMOの心臓部(?)ともいうべき重要な、マイクロコンピューターMC-8。これで後ろに控えし大型シンセサイザー(通称タンス)を制御していた。


楽器の詳細紹介は今回割愛。ステージを見た感想などは次回へ。
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忘れかけてた(!)切符のはなし

2015-12-13 00:05:54 | 日記・エッセイ・コラム
 12日ぶりに、会社行かなくてもよくなった土曜日は、都内へあるイベントに出かけてました・・・その時のことは次回書きます。

で、めずらしく今回は、その時の失敗話を。
なんと、Su○caを忘れてくる失態!


(注:これは参考写真です)

気づいたのは駅の自動改札を通ろうと思ったところで、ポケットにからいつものように定期券取り出そうと思ったら中身がスカスカだったことで、ようやく家に忘れてきたことに気づく始末。

家に取りに戻ってまた戻ってくるまでには40分はかかるし、そうすると予定が崩れてしまうため、やむなく(!)切符買うことに。

 今回の目的地に行くには何度か乗り換えをくりかえさないといけない。駅の運賃表と都度にらめっこし、目的地までの料金と経路を確認する。とはいえ、さすがに切符の買い方まで忘れたわけではなかったが。
自動改札通るのも、駅によってはICカードしか通らないゲートもあり、切符が通れるゲートを探したり、出口で乗り越し判定されてゲートが閉まらないか冷や冷やしたり。

そんなことも、Sui○a1枚で使える鉄道会社間の移動であればそこまで考える必要はないのだがね。

久しぶりに、頭使ったような(?)これも現代文明に慣れきったせいか?それとも知性が衰えたのかもしれない・・・いやいや、そんなことまで考えたくはない。

ともかく、出かける前は忘れ物がないかもう一度確かめよう、というのが今回の教訓(あれ?)。

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あの頃小さかった従弟へ

2015-12-08 22:48:44 | 日記・エッセイ・コラム
 夕方、仕事の中休み中に電話がかかってきた。

 電話の主は、もう10年以上会っていない従弟だった。昨年結婚し、先日女の子のパパになったというので、出産祝いを出した、そのお礼の電話だった。

彼が小さいころは関東に住んでて、たまに家族で遊びに来ていたこともあったが、今は母親の地元でもある高知に住んでいる。

彼に関しては、その小さかった、ほんとに赤ん坊に近いころの印象が強い。歳も10歳違うので、自分もその時はまだ中学生だったが。

男の子なのに、やせっぽちで、あまり食べない。おとなしい感じだなと思っていたが、ある夜、彼が発作的に泡を吹いて苦しみだし、これには両親もうちの親もあわてふためいて、父の運転で夜間病院に連れて行ったのに同乗した。治療(?)の甲斐あってなんとか事なきを得たものだが、あとで聞いたところでは「てんかん」に近い症状だったという。
この夜の病院でのことは、自分にとって相当ショックだったようで、今もたまに夢に見る。

 そんな彼も大人になり、よさこい踊ってる写真見たり、料理店で働いている話も聞いたり、昔の病弱なイメージはどこへやら、元気にやっている様子だった。最後に会ったのは、祖母が亡くなって葬儀に参列したときだった。以後、ほとんど音信がなかったにもかかわらず、ある日突然、結婚しました!というメール(だったか?)を送ってきて・・・。
もうそんな歳になったんだなと。自分のトシから逆算して考えれば、これも納得できるはなしなのだが。


今回のはなしにあまり関係ないが、サブタイトルのインスピレーションはこちらから。

あの頃小さかった人たちへ ノッポさんからメッセージ(朝日新聞デジタル)

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塩ちゃんこで忘年会

2015-12-06 11:00:49 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜は、今年最初の忘年会。メンバーは大学時代の同級生たち。
めずらしく、自分が一次会をセッティング。


今回のメインはこの塩ちゃんこ鍋。
コース&飲み放題でありながら、酒は瓶ビールだけ(?)だったような。

今回選んだこのお店、過去に利用したことがあるが、


おでんが目玉というらしいので、コースにはないおでんセットを追加注文。


さいごはこれもコースになくて追加注文した雑炊セットで〆。

いや~美味かった。

二次会以降はgdgdなので割愛、としたいが、あえて書くなら、カラオケ~ボーリング~ラーメン店を渡り歩く、今回のメンバーではいつもたどるコースへ。久々に終電の時間まで遊んでたなぁ。
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わたしは何でこのようなつらいつとめをせにゃならぬ【訃報】

2015-12-01 22:37:20 | アニメ・コミック・ゲーム
 この方は、人間の世界を自由に存分に生き切ったのち、大好きな妖怪の世界に行ってしまわれたのかもしれない。
うがった見方かもしれないが、先の戦争を生き抜いた人たちはみな、それぞれの晩年までエネルギーに満ち溢れていたように思う。

水木しげる氏 93歳

過去2回ほど、こちらこちらで水木氏のことを書いてきたが、最後の自伝マンガはいまだ読んでいない。

「ゲゲゲ」というのも、子供の時に自分のことを「げげる」(しげる:茂)と呼んでいたことからだし、ねずみ男を象徴する「ビビビ」という言葉も、兵役中のビンタの音から来ている、というのも、知ってる人はしっているネタなのだが。

 その「鬼太郎」は、自分はどちらかというとアニメを見ていた派だし、子供のころは雑誌で「悪魔くん」が連載されてたのを読んでた世代なので、初期のころのおどろおどろしい鬼太郎や妖怪たちを見たときは、ぎょっと立ちすくんでしまったほどだ。数年前、「墓場鬼太郎」の深夜アニメを見たときも、同じ気持ちになった。

 兵役体験を基にした「総員玉砕せよ」では、戦地ラバウルで、同年代の若者が戦闘で、時には今では考えられない理不尽な理由で、あるいはマラリアなどの病気で仲間が次々命を落としていく。そんな中で生き残られた水木先生は、彼らが果たせなかったまで生きたのだろうと、思いたい。

今回のサブタイトルは、「総員~」に度々登場する歌の一節から。
今を生きる自分の辛さと、戦場での氏の辛さは比較しようがないが、時々うたって傷ついた心をいやす(?)のもまた一興かと。


合掌
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