昼食を終え、漁港を目指して歩きつづける。しかし、目の前には、想像もしなかった光景が次々と・・・。
津波をかぶったガソリンスタンド。
横倒しになった漁船は8か月たった今もそのままだ。
地震で地盤沈下が起きたという。歩きづらい場所はいくつもあったが、歩けるところは歩いたかな。
水揚げ漁港も半分、沈んでいる。しかし、よく見たら営業している。
余談だが、昨日見たニュースで、気仙沼がカツオの水揚げ量が全国一になるとのこと。地震によっていつもの年の4割減といいながらそれでも全国一とは・・・どれだけスゴイことだろうか。
丘の上から、町を眺める。
まるで戦争の後みたいだ、といった人がいた。ぼくはそこまで思わなかったが、時々風に乗ってくる海水の濁ったような臭いが気になった。この日は特に風が強かった・・・。
さらに歩く、やがて、広い場所に出た。遠くに、がれきと化した自動車やバイクの山が積み上げられている。
この盛り土、おそらく踏切だったのだろう。ということは、ここは・・・。
遠くに、コンクリートの土台。よく見ると、鉄道のプラットホーム・・・・間違いない。ここは駅だ。レールは津波で流されたのだろう、枕木すらなくなっていた
営業休止となった、南気仙沼の駅だ。気仙沼市の中では、ここが町の中心だったようだ。観光客や市民の足として、駅で待機していただろう、バスも津波の被害に遭った。
住宅だけでなく、工場や商業施設、そして、娯楽施設まで、津波は人々の生活を容赦なく押し流してしまった。
時々通る、復興支援のトラック。電柱は新設されたようだが、まだ電線は張られていない。
こちらも被害に遭ったバス。津波で押し流されたあと、ガソリンが引火して焼けてしまったのだろう。
気仙沼の駅へ戻る道すがら、漁港の裏側へ出た。
さらに、横丁を歩いていて、こんなものを見つけた。
こどもたちの描いた絵だ。大きくなったら・・・になりたい、という思いが、紙いっぱいに、クレヨンを通じて伝わってくる。
本当に少しずつではあるけれど、町をよみがえらせんとする人々を知り、旅の充実感と同時に、安堵した。正直、物見遊山で来ることがいいのだろうか、と、出かける前は何度も思ったり、そのためにホテルの予約すらためらった。しかし、屋台村で会ったおばちゃんに、(気仙沼に)来てもらうだけもありがたいと聞くと、その不安は少しは払しょくできたのだろうかな?
駅に戻り、再び大船渡線で一ノ関へ戻る。間食用に、サブレを買った。
気仙沼市のマスコットキャラクター、ホヤぼーやがデザインされたサブレだ。中のクリームにパイナップルチップが入っていて、ちょっといい歯ごたえ。
さすがにホヤは入ってませんでしたが。
気仙沼から少し走ると、レールが左に分かれていく。気仙沼線は、先ほど見たように、今もレールが途絶えたままだ。
レールよつながれ!そう思いながら、鉄道フェスタ会場のある、水沢に向かいます・・・というところで、この続きは次回。