小学3~4年生ごろ、はじめて家にビデオデッキがきた。当時はもうマイナーになったベータマックスだが。
たぶん親の提案で、NHKの「みんなのうた」を録っていこうということになり、毎日夕方、番組の時間になるとビデオデッキにカセットを入れ、放送開始に合わせて録画ボタンを押すのが日課になっていた。まだタイマー録画というのも知らなかったし、テープの位置合わせもわかってなかったので、前の曲が終わらないうちに次の日の曲がかぶさってたり・・・、けっこう失敗してたな。
一番最初に入れたのは、「しあわせのうた」と「カメレオン」の2曲。それから新しい曲が入るたびに、どんどん足して、二十数曲くらいにはなったと思うが、そのうちアニメの主題歌入れてみたり・・・。再生する機械もなく、テープもどこかに行ったみたいなので、最終的に何を録画したか、確認はもはやできない(?)ですが。
先日、「みんなのうた」のスペシャル番組を祝日の朝に放映していたが、出勤日なので録画しておいたのをあとでゆっくり視た。当時録って聴いてた曲とか、学校で習った曲とか続々出てきて懐かしくなった・・・。
「コンピューターおばあちゃん」や「ビューティフル・ネーム」はもちろん、「勇気一つを友にして」「小さな木の実」「山口さんちのツトム君」・・・特に70年代のうたに一番影響されてて、「トレロ・カモミロ」が紹介されたときは、思わずうれしくなったね。オレ!オレ!オレ!・・・って。もちろん、詐欺の一種ではないですよ。
余談だけど、インタビューVTRに登場した坂本龍一氏が「クラリネットこわしちゃった」が好きだったというのは意外だなと思った。「ドとレとミとファとソとラとシの音が~でな~い♪」って、それはさ、もう・・・(以下自主規制)。
最近は放送そのものをあまり見なくなった上、子供のころみてた印象(特にあの独特なアニメーション)が強くて今のうたについていける自信がない。親は最近、いきものがかりの「YELL」を買って車でヘビーローテーションで聴いていたのだが。たまにでもいいから、節目の今年だけでなく、今後も昔聴いていたうたも流してほしい。
そのためには再放送リクエストするのが早道なのかな??
川崎市幸区の幸市民館で「ちゃれんじ・さいわい」というイベントがありました。
毎年夏に同じ川崎の多摩市民館にて工作教室をやっている(終わった後で工具の使い方に嘆いてばかりいる、あのイベントです・・・)わけですが、それと同じことを、イベントの体験コーナーのひとつとして、しかも、シニアの方を対象にしてやってほしいというオファーがじつは来てまして。メイン講師のBlackJunk氏を中心に、鉄火巻氏、のがわ氏、信号長Y氏と講師は5人体制に対し、参加されたのは6名でした。
手前の女性2名は市民館の担当者です。
さすが、年の功とはいささか失礼だが、刃物の扱いに危なそうな方はいなかった、と思う。工作をほとんどしない方から、鉄道模型に関して自分より経験豊富な方までさまざまでしたが、わずか2時間という短い時間で手際よく組み上げていく。もともと小学校高学年向けの工作で失礼なのかなと思っていたのですが、参加された方から、ジオラマってどのように作るのか誰も教えてくれないから、その手ほどきを受けられただけでも良かったと仰られ、最初の不安は払しょくできたと思う。
参加された方々の完成見本はごらんのとおり。ひじょうに丁寧な出来栄えだ。
これも今後定例イベントになるんだろうなぁ、と思った。アレを聞かされたら・・・。
めずらしく終電近い電車で帰宅しました。
今月は担当している製品の評価を進めていて、いま一番ピークな状況に。先週の九州出張もその一環でした。
ただでさえ忙しいのに、こないだの台風で帰宅命令が出たときはさすがに参った。帰るべきか、台風が過ぎ去るまで残るべきか本気で悩んだもの。
明日は、午前中とある市民館にて工作教室のスタッフ業務(?)、その後会社に舞い戻って仕事の続きかぁ。これもレポしないとね。
朝録画した「みんなのうた」のスペシャルは、それらが終わってから見ることにしようかな。あ、タ○ーレコードの話もまだ書いてない・・・。
ほかの人の例にもれず、自分も台風の影響をうけたひとりです。
午後、突然会社から、台風接近のため帰宅せよと放送があった。外を見ると、空は暗く、風と横殴りの雨が窓をたたきつけていた。交通機関の影響でる前に帰りたかったが、どうしても提出しなきゃいけないレポートを作成するため、ほかのメンバーが帰る中、残って作業を続けた。
作業はけっきょく定時までかかった。そのころから、何度か停電になった。あとで知ったことだが、神奈川県全体で大規模停電だったとのこと。レポート作成中に停電し、帰りの交通情報を検索しようとして停電し・・・これが続くとさすがにパソコン壊れちゃうぞ。
仕事もとりあえず区切りがついたので帰宅することに。その時にはもう電車は動かないことは知っていた。とりあえず駅に行こうと思ったら、乗合バスがふつうに動いていた。なので、横浜まで行くバスにすぐ飛び乗る。案外、混んでいなかった。
横浜駅に着く。
このとき鉄道はすべて止まっていた。脚立に立つ男の人はおそらく新聞社の方だろうと思うが。半年前のあの光景を思い出すが、震災の時と決定的に違うのは、台風が去ってしまえば電車は動き出すだろう、と思えたこと。それでも、足止めされているのは間違いないが、じたばたしてもしょうがないので、電器店に立ち寄る。本当はトイレ使いたかったのだが・・・。入るときなり、「最新ケータイのキャンペーンやってま~す!」と大声で叫ぶ兄ちゃんが・・・商売人だなぁ、という思いと同時に、彼に対する無神経さを感じた。帰れなくて、帰れるのを待ってる人も店には大勢いるのにさ・・・。
駅に舞い戻ったが、まだ動く気配がない。でもいつかは再開するだろうと、ふつうにホームで待つ。人は少ない。
しばらくして、京浜東北線が一部運転再開するのとの放送があり、ほどなくして列車が来た。北行では非常に珍しいだろう、鶴見行きだった。
東神奈川で横浜線に乗り換える。が、こちらも運転見合わせ。なんでも、線路に倒木があり、その除去作業中のためという。こちらは20分ほど待って、ようやく動き出した。
その後も、状況が刻々変わり、倒木の撤去が終わったかと思えば、今度は異音騒ぎでまた見合わせ。その都度駅で長時間停まり・・・情報によると、異音の正体は、ビニール傘を電車が踏みつけた音だったらしい。
・・・といろいろありながらも、無事に帰り着くことができた、はずだったが、帰ってきたら真っ暗・・・停電だった。
3連休のうち2日は完全休養。きょうはちょっと出かけたい気分なので、
まずはこんなところへ。駒込で降りたのは初めてだ。その目的は、
電動貨車「乙2」を見に行くこと。塗りなおしてきれいにしているようだが、内部は案外昔のままみたいだ。
ここから次どこ行こうかと思案してたら、上野方面へ行くバスが来たのでそれに乗る。昔の都電20系統のルートで不忍通りを行き、池之端2丁目で下車。
ここにも保存車、7500型がいる。場所もかつて停留所があった場所だ。
ここからは広小路まで歩いていく。
途中で動物園用のモノレールに遭遇する。よく考えるとこれも都営交通なのよね。
さて、駅に着いて、次に、新宿歴史博物館に行こうと思ったのだが・・・最寄駅の曙橋へは・・・?はて、どのようにいくべきか。
迷った末に、大江戸線~南北線~新宿線を乗り継ぐことに。乗り換えで何百メートル歩いたことか。これなら最初に駒込戻ったほうがよかったのかな?
なにあともあれ、昼前に博物館に到着。
勘のイイ方はお分かりかもしれないけど、ここにも都電・・・レプリカだけど・・・がいるのでして。
こういう家をいつか家族できたら建てたいのだが・・・今の住宅ってなにかと合理的過ぎていまいち気に入らんのよね。
そのあとは、新宿へ出る・・・といっても、昼食を摂っただけで、ここから一気に京王八王子へ。
先日、RMMスタッフブログで紹介してたが、K-8ビルにポポンデッタが新規オープンしたので、様子見に。
レンタルレイアウトや、
京王で過去使われたヘッドマーク類も展示。
新宿-京王八王子間の行先板は山形、ではなく、八王子の「八」をデザインしたもの。こうした資料性の高い展示物を順繰りに出すらしい。
大した買い物は今回できなかったが、同じフロアにタワーレコードがあって、こっちにも興奮・・・ですが、その話は次回。
朝、メガネのフレームとつるが外れていた。つないでいるはずのネジがみごとになくなっていた。
昨日までふつうにつけていたので、いつどのように外れたのかまったくわからない。直そうにもネジが探しても見つからないので、外出ついでにメガネ店に寄り、修理もお願いした。
偶然にもサイズの合うネジがあったそうで修理はできたが、直してもらった箇所を見る限り、自然に外れたとは考えにくいのだが・・・メガネを愛用される方、こういうことってふつうにあるものでしょうか?
返信メールに少々おっかなびっくりなKouChanです。
先日、とある方から会報用の原稿を書いてほしいと依頼され、8月末が締切というので、ワードで原稿を書いて送信。ほどなくして返信がきた。間を置かないので何事かと思ったら、「ありがとうございました」の一言・・・とりあえずほっ。
会社ではメールに作成した報告書や仕様書を添付して仕事を進めることも多々あるが、時に添削されて真っ赤っかになったレポートを返却されると、ヘコむ。今週出張した帰りの新幹線で、同乗した上司から、これまでの進捗状況を簡単にレポート報告せよと指示され、休みのきょう、家にそのメールが飛んできた。
休みの日は(誰もがそうだろうけど)あまり仕事する気はないのだが、ひととおり作成し、メールにそのレポートをつけて返信。そのレスポンスがさきほど返ってきた。厳しそうな人だからあれを直せこれはどうなったと指摘されれるかと思ってたが、「ありがとう、助かりました」とこれまた一言だけ・・・ふーっ。
ところで、冒頭の会報は来年発行予定だって・・・、急ぐ必要なかったってこと!?
週末は、社内の同じ大学出身による集まりで、伊東に一泊してました。
伊東にある某有名ホテルにて、宴会と露天風呂を楽しんできたのですが、ホテルの様子がいつもと違っていた。
まず、車で乗り付けると、過去は入口で車を預け、駐車その他はホテル任せでよかったが、今回は自分で駐車場までもってって停めてくれと。横を見ると、ホテルの前の飲食店もところどころ閉店している。
車を駐車場に置き、そのあとでチェックインすると、ロビー横の浴衣のコーナーからサイズに合った好きな浴衣を1着持って行けと。部屋には帯しか用意していないという・・・。
エレベーターに乗ると、昔はあった案内モニターが撤去されていた。
なにより、団体客が極端に少なくなり、家族連れが多くなった、とは参加した同僚から聞いた。折からの不景気で慰安旅行が激減したことと、ちょうど半年前の震災の影響をもろにかぶったことが原因だろうという話だが。
そう聞いて子細に見ていくと、ほかにいろんなところでケチって、失礼、経費節減の苦労のあとが垣間見える。浴場にはバスタオルを置いておらず、部屋から持参するシステムに代わっていた。しかし回収ボックスだけは残っていた。
今思えば、昔がかなり贅沢で、至れり尽くせりな面があったから、その感覚で行くとかなり戸惑い、ときに落胆する結果になるのかもしれない。
でも、いかにホテルがそこまで深刻(?)な状況でも、宴会でやることはなにも変わらなかった。今年は十年ぶりに2年続けて計3人、母校から新入社員が入り、逆に昔いたメンバーが定年だったりご高齢ということもあって参加はあまりなかった。宴会の後の二次会での狼藉ぶりも相変わらずだった。新人君3名は当然面喰ってたな。
こういうことがいつまでできるだろうか?深夜、寝付けず起きていた仲間とそんな話をすこしした。聞くと、ほかの大学OB会の中には休会、あるいは解散したところもあるという。不景気の影響とか、メンバーが集まらない、遊んでいると思われ上から睨まれている、などが理由らしい。そんな中で、部署の垣根を越え、役職の垣根も越え、ただ同門出身というだけのこのゆる~い集まりがあることは、会の中で顔を覚えてもらうことで、普段の仕事ではほとんど関わらない人との交流も生まれるし、もしも会社内で困ったときに相談できるからやっぱり必要なのだろうと、そんな結論(?)になった。
いつか昔味わったような盛大な宴会をもう一度と思うこともあるが、それはもう無理なのだろうか?