今日は元・自衛隊員で、いまは社員寮の管理人をなさっているW氏の貴重なおはなしを。
10月にも書いたが、Wさんは自衛隊の中でも災害発生時に先発隊として駆けつけ、被災者の要望により、人命救助や復旧などの活動を行っていらした。'04年の中越地震や十勝沖地震でも真っ先に駆けつけたとのことだが、'95年の阪神・淡路大震災での話が非常に心に残ったので、忘れないうちにここに紹介したい。
'95年1月17日未明、阪神地区を襲った巨大地震。TVニュースに飛び込んでくる神戸の街、あちこちから立ち上る炎・・・。そのとき、自衛隊のヘリは、その上空を飛び回り、ただ様子を見ることしかできなかったそうだ。基本的に、自衛隊の救助活動は県知事から要請があり、正式な命令が出ない限り行うことが出来ないためだ。都市の惨状をずっと見ていてたまりかねたパイロットが、W氏にこう尋ねてきた。「・・・どう思われます?」。W氏は「その質問はプライベートとしてかね?それとも仕事としてかね?」と聞き返した。するとパイロット「・・・両方です」。そこでW氏は「個人としては手を貸してやりたいが、仕事としてならそれはノーだ」と答えた・・・。
ヘリが淡路島上空を飛んでいたとき、下の学校で降下のサインを見たので、ヘリを下降させた。風圧が強いので着陸はできず、20メートルほど上空でヘリを静止させ、W氏はロープで降下した。話を聞くと、学校に避難した被災者のなかに病人がおり、一刻の猶予もならない状態なので、自衛隊のヘリで病院へ搬送できないか、とのこと。しかしこのとき、自衛隊にはまだ災害救助命令がおりていなかった。W氏は考えた末、その病人を阪大病院へ搬送することにした。正式な命令が下されたのは搬送が無事完了する直前だったが、その患者さんは一命を取り留めたそうだ。
その日の業務日誌とフライト日誌に、救助した時間と命令が実際に下った時間を書き記したのだが、それを見た上官がW氏を呼びだし、どういうことかと説明を求めたそうだ。W氏は実際の通りに書いただけですと答えた。このままでは命令を無視して活動したことになるが、どうするのかねと尋ねられ、その時は自分が全責任を持ちます、とW氏は答えた。上官はそれ以上何も言うことが出来ず、困り果てて当時の最高責任者に報告をした。その責任者も悩んだあげく、「Wさん、これでは命令違反になってしまうので・・・」と、何らかの処分を言い渡したそうだ(処分の内容までは聞けなかったが)。
・・・災害の実状や、自衛隊の立場について非常に考えさせられる話だった、と思う。
食堂でこの話から始まって、先の中越地震、そして今問題になっているイラク派兵の話まで、当事者にしかわからないような話を実に1時間半もたっぷり聞くことが出来た。いつかは紹介しようと思うが、それらはまたの機会に、ということで。