前々から指摘されてきた大相撲の八百長疑惑について、別の賭博事件で押収された携帯電話のメールから”証拠”としてでてきた。これを受けて、名前の挙がった力士を調査し、3人が八百長に関与したことを認めた。事態を重く見た日本相撲協会が、ついに来月の春場所開催を中止した・・・。不祥事がきっかけで開催中止に至ったのは史上初だそう。
・・・まったく、残念としかいいようがないね。膿(不正とか諸々のことだよね)を出しきるまで相撲興行はお見せできないと、理事長は言ってたが、それが本当ならいつになったらまた相撲を見られるのだろう?
相撲ほど、日本文化に根強く関わっているスポーツ(?)もないかと思う。協会は文部科学省の管理下にあるし、神社などへの奉納相撲っていうのもあるし、力士一人ひとりに支援者も数多くいる。静岡に住んでいた頃、大相撲の取組結果を報じるニュースの最後に、きまって県内出身力士(幕下)の取組結果も報じるので、さすが日本の国技(注:とみなされている。日本には正式な国技はないそうだ)だなぁと感じたものだ。しかし一方で、根強い裏社会が指摘される一面もある。他のスポーツに比べて野球賭博や八百長が騒がれるのも、ある意味日本が持つ文化の一側面なのかもしれない。
とはいえ、大相撲の勝負を売買、あるいは貸し借りする「八百長」はやっぱりよくないな。興行にいくら「みせる(見せる、魅せる)」という特色があるからといって、はじめから決まっていたのじゃあねぇ。支援していた人の落胆ぶりは、TVで見てても察するにあまりある。
TVで、「人情相撲」のことを報じていた。江戸時代、貧乏力士だった佐野山は、親が病気で薬代もままならないという。そんな状況を聞いた、当時向かうところ敵なしの谷風関、佐野山との対戦でわざと敗れた。これにより佐野山は、多額の報奨金を貰い、借金を返し、さらに親のために医者を呼ぶこともできた。世間では、谷風がなぜ佐野山に敗れたのかわからなかったが、やがて谷風が一世一番の大芝居を打って敗れたことが知れ渡ると、人々は彼を責めるどころか、「人情相撲」だと谷風を喝采したという・・・。
だけどこれは、「八百長」ではない。相手の境遇を思ってわざと負けることと、お互い了解の上で星の売買をすることとは、区別されなきゃならない。
八百長へ走ってしまう理由のひとつとして、幕内にいるかいないかで、給与、待遇面等で大きく違うことを挙げた人もいる。幕下へ落っこったら給与なし、というのは、ぼくら平凡なサラリーマンにはキツイ話だ。番付によって地位も成績もはっきりしているので、相撲ほど、実力主義が明確なのもないだろう。だからこそ、十両に昇進した力士(関取)は安定した生活が出来るようになり、さらに上を目指すこともできるし、また、幕下へ転落したことを契機に引退する力士が多いのも頷ける。
幕下以下の待遇を良くしろと言う意見もあるが、たとえば、いったん相撲の世界に入ったら、まず身の回りのものをいっさい取り上げ、まさに裸一貫からスタートさせる、というのはどうだろう。今はPCやケータイがすごいスピードで氾濫する時代。だからこそ、そういうモノをいっさい持たせず、とにかく相撲の世界をとことんまで味わわせ、稽古あるいは力士の付き人として働く。付き人になったら、まさに関取とのマンツーマンのOJTというわけだ。その代わり、各部屋は親方が彼ら幕下以下の力士の生活についての一切を、責任もって受け持つことを義務づける・・・。というのはどうだろうか?
とすると今度は、閉鎖的になって、事件にもなった親方や兄弟子による暴行も起こりかねないので、それをファンや後援会達がしっかり見守ったり、あるいは苦情を労働組合のような組織、しかも外部組織に直接訴える権利を力士に与えたり・・・?
最後はちょっと無責任な提案になってしまったようですみません。でも相撲を安心して見られるようになるための荒療治と思い、一日も早く気持ちよく大相撲を見られるようになりたいと、ぼくも願うわけです。楽しみにしているおじいちゃん、おばあちゃんもホント多いですからね。