KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート5

2016-04-29 00:59:48 | Railway&RailwayModels
 前回のつづき。
はりまや橋から、次は左へ曲がって、北方向の高知駅前へ。


最初に降り立ったときは、もう日も暮れて全貌もよくわからなかったが、高架駅になって全く姿が変わってしまった高知駅。

土佐の三傑。中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の三氏。


ここから、JR土讃線のローカル列車に乗る。
後免から土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」へ乗り入れる、奈半利(なはり)行きの単行ディーゼルカー。

描かれているキャラクターを手掛けたのは、高知出身のやなせたかし先生。ご存じ、アンパンマンの作者だ。

ディーゼル音も軽やかに、定刻に出発。
ごめん駅には、マスコットキャラクター「ごめんえきお」君がいる。

ごめん、といっても謝っているいるわけではない。
ちなみに漢字で書くと「御免」ではなく、「後免」。

ここから「ごめん・なはり線」に入り、一つ目の「後免町」で下車。駅のキャラクターは「ごめん まちこ」さん。


とさでんの終点でもある乗り換えの駅。

余談だが、「ごめん・なはり線」の路線は、かつて存在していた土佐電気鉄道の鉄道線(後免~安芸)のを一部再活用している。

その鉄道線は、今駐車場になっているあたりを横切り、路面電車の線路と、左方でつながっていたようだ。

ふたたびとさでんに乗る。今度は逆に、はりまや橋方面へ戻っていくかたち。

車両は何度目かのアンパンマン装飾電車。前回とは違うデザイン。今度は前にかぶりつき。
古い街角、決して広くない街道の真ん中を、右に左にカーブしながら駆け抜けていく。

対向車の行先板は赤地にひらがなの「ごめん」。

可愛い女の子がこんな感じで「ごめん」なんて言ったら許しちゃうか!?

そんな中、めずらしく試運転の電車とすれ違う。

行先板がひし形でなく、ホームベース形状で「試運転」と書かれている。察するに、乗務員養成の訓練電車か!?

とさでんの最新鋭、といっても登場はもう十数年前になるが、低床、3連接車体の「ハートラム」もこのときはじめてみた。


文珠通電停。大半の電車がここで折り返す。


到着するのは、新しいとさでん交通のオリジナルカラー車。


このあと来た電車でふたたび移動。こんどは「葛島橋東詰」停留所で下車。


駅のすぐ先は国分川。そしてそこに架かる立派な鉄橋。最近架け替えられたものだ。


ここで電車を何本かやり過ごし、次に乗るのは、先ほどすれ違った「ハートラム」こと100形。


バリアフリー時代を見越し、これからの路面電車の理想モデルとして開発された「リトルダンサー」シリーズ。

しかしながら、高知ではこの1編成(3両)しかない。こんどはまた最後尾に乗り、後ろの風景を。

すれ違ったのは、最近ラッピングされた「サイバラ電車」。やはり高知出身の漫画家、西原理恵子氏デザインだが、「毎○かあさん」ではなく、昔の自キャラになっている。

そのまま、またもとのはりまや橋に到着。これで東、西、北の路線は制覇。



時刻は11時を回ったところ。天気はとても良いが、風が強い。
喉も乾いたため、コンビニで牛乳飲んで一息つく。

高知がふるさとの方、懐かしいんじゃないかしら(^^;

続きは次回。
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じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート4

2016-04-27 23:25:00 | Railway&RailwayModels
「東京でなくても「トデン」に乗れるのはどこ?」という鉄道クイズを昔読んだ本か何かで憶えてたものだが・・・?そんな前置きはともかく、前回の続きで、11日(月)のはなし。

早朝6時。ヘルスセンターを後にして、空が白み始めた伊野の駅前に立っていた。


この日は、平日にもかかわらず、東京に帰るまで、ひたすら目的の電車「とでん」(現在は「とさでん交通」)に乗る。

電車はまだ来ていない。
先に東京へ帰ってしまう弟と2人、列車が来るまでのわずかな時間である場所へ。

今はパーク&ライドの駐車場となってしまったが、かつてはここに4線分の車庫があった。
その面影は、左側の線路と架線に残っている。

子供の時は、ここに停泊する電車を見に、やはり早朝に起きてひとりで(そのころの弟は未就学児)でかけて、出庫する電車を眺めていたものだ。

今は駐車場への取り付け道路となっているこの場所にも、レールが残っている。ここを朝、停泊していた電車がゴトゴトゆっくりと降りてきて、ポイントを通過して伊野の停留所に入ってきたものだ。

車庫もとうの昔に廃止になり、レールは本線とぷっつり切り離されてしまった。

伊野停留所に来たとき、ちょうど1番電車が入ってきた。

都電7000型(旧)をモデルにした、主力600型が入線。「いの」と書かれた赤い行先板を見ると「とでん(土電)だ~」と。

が、ここで思わぬことが。なんと続けて、もう1両やってきて、

停留所に2両並ぶ。かつては2両が連結して運転もしていたこともあるが、それを髣髴とさせる光景。

しかしその時間はほんのわずかで、あとから来た電車はすぐに折り返し上り電車とし引き返してしまう。次の電車に乗るのだが、ここでJRの列車に乗る弟と別れる。

伊野駅の駅舎(待合室)は、蔵を模した造りになっている。
電車の行先は「文珠通(もんじゅどおり)」。かつては車庫、工場があった「知寄町」だったから、区間延長されたことになる。

6時31分、ようやく出発。客は数人。1日乗車券を事前購入していたから、途中の乗り降りも自由だ。

なのでこのまま順調に乗っていく、ということもせず、新しくできた「北内」という停留所で最初の途中下車。


伊野商業前の停留所。歩道橋の上から。右がJR土讃線、道路は国道33号線、そして左がとさでん。電車は21分間隔とのことなので、次の電車が来るまで、風景を楽しみながら先を歩いて移動する。
歩道橋の反対側から。


とさでんの伊野~鏡川橋は単線になっているため、途中でこのような行き違い設備がある。これは中山~八代通間の交換設備。


そしてここでは、今では珍しい、タブレット(通票)による閉塞を行っている。タブレットといっても、別にiP○one使うわけではない。このタブレットを持っている電車だけが、決まった区間を走行できる仕組みになっている。

いま、上り電車が下り電車との行き違いのため待機している。

そして、運転士が渡そうとしているのが、そのタブレット。

行き違いを終えた上り電車。全面萌えな女の子のイラストが入った、アミューズメントセンターの広告電車だ。



出発からこの時点で1時間半たち、平日朝ということもあり、お勤めの方、なにより学生がたくさん乗っていた。車を運転できない彼ら彼女らにとって、なくてはならない足であることは確かだ。

咥内(こうない)の停留所を過ぎると、いの町から高知市内に入る。上のガードはJR土讃線。
坂道を下ると、朝倉駅前の停留所に着く。ここで2度目の下車。学生さん達に続いて降りる。


JRの駅からも、たくさんの学生が。
そしてここからまた少し歩いて、隣の朝倉電停へ。目の前に「高知大学」があることから、「朝倉 高知大学前」と呼ぶようになった。

ここには数人の客が道路端で電車を待っていた。ちょうど入ってきたのは、朝倉止まりの電車で、ちょうど始発になる。

こんどはアンパンマンの装飾電車。

前は混むので、電車の最後尾の席で、後ろから風景を楽しむ。
朝倉~鴨部までは、狭い道路の片側、道路の半分近くを占有して走る。今乗っているのは上りなので、交通にさして支障はないようだが、逆の下り電車になると、逆走になるため、行き違うクルマを運転する人にとってはきびしい(?)かも。

鏡川橋電停からは、複線になる。朝ラッシュの最もピークになる時間帯にさしかかる。

行き違う電車、そして後に続く電車を眺めながら、せかせかしているほかの乗客を横目に、ぼくはのんびりした感覚に。

後続のオリジナル600型は女性の運転士。
マスコンは外からもわかる大型(ダイレクトコントローラー)のものだ。

偶然すれ違った、金太郎の腹掛けのような、オールドカラー仕様にも。

はりまや橋の一つ手前、堀詰(ほりづめ)で下車。食事休憩をとるためだ。

まっすぐ伸びた線路、交差点ごとに待っている何台もの路面電車。朝にしか見られない風景。

そしてはりまや橋。ちょうど高知駅方面から道路を右折する電車に出会う。



時間的にはまだ2時間半くらいしか経っていないが、この続きは次回。
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4月10日のできごと その2 と、たまには今日のこととか

2016-04-23 20:58:52 | 日記・エッセイ・コラム
 ブログ上では、先日の四国へ行ったはなしを延々続けてますが、今なにもやっているわけでもなく、普通にいそがしい。

きょうは朝から高尾山へ。観光ではなく、登山のトレーニングで。
ゆえに乗り物は一切使わず。


高尾山なので、頂上で食べるのも、やっぱりお蕎麦でした。

今年から、時間を見つけて、近くの山とか登ってみたいと思い、その第1弾の実行と相成りましたが、結構疲れたなぁ。


前置きが長くなったが、前回の続き。
その日の夕方、とある中華料理店で夕食。

ここで、昼間会えなかった従弟が、この店で働いているというので、親戚があつまって会食ということに。



彼がフライパン駆使して作ったという料理が次々運ばれる。これがまた美味しいのなんの。

日曜で繁盛していたためか、途中で抜け出して来る予定があったそうだが、けっきょく来られず。でも、それでいいんだ、がんばってくれればさ。


次回からいよいよ・・・!
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4月10日のできごと

2016-04-21 23:21:14 | 日記・エッセイ・コラム
 その日の朝は、晴れてるでも涙雨でもなく、どっちつかずの曇り空。

じいさんの家に着くと、叔父と、すでにお骨になって骨壺に収まったじいさんが待っていた。

四十九日の法要は、この家ではなく、葬式を行った、セレモニーホールで行うことになっているので、礼服に着替えたのち、じいさんも一緒に、2台の車に分乗する。法要の始まる1時間前には式場に着いた。三々五々、参列者があつまってくる。

久しぶりに会う叔父に叔母、祖母が亡くなったとき以来の(自分にとっては)遠い親戚がほぼ一堂にそろう。

その中に、はじめて会う若い女性がいた。
従弟の奥さんと、4か月前に生まれたばかりの彼らの愛娘だった。従弟はこの時間仕事で来られないとのこと。夕方会うことになっている。

やがてお坊さんが来たところで、法要がはじまる。
無事に終えたのち、いよいよお墓に入れるため、いったん式場を後にする。

墓は、もとのじいさんの家から目と鼻の先にある、小山を登った墓地の一角にある。
けもの道のようなところを、足元滑りそうになりながらも、親族みんなでのぼっていく。



 お墓の前に着くと、しばらく来ていなかったためか、雑草むしりや生花の準備を進め、いざ、お骨を納めようとしたところで、誰かが「あっ!」と声を上げた。

 お骨を入れる場所(石棺・納骨棺)は、ふつう地中にあり、蓋の役割もする排石を動かして開けるのだが、じいさんの家の墓は、この石棺が地上に出ていて、裏手にある石の扉を開けて納骨するものだが、そこに南京錠がかかっており、開かないという事態に。

以前来たときは、祖母の納骨の時で、そのときにじいさんが鍵をしていたのだそうだが、その鍵がどこにあるか、誰にもわからない。知っている人はお骨になってしまったものだから聞くに聞けない。

叔父と弟が、鍵を探しにいったん家に帰り、十数分ほどして戻ってきたが、南京錠の鍵は、けっきょく見つからず、最終的に鍵ではなく、脆くなっていた留め金具を壊し、どうにか無事に開けることができ、読経を上げてもらい、無事納骨を済ませることができた。



ほっと一安心。

今回はここまで。続きは次回。
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じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート3

2016-04-18 23:32:13 | Railway&RailwayModels
前回の続き。

日の暮れた高知駅から、路面電車に乗って、


はりまや橋まで出てきた。夕食を食べる、飲食店をさがすため。
・・・と、探してはみたけれどなかなか見つけられず、あまりに空腹で、最後はどこでもいいやと、やっと見つけたラーメン屋へ。

高知に来て、まさか横○家系ラーメン食すことになろうとは・・・。

じいさんの家は、ここからさらに路面電車に乗り、終点の「いの(伊野)」にある。が、今回は近くにあるヘルスセンターに泊まることになっていた。

タイミングよく、その「いの」行き電車に乗れた。


懐かしい・・・。モータの唸りと、カーブでの横揺れ

実際乗ったのは中学生以来のことで、かれこれ20年近く乗っていなかったことになる。思えば、これが電車好きのキッカケになった、高知の路面電車。
並行するJR線に乗ればもっと早く着くのだが、あえてこれに乗っていく。


終点近くの「伊野駅前」で降り、こんどはJR伊野駅から、タクシーで移動。「ヘルスセンターまでお願いします・・・」

するとタクシーの運転手さん「え、どこですか?」「いやあの、山の上にある宿泊施設・・・??」「ヘルスセンターなんてないですよ」

ここにきて、さあ困った!それ以外の名前なんて聞いてない。あわてて先にチェックインしている家族の者に電話して、宿泊施設の名前をきいたところ、「かんぽの宿」ということが判明「あぁ、『かんぽ』ですね」これでようやく出発。

「お客さん、ヘルスセンターなんて言うもんですから、風俗か何かと勘違いしましたよ、アハハ・・・」もう赤っ恥。あとで聞いたら、昔はヘルスセンターと呼んでいたらしいが、地元の人もタクシー運転手仲間でも、その呼び方をする人はほとんどいないとのこと。

その日はすぐさま大浴場で入浴し。早々に床に就く・・・が、当然ながらなかなか寝られなかった。

翌朝、窓からの光景。

眼下を流れるは、日本一の清流、仁淀川。鉄橋はJR土讃線で、川の向こうがいの町。和紙の町として有名なところ。


朝食を済ませると、法要の準備のため、じいさんの家に集まることに。

といったところで続きは次回。
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じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート2

2016-04-16 22:20:00 | Railway&RailwayModels
 昨日、急きょ書いた熊本地震の記事アップの数時間後のきょう未明、M7.4の本震。
 今後を遠くから見守ることしかできませんが、被災された皆様におかれましては、どうか希望を捨てず、命を守っていくことを考えて行動をおねがいします。

前々回の続きです。
松山市駅から、道後温泉行きの伊予鉄市内電車(路面電車)に乗る。


車内から道後公園を見る。桜はまだ散っていなかった。

20分ほどの乗車で、終点の道後温泉駅。

駅前に「坊ちゃん列車」に使われるSLと客車がモニュメント状態になって休んでいる。

商店街を抜けて、道後温泉の本館!

時間の関係で、中には入れず・・・。

温泉はおろか、足湯さえその暇もなく、


すぐさま駅にとんぼ返り。この時、ある思いがあった。
たまたまスマホいじってた時に、「伊予灘ものがたり」の出発時間が近づいているのを知り、それを見たい、と思って乗ってたら、途中で先の電車が事故に遭ったとのことでしばし停車・・・!

で、結局間に合わず。気を取り直して松山駅の一つ手前、「大手町」に行先変更。

ここは珍しい、伊予鉄の鉄道線と、市内線が交差する有名(!)な場所。



時間によって、このように電車同士の交差を見ることができる!
これだけでも今回かなりの収穫、と個人的には満足なのだが。


その後、今度は鉄道線のほうに乗る。
一駅だけ乗って、次の「古町」へ。車両は懐かしの、元京王5000系でした。


こうしてみると、なつかしいような、不思議な感じのような。
いずれも元京王車なのだが、井の頭線・京王線が並ぶことは物理的にありえなかったから。


ここで再び軌道線の電車に乗り換え、JR松山駅へ。




滞在時間は約3時間。松山城も、坂の○の雲ミュージアムも、いろんなところまわりたかったけど、こればかりは仕方ない。次回に期待ということになるが、いつのことだろか?

で、いよいよここから高知へ向かう。
まずは特急「しおかぜ・いしづち」で多度津まで行き、そこで次の「南風」に乗り換えるのだが、

「しおかぜ・いしづち」は、アンパンマン列車に当たってしまった。

車体のラッピングも、

車内も、

そして検札スタンプまでも。


さらに出発時のアナウンスもアンパンマンの声だった(中の人関係で一瞬、○ーマスを思い出してしまった・・・)。

多度津で土讃線に乗り換え。





松山出発から4時間以上、目的の高知に到着したときにはすでに日も暮れていた。


後で調べたら、高速バスがあって、こちらのほうが時間も料金も圧倒的に優位。鉄道旅のことしか頭になかったもので・・・。これも次回への宿題(!?)としておこう。

以下次回。
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熊本地震に思うこと

2016-04-15 23:09:27 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜発生した、熊本地震(そう命名されたそうです)は、その直前に東京でも突き上げるような地震が起きた直後だったゆえに、TVを点けて一報を知った時には、何事かと一瞬頭の中がパニックになりそうな感覚に襲われた。

マグニチュード6.4、最大震度7。

一夜明けた熊本市内や、家屋倒壊の起きた、益城町のようす。熊本は、昨年のGWに初めて訪れたのだが、そのときからは想像もつかないような状況が画面越しに伝わってくる。

駅前ホテルの隣で、熊本ラーメンと独特なギョーザを頂いた、あのラーメン屋の御夫婦は大丈夫だろうか・・・?などと思ってもみたり。


そして何よりもショックだったのは、名城、熊本城の痛々しい姿だった。


朝のヘリからの映像をみたが、天守の屋根瓦、石垣の一部が崩壊している。

新幹線も脱線して不通となり、今のところ復旧のめども立たないし、九州自動車道も道路が一部崩壊していて通行不能の状態に。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今も避難生活が続く方々に、心からお見舞い申し上げます。


・・・今回は予定を変更してお送りしました。次回は予定通り、四国旅行(!?)の続きです。


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じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート1

2016-04-13 22:09:27 | まち歩き
 今回からしばらく、祖父ではなく、じいさんと呼ぶことにします。

 じいさんの葬儀へは、あまりに急な出来事だったために行くことができず、電報送るくらいしかできなかったが、四十九日の法要は予定が早くから決まっていたこともあり、せっかくならと、じいさんのくれた最後の我儘と思って、家のある高知のみならず、まだ行ったことのない松山へも・・・。

と、前置きだけで一篇分書いても仕方ないので、はなしは土曜の朝の羽田空港から。


移動手段で飛行機使うのは、十数年前、仕事で九州行ったとき以来。
事前にe-チケットで予約していたので、券をあらためて購入せず、いきなり保安検査場へ。


最近、テロ対策などで警備がより厳重になったので、やや緊張してゲートを通過したところで「鞄の中にカッターナイフがありますね、中身を見せてもらえませんか」

ビクッとした。
機内に刃物を持ち込めないことは当然知っていたが、なにせ十数年ぶりの搭乗。仕事や工作する目的で、ペンケースの中にカッターを入れていたことを、ここで言われるまですっかり忘れていた。
預けてもらうこともできるというが、厄介な手続きが必要とのことで、けっきょくその場で廃棄することに。

9時半出発の松山行きの機体は、最新のB787だ。


この機体に乗りたいがために、行先をあえて松山に選んだというのもあるが。


で、そのフライトは、もう快適そのもの。天気も良かったし、今回のフライトでは案外揺れが少なかった(気にならなかった?)こともあり、1時間半のフライトもあっというまに感じて到着。

四国の中では、いまだ足を踏み入れたことのない愛媛県にはじめて降り立つ。

じつはこの松山空港に、ミカンジュースが出てくる蛇口(!)があるというのだが・・・。
みつからなかった。後で調べたら出発ゲートのところにあるとのこと。


気を取り直して、ちょうど昼に近かったので、市内へ出る前に腹ごしらえしようと、うどんとともに、

「みかんおにぎり」というのも食べてみた。味は・・・やっぱりみかんだった。


その後、市内へのバスで移動。
JRの松山駅で、路面電車にはじめて遭遇。


これからしばしの間、この電車に乗りまくるんだ・・・ほどなくしてバスの終点、松山市駅に到着。


1Dayチケットを買って、まずは有名な道後温泉へ向かう・・・というところで続きは次回。
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14年ぶりの四国

2016-04-11 21:39:05 | 日記・エッセイ・コラム
 先週土曜からきょうまで、四国は高知へ行ってました。

前回書いた通り、目的は、2月に他界した祖父の四十九日法要ですが。

祖母の葬式以来、じつに14年ぶりの来訪です。

その話にまさるとも劣らぬ、寄り道やら回り道。たくさんの出会いとハプニング(!?)

そしてもちろん(!?)鉄道旅。
ただ今後これが話のメインになってしまわないかが今から心配・・・!



次回からすこしづつ書いていきます。
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いよいよ乗れる

2016-04-09 01:54:00 | 日記・エッセイ・コラム
十数年ぶりに、飛行機に乗ります。


法事のためなので、こう言ってしまうのも何なのですが、今からワクワクしています。
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