最近多い、「いじめ」に関する様々な問題。耐え難い苦痛を受け、自らの命を絶ってしまう、そんなニュースが流れるたびに、胸が締め付けられる思いだ。かつて、いじめられた経験のある人間としては。
福岡のとある中学校でのいじめによる自殺事件、原因の発端がどうも前の担任にあったらしい、という。ことあるごとに自殺したこの生徒を罵り、嘘つき呼ばわりし、いじめを拡大させたという。これがもし事実なら、殺人罪の適用を考えても良いような気がするが、これは言いすぎだろうか?「からかいやすかった」という理由も、同級生ならともかく(本当は良くないが)、本来生徒を育て、指導する立場の教師がそんな発言をされるのは言語道断、といわざるを得ない。
これが一昔前、つまりぼくらの小中学生の頃だったら、ひょっとしたらまだ許されたかもしれない。嘘をついたり、教師から冗談半分にからかわれた生徒もいたが、教師本人はまじめに、そして情熱を持って接していた。すくなくとも、ぼくの中学生時代は、まだそんな教師が多かったと思う。おそらく、かの教師も昔はまじめに、そして熱心に生徒と接していたにちがいないだろうが、時代は変わった。
以前、上司(校長・教頭)、教育委員会、保護者らからのプレッシャーに耐え切れず、退職せざるを得なかった教師が非常に増えている、というTVのドキュメンタリーを見た。今の教師には、一昔前では考えられない苦労やプレッシャーがのしかかっているそうだ。すると必然的に心の余裕がなくなってくる。そのため、あるときふと言った、何気ない一言が、相手(生徒)の心を傷付けてしまうことがある。生徒にとっては非常に苦痛に感じる。それを見て、教師の側は少し心の余裕を取り戻したかもしれない。心の余裕を得るため、無意識にそんな言動を繰り返すようになる。しかし今度は、当然ながら生徒の側が耐えられないプレッシャーに押しつぶされそうになる。弱いものいじめされた者が、その苦痛から逃れるために、さらに弱い者をいじめるという構図が人知れず出来上がってしまうわけだ。
この構図が出来上がってしまっては、もうどうしようもない。このとき、一番下の生徒は、どうすべきだったのか。本当に腹を割って話し合える友人に打ち明けるか、親に相談するか、さらには教師の上の上、教育委員会に直接訴えるなど、いくらでも方法はあったはずだ。間違っても命を絶つことだけは考えてはいけなかったはずだ。
しかし、このプレッシャーにはもう一つ罠があり、「どうせオレなんて生きててもしょうがないのさ、誰もわかってくれないんだ」と思い込んでしまうことである。そこで開き直ってしまうか、あるいはひっそりといなくなってしまおう、と思うかは、その人次第なのだが・・・。
自分がかつて一人袋小路に追い込まれ、悩んだときに思い巡らせたことも踏まえてこうして書いた。幸い、ぼくの場合はどういうわけか、そのぎりぎり手前で誰か(親、教師、友人ら)が手を差し伸べてくれたため、こうして今も無事に生きている。しかし、ぼくのこの体験が今に生かせるかといえば正直不安だ。教師が率先していじめていたわけでもないし、クラス全員からいじめられていたわけでもない。特定の子ら数人からいやなことをされた、という程度だったから。
今はいじめの質が変わってきている。全員で一人をいじめる、あるいは無視する、誰も助けようとしない・・・。教師の側も大変だ。いじめを見つけて注意すれば、こんどは注意された親が学校に怒鳴り込んでくる。その教師は叱責され、そのうちいじめを見ても注意できなくなる・・・そんな、かなしい悪循環に陥ってしまうケースもあるそうだ。そう考えると、学校・教育現場だけにとどまらず、社会全体で、誰かが誰かを「いじめ」ているのではないだろうか?そんな妄想が頭をよぎった。
この続きはまたいつか。同じ事件が起きないことを祈りつつ。