前回、中学生の男の子のことを書いたが、もちろん、この事件にも無関心だったわけではない。
多摩川の川岸で殺害された中学生の少年の事件について、きょう事態が大きく動いた。付き合っていたとされる3人の年長の少年が、少年の殺害に関与したとして逮捕された。
川崎中1殺害 逮捕した少年3人は容疑否認(Yahoo!ニュース)
事件そのものについては、ぼく自身もやるせなさを禁じ得ないが、こういう事件でいつも思うのは、「被害者はおとなしく、明るく人気者だった」などと優等生ぶりを持ち上げる一方で、加害側については「こんなことをする人じゃない」といいながら「普段は優しいが、キレると何するかわからない」という、何かお決まりのイメージを押しつけているようにも思う。そうしたメディア等のあおりを受けて「学校や家族は彼のSOSに気づかなかったのか」「助けてやれなかったのか」という声から始まってどんどん広がり、はては「少年法を見直せ」「犯人の実名、顔写真をだせ」「極刑にしろ!」と、どんどんエスカレートしていく・・・凄惨な事件も、こうして大衆の不満を発散させるカタルシスに堕してしまうのではないかと危惧する。
中学生と言えば、当然思春期がはじまり、それまでの性格も、大人になることへの意識が芽生え、親をはじめとした大人の知らない、自分たちだけの世界ができるのは当然の流れと思うのだが、どうだろう?
「朱に交われば赤くなる」という諺があるが、人は付き合っている人次第でよくもなり、また悪くもなっていく、と言うことのたとえだが、この少年も、一時はこの年上の仲間といることに、多少は背伸びした気分で喜んでついていったのかもしれない。成長の過程でそういうことはあってしかるべきだと思う。しかし年長者から万引きを強要されたりして、グループに居続けることに嫌気がさしても抜けられず、会えば殴られ、身の危険を感じつつも、親には当然伝えられず、友達にLINEで伝えるのが精いっぱい。そしてまた、LINEで呼び出され・・・。
別にLI○Eが悪いとか、殺されると知りながら呼び出しについて行ってしまうことが悪いというつもりは毛頭ない。しかし、この年頃の男の子ってのは、得てしてそんなもんだ。成長の早い女子に後ろめたさを感じ、どこかに劣等感を持っているから、ましてや母親に助けを求めようなんて考えられなかったか、とか。
これらは、彼らより倍以上生きているぼくの勝手な思い込みもありますよ、もちろん。
だから、ステレオタイプ的な加害者および被害者という見方や、少年法見直しの議論や、これから始まるであろう裁判といった、「外部の大人」目線からでなく、当事者の中学生心理に立ち戻った視点が必要なんじゃないかと思う。
それっていわゆる「中二病」ってことなのか?とも思った・・・オチがこんなんで申し訳ない。