● 最低か最悪か 「ポスト管」政局を憂う (この文章は某所に掲載予定の原稿の一部です)
ここで政局のゴタゴタついて触れるつもりはありません。医師・歯科医師の間だけでなく、国民一人一人に考え方の違いがあるのも当然のことです。しかし、原発震災という過酷な現実を受けて首相が交代するという重大な局面に、有権者である国民が何の影響力も行使できない状況にあることを憂えています。
現状で、次の政権が民主党単独になるか大連立になるかわかりませんが、このまま何も声を上げずに永田町任せにしていたら、1)脱原発つぶし・原発延命・東電救済、2)復興増税・消費増税、3)社会保障費削減という路線になる可能性が高いことは、多くの国民が感じ取っているところです。
かと言って、民主・自民の二大政党が脱原発を望む国民の受け皿になり得ない状況では、脱原発を単独の争点とした総選挙は望ましくないし、実現する可能性も低いでしょう。
原発事故直後の最も大切な時期に、事故の深刻な状況を隠したまま「安全」情報ばかりたれ流しにして、放射能拡散情報や汚染状況を隠蔽し、国民、特に子どもの避難を妨げ不要な被曝を強要した菅首相や枝野官房長官の責任は重く、辞職は当然であり、いずれは司法の場で裁かれるべきと考えています。
しかし、国民を見捨てた「最低」首相の後釜が、これまで原発・核燃推進路線を暴走させ、福島の人たちの故郷を奪って苦境に陥らせたことへの深刻な反省も謝罪もないまま、原発再稼働へ突き進んでいる自民党や民主党新自由主義者の「最悪」政権になることだけは何としても避けたい。マスコミも「原発大本営報道」への反省もなく、菅おろし政局に加担しているだけで、問題意識が全く感じられません。
いま、脱原発を訴える人の一部で菅総理を最後まで支えようという声が上がっていますが、これは首相交代までに脱原発・再生可能エネルギー路線への転換をできるだけ進めておきたいという願いからくるもので、決して管政権を支持したり再選を願うものではありません。
「第三の敗戦」という言葉が使われています。子どもや孫の世代に対して、いま35歳以上(チェルノブイリのとき10歳以上)の大人は、たとえこれまで原発や核燃サイクル政策に反対してきたからと言って、現在の深刻な汚染と将来への重い負担を残してしまった責任を免れることはできません。
震災後の政治やメディア、国民の言動などを毎日見続けていると、希望よりも悲観の方に気持ちが傾いていくことは否めません。しかし、いま動かなくて一体いつ動くのでしょうか。
この原稿を書いている時点で、首相退陣の時期や次期首相候補、政権構想、主要政策などの姿は全く見えてきておりませんが、この夏から秋にかけて、子どもたちが将来に希望を持てる社会に生まれ変わることができるかどうか、政治家だけでなく、国民一人一人が問われている重要な局面にあることは間違いありません。(2011.8.5記)
(続く)
ここで政局のゴタゴタついて触れるつもりはありません。医師・歯科医師の間だけでなく、国民一人一人に考え方の違いがあるのも当然のことです。しかし、原発震災という過酷な現実を受けて首相が交代するという重大な局面に、有権者である国民が何の影響力も行使できない状況にあることを憂えています。
現状で、次の政権が民主党単独になるか大連立になるかわかりませんが、このまま何も声を上げずに永田町任せにしていたら、1)脱原発つぶし・原発延命・東電救済、2)復興増税・消費増税、3)社会保障費削減という路線になる可能性が高いことは、多くの国民が感じ取っているところです。
かと言って、民主・自民の二大政党が脱原発を望む国民の受け皿になり得ない状況では、脱原発を単独の争点とした総選挙は望ましくないし、実現する可能性も低いでしょう。
原発事故直後の最も大切な時期に、事故の深刻な状況を隠したまま「安全」情報ばかりたれ流しにして、放射能拡散情報や汚染状況を隠蔽し、国民、特に子どもの避難を妨げ不要な被曝を強要した菅首相や枝野官房長官の責任は重く、辞職は当然であり、いずれは司法の場で裁かれるべきと考えています。
しかし、国民を見捨てた「最低」首相の後釜が、これまで原発・核燃推進路線を暴走させ、福島の人たちの故郷を奪って苦境に陥らせたことへの深刻な反省も謝罪もないまま、原発再稼働へ突き進んでいる自民党や民主党新自由主義者の「最悪」政権になることだけは何としても避けたい。マスコミも「原発大本営報道」への反省もなく、菅おろし政局に加担しているだけで、問題意識が全く感じられません。
いま、脱原発を訴える人の一部で菅総理を最後まで支えようという声が上がっていますが、これは首相交代までに脱原発・再生可能エネルギー路線への転換をできるだけ進めておきたいという願いからくるもので、決して管政権を支持したり再選を願うものではありません。
「第三の敗戦」という言葉が使われています。子どもや孫の世代に対して、いま35歳以上(チェルノブイリのとき10歳以上)の大人は、たとえこれまで原発や核燃サイクル政策に反対してきたからと言って、現在の深刻な汚染と将来への重い負担を残してしまった責任を免れることはできません。
震災後の政治やメディア、国民の言動などを毎日見続けていると、希望よりも悲観の方に気持ちが傾いていくことは否めません。しかし、いま動かなくて一体いつ動くのでしょうか。
この原稿を書いている時点で、首相退陣の時期や次期首相候補、政権構想、主要政策などの姿は全く見えてきておりませんが、この夏から秋にかけて、子どもたちが将来に希望を持てる社会に生まれ変わることができるかどうか、政治家だけでなく、国民一人一人が問われている重要な局面にあることは間違いありません。(2011.8.5記)
(続く)