踊る小児科医のblog

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いまは戦時下 「日本は一つ」ではない

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 「3月11日を境に世界は変わった」と小出裕章先生(京都大学)は言い続けています。

 あの日から5ヶ月が過ぎて、これだけの取り返しのつかない事態を経験した日本人、日本社会は、あの敗戦の時のように全ての事実をさらけ出し、必然的に変わらざるを得ないものと誰もが思ったはずです。

 実際に、原子力ムラと言われる政官学財+マスコミによる強固な壁の内側で、巨額のマネーに裏打ちされた原子力政策が、民主主義とはかけ離れた世界で押し進められてきた実態が白日の下に曝されました。

 しかし現実には、5ヶ月経っても表面的には何も変わっていないだけでなく、むしろ悪い方向に向かっているのではないかと危惧される面もあります。特に福島県内では、家族や友人の間でも放射線の影響について自由にものが言えない雰囲気が強まりつつあると一部で伝えられています。

 そして、未だに敗戦を認めようとせず、戦艦大和(再処理工場・もんじゅ)の出撃を図ろうとする勢力は依然として強大であり、全面的な政策転換までにはいくつもの山を越えなければならないでしょう。8月16日だと思っていたら、実はまだ8月7日だったというのが現実です。

 日本はいま「内戦状態」(群馬大学・早川由紀夫教授)にあります。決して「日本は一つ」ではありません。その認識があるかないかで二極分化が進みつつあります。

 子どもを放射線被曝から守ろうとする人たちと、健康に影響はないと主張する人たち。放射能汚染を封じ込めようとする人たちと、拡散させようとする人たち。食物の基準値を引き下げようとする人たちと、基準値以下なら安全と出荷する人たち。命と環境を第一に考える人たちと、経済や財政を第一に考える人たち。新たに目覚めた母親や若者と、既得権益を守ろうとする老人。女性的思考と、男性的思考。ネットを活用している人たちと、テレビや新聞などの既存メディアしか見ていない人たち。そして、脱原発を訴える人たちと、原発を維持し再稼働させようとする人たち。

 泊原発の再稼働を北海道知事が認めたように、変化よりも揺り戻しの方が目につき、楽観論よりも悲観論の方に傾いてしまいがちです。しかし、実際には人々の心の中での変革は大きく進んでいるのに、それを現実が受け止めることができていないと解釈するのが正しいように思われます。

 この現実を市民の側からどう作り上げていくか。

山下俊一・福島県立医大副学長がひそかに自説を1/10に訂正 それでも10μSv/hは高すぎる!

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 こんなことが許されても良いものでしょうか。事故直後に福島県民に向かって「毎時100μSvでも子どもが外で遊んでも大丈夫」と強調していた張本人が、福島県のHPでこっそりと毎時10μSvの誤りだったと訂正していたことがわかりました。(毎時10μSv=年間88mSvに相当)

 その言葉を一時的にせよ信じてしまった母親から怨嗟の声が伝わってきています。

 ジャーナリストの広瀬隆氏・明石昇二郎氏が山下教授ら数名を刑事告発しましたが、これもその罪状を裏付ける有力な証拠になるでしょう。

 低線量被曝にどこまでなら安全という線引きはできませんが、これまで得た情報などから、内部被曝を考慮しないで、環境の放射線量が毎時0.3μSvなら広範囲の除染が必要、放射線管理区域に相当する毎時0.6μSvでは除染よりも前に子どもの避難を優先させて欲しいと考えています。

 毎時1μSv以上のところにも子どもが生活している現状を何とかしなくていけないと思うのですが、次の首相が誰になろうと動かすことは困難なのが現実です。せめて自主避難者への補償を制度化すれば、避難者が相当数増えることは間違いありません。

 文部科学省が設定した毎時3.8μSvは、ジャーナリスト・広河隆一氏によると、チェルノブイリに隣接する死の街プリピャチの現在の放射線量とほぼ同じだとのことです。

 山下教授が訂正した「100」はもちろん「10」などという線量がどれほど高いものか、私も当初は数字を見て判断することができなかっただけに、お母さん方の怒りと悲しみ、「知っていたら子どもを被曝から守ることができたのに」という自責の念は当然のこととして理解できます。

 福島県立医大だけでなく、この状況を放置し、むしろ支持してきた日本の医学界の責任が問われています。国民の医療、医師を見る目は厳しく、信頼は失墜していると感じているのですが、さほど重大にとらえていない医師・歯科医師が多いように思われ、非常な違和感を覚えています。

福島県放射線健康リスク管理アドバイザーによる講演会
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23695
訂正:質疑応答の「100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」旨の発言は、「10マイクロシーベルト/hを超さなければ」の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。

中村隆市ブログ 「風の便り」
山下教授が発言を訂正「100マイクロSVは、10マイクロSVの誤り」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-5769

「チェルノブイリほどではない」と言っていた方へ 面積は半分、人口は2~4倍

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 事故後の早い時期から、放射性物質の総放出量がチェルノブイリの10分の1以上に達するという海外機関の推計値が伝えられ、私たちもレベル5のスリーマイルをはるかに超えることは確実でチェルノブイリに迫る可能性があると考えて避難を呼びかけたりしていました。その一方で、チェルノブイリとは事故の質も放出量も全く違うから心配ないと主張した人たちが、御用学者だけでなく、医師・歯科医師のコミュニティにも相当数いたことに驚かされました。

 6月に八戸市と青森市でも講演された小出先生は、原爆の日に「福島の事故で広島原爆の100発分のセシウム137が大気中にばら撒かれた。汚染水中におそらくそれ以上」と説明しています。4月になってようやくレベル7を宣言した時に、総放出量は初期の数日間で大気中にヨウ素換算で77万テラベクレル、汚染水に72万ベクレルであり、これはチェルノブイリの520万テラベクレルの7分の1程度と推計されました。(テラ=兆)

 大気への放出量は4月の時点で毎時1テラベクレル、7月の発表でも、3月のピーク時の毎時2千テラベクレルから200万分の1に減ったとはいえ、毎時10億ベクレル(1日240億ベクレル)もの膨大な放射能が放出され続けています。総放出量がどこまで増えたかは発表されていません。

 しかも、事故後に風向きを毎日チェックし続けた概算では、大気中の9割は太平洋上に拡散したはずで、残りの1割で福島だけでなく広い範囲の深刻な汚染が引き起こされたのです。もしこれが敦賀や柏崎だったら、名古屋や東京を放棄しなくてはいけない程の被害が生じていたことは想像に難くありません。

 福島県内では、土壌中のセシウム濃度がチェルノブイリの移住権利地域に相当するところで、子どもを含む多数の国民が生活していますが、政府がこれ以上避難区域を拡大することは期待できず、むしろ帰住を進める政策に転換しているのが現実です。

 群馬大の早川由紀夫教授(火山学)によると、フクシマの汚染は面積でチェルノブイリの半分、人口は2~4倍に相当するということです。

 国民の命ではなく原子力業界の延命を優先して、現実を直視せず事故を過小評価し、補償費用が青天井となることを恐れて避難区域を制限してきたこの国の政府は、共産主義ソ連と全く同じか、それ以下であると言っても過言ではありません。

新型インフルエンザと福島原発事故 政府は全く正反対の行動をとった

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 それにしても、どうして3月15日に東京は大騒ぎにならず、2009年の新型インフルエンザのときには過剰とも言える反応を引き起こしたのか。何ヶ月も考えて続けていたのですが、答えは実に簡単なものでした。

 多くの国民が政府やマスコミの言うことを信じてしまったからです。正確な情報が伝えられなかったために、的確な対策や行動をとることができなかった。

 新型インフルエンザは最初の1週間の情報、特にアメリカの高校における流行と収束状況で、強毒性ではないことは明らかでした。しかし、日本だけが「新型」の法律を適用して過剰な対策を続け、医療者には過大な負担を強いて、国民には恐怖心を植え付けました。この時の対策は明らかに過剰でしたが、2つの点で正しい行動でした。一つは、政府が法律に基づいた対策をとったこと。二つ目は、状況がわかるまで予防的に対策をとり、その後で緩めるという原則に基づいていたことです。結果的に、世界でも最も死亡率が低く抑えられ、国民の命は守られました。

 そして、今回の福島原発事故では、この2つの点で政府は新型インフルエンザのときと全く正反対の行動をとりました。SPEEDIの情報を知らせなかったこと、基準値を20mSvへ一気に20倍も引き上げたことなど、法律違反であるだけでなく、まず安全を確保して状況に応じて緩めるという予防原則に反し、国民の命をないがしろにする対策でした。当然、責任者は法に基づいて裁かれるべきです。

 福島だけでなく全国の子どもたちは、この国が自分たちの命を最優先にしてくれていないことを実感しています。大人の一人として情けなく申し訳ない気持ちで一杯です。