踊る小児科医のblog

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八戸市議会議員への要請 給食の放射能汚染対策:米・魚・牛乳・きのこ 脱核燃マネー依存の青森を

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
2011年8月19日 八戸市議会議員各位

食品の放射能汚染、特に給食の安全について十分な対策をお願いします

本日は議員の皆様にご出席いただき直接お話しできる機会にも関わらず、残念ながら都合により欠席させていただきます。代わりに書面で要請させていただく非礼をお許し下さい。今回はタバコ問題ではなく、現在喫緊の課題である子どもを放射能汚染から守ることについて要望させていただき、ご意見をいただければと希望いたします。

7月の時点で、東京電力は環境中に放射性物質を毎時10億ベクレル、1日あたり240億ベクレルも放出していることを公表しました。これはピーク時の3月15日の毎時2000兆ベクレルから200万分の1に減少したとは言え、未だに事故が収束したわけではなく深刻な放出が続いていることを示すものです。

1)八戸市内の放射線量は、市内各地で計測してもほぼ0.04-0.06μSv/h程度となっており、事故前との比較はできませんが関東などと比べても低いレベルにあるようです(機種:DoseRAE2)。今後のためにも、全小中学校の校庭、側溝、花壇、通学路等の放射線量の測定を行って公表し、定期的にチェックして確認するようにして下さい。

2)今後は食品からの内部被曝対策が中心になり、長期にわたる対策が必要になってくるものと思われます。特に主食の米と、八戸の水産物について注意が必要と考えられます。

暫定基準値500Bq/kgは高過ぎます。政府は500Bq/kgを超えていなければ「安全」と称して市場に出回らせていますが、それでは1Bq/kgなのか499Bq/kgなのか区別がつかず、かえって“風評被害”を拡大させる結果になっています。特に子どもには厳格な基準値が必要です。(別紙資料1:諸外国の基準値を参照)

● 給食の食材について、産地、できれば生産者、放射性物質測定値のチェックを、全ての食材について定期的に行い公表するようにして下さい。今のところほぼ安全と考えられる青森県産を中心にするようにして下さい。南東北・北関東の食材は上記の理由から、基準値以下であっても子どもの給食には不安が大きいため、測定結果の詳細が示されない現状ではできるだけ避けるようにして下さい。

● 米 主食の米に暫定基準値500Bq/kgを適用してはいけません。別紙資料2に核実験時のセシウム濃度の推移が示されていますが、ピークの1963年で平均4Bq/kgであり、10Bq/kgは超えていません。大潟村あきたこまち生産者協会は基準値を5Bq/kgにすると発表しています。ウクライナはパン20Bq/kg、ドイツは全ての食品で大人8Bq/kg、子ども4Bq/kgが基準です。総合すると、子どもの給食に使う白米は5Bq/kg未満のものに限定すべきと考えます。青森県産米は5Bq/kg未満と予想されますが必ず確認して下さい。

● 魚 八戸漁港水揚げのサバ、イワシで7月から連続して10-20Bq/kg程度の放射性セシウムが検出されています(イカは複数回の検査で検出されず)。検査の回数や魚の種類が少な過ぎます。子どもの給食だけでなく、八戸市民の食の安全、八戸の水産業のためにも、できるだけ多くの水産物(海藻なども含む)で頻回に測定し、継続的に公表するようにして下さい。

● 牛乳 ほとんどのメーカーは測定値を公表していません。牛乳はブレンドしてつくられるので、原乳の中に比較的放射性物質の濃度の高いものがあっても、混ぜて薄められて基準以下になっている可能性があります。給食は青森県産の牛乳に限定して、測定値を定期的に公表するようにして下さい。

● きのこ 産直や市場などで直売されているキノコ類は、ほとんど検査がなされていないものと思われます。また、今後シーズンになって市民が直接とってきて食べる場合も同様です。県内や岩手県などの適当な場所でサンプリング調査をするようにして下さい。

3)青森県には下北半島に原子力施設が集中立地していて、建設中・計画中の施設も多数ありますが、福島原発事故を受けて、原子力政策が従来通りに進むことはあり得ません。

 六ヶ所、東通、大間の3施設は耐震性が450ガルしかなく、活断層についても危険性を指摘された活断層が「問題ない」と判断されていますが、同様に審査した福島や柏崎で活断層の変動による地震が起きており、再審査と耐震性強化がなければ再稼働や工事再開は認められません。福島では500ガル程度で津波の前に施設に損壊があったと吉田所長が答えています。柏崎では2007年の新潟県中越沖地震で2058ガルが記録がされています。

 核燃料サイクル施設(再処理工場や周辺施設)については、程度の差はあれ「脱原発」が進むことが確実となったいま、核燃料サイクル政策自体が中止となることはほぼ確実です。特に危険性の高い再処理工場は、早期の閉鎖と長期間の厳重な管理が必要です。

 今後、核燃マネーに大きく依存している青森県の財政、経済、雇用をどうするのか、脱核燃マネー依存のプロセスを県民全体で早急に考え、取り組む必要があるはずです。

 具体的には、LNG火力や再生可能エネルギーなどの代替エネルギー産業、原子力施設・廃棄物の維持管理、震災復興関連、福島の原発事故処理作業、放射能除染作業や処理作業、一次産業や観光業、新たな産業の誘致や起業、短期的な国による激変緩和措置などがあり得るかと思います。八戸市でも3.11後の市民の暮らし、生き方、考え方の転換が必要と考えられ、具体的な取り組みが求められます。

 Facebookで3.11後の青森について新たなディスカッションの場をつくってみたいと計画中ですので、是非ご参加下さい。

twitter @odorusyounikai
ポスト311あおもりフォーラム http://www.facebook.com/groups/311aomori/

原爆とフクシマ 青空と希望をいま

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
 参謀本部は長崎原爆の情報を5時間前に察知していたが空襲警報は発令されず、警報が出ていれば助かったはずの市民が多数犠牲になりました。福島原発事故で政府はSPEEDIの放射能拡散情報を把握していたのに、意図的に発表せず隠蔽し、多数の国民、特に子どもたちが無用の被曝を余儀なくされました。

 私たちは戦後66年もかけて、民主主義という隠れ蓑の下で、あの戦争のときと全く同じ構図を作り上げ、同じ過ちを繰り返してしまったようです。

 震災後に少しでも事故の危険性を伝えようとすると、「不安を煽るな」「風評被害を拡散させている」という非難が飛んできて非国民扱いを受けるという異常な状況に対して、藤波心ちゃんという14歳のアイドルが率直な意見をブログに書き連ねて、多くの人に感動を与えました。

 今度こそ日本が新しい社会に生まれ変わることができるのか、また同じことを繰り返してしまうのではないかという疑念を振り払うことができません。戦後の焼け野原には何もないけれど青空と希望があったと聞いています。青空や美しい国土が放射能で汚染されてしまったいま、彼女たちの世代に大きな負の遺産だけでなく、少しでも希望を持つことができる社会を作って引き継いでいく義務が私たち大人には課せられているはずです。

3月15日の黒い雨 2011年のチェルノブイリ逃避行

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
「あれは大本営発表だ。真実は後から明らかになる」

 確たる根拠もないまま電話で息子にそう断言し、茨城県南部から避難させたのは3月15日。朝方に圧力抑制室で爆発があり、風向きは東京に真っ直ぐ向かっている最悪の状況。まさか自分の子どもがチェルノブイリの時のように放射能から逃げ惑うことになるとは想像すらしてませんでした。前日から避難を呼びかけていたのですが、タイミングを逸してしまった。

 結局、その日の最終便で青森に逃れたのですが、高濃度の放射能プルームが到来する中、移動するには一番悪い日になってしまった。結果的には次の日まで待った方が良かったのですが、原子炉の内部で最悪の事態が進行している可能性が高いことに加えて、1日待てば放射能汚染を隠し通すことができなくなり、東京がパニックになって逃げ出すことが難しくなると予想されたため、マスクをしながらの強行突破を選択したのでした。

 この予想の前段については、現場の作業員の方たちの努力もあって水蒸気爆発は起こさずにすんだものの、3機でメルトダウンが進行し、3月21日の大放出(おそらく再臨界と爆発)と関東への最大の汚染へと繋がりました。この日の脱出はやむを得ない選択だったと考えていますが、ある程度の知識があったのに適切に行動することができなかったという気持ちは今でも残っています。

 ただし、予想の後段は大きく外れ、東京の駅も街も平静を保ち、計画停電騒ぎばかりが報道されている光景でした。

 そして、この日の午後から風向きが変わり、放射能プルームは飯舘村、福島市方面へと向かい、夜には黒い雨でなく白い雪が降り積もり、何十年も消し去ることのできない汚染を残しました。

 もしそのままの風向きが続いたなら、40万都市のいわきだけでなく、茨城県から東京にかけて現在の福島県と同じ状況になっていたことでしょう。情報のないまま放射能に曝された福島の人たち、特にお母さん方の怒り、悲しみ、自責の念の何分の一かは自分自身の痛みとして感じることができます。

 この日以来、実際には何もすることもできないまま、福島から目を離すことができなくなりました。

(なお、放射能を持つ放射性物質と、放射能という性質そのものは、科学的には書き分けられるべきと思いますが、日本語表現として定着しているだけでなく、より本質を表現できるものと考え、ここでは両者を合わせて放射能と表現しています。放射能プルームも学術的には放射性プルームと表現するのが正しいようですが、あえて前者を選びました。)

原子力政策の根本的転換が可能になる3つのケース 民主的手段 経済的効果 破局的事故

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
 従来から言われていた3つの可能性として、一番目は知事選や国政選挙、あるいは国民投票などの民主的手段によって政策転換が起こるケース。しかし、これは過去数十年にわたる国と電力業界による原発・核燃マネーの集中投下によって、特に青森県では根治不可能な癌のように、自治体財政や経済・雇用、あるいは市民活動など県民生活の隅々にまで依存体質が浸透し、自力で抜け出すことは絶望的な状況にありました。

 二番目は経済的効果から撤退を選ぶケース。実際に2004年には経産省官僚、河野太郎氏、飯田哲也氏らによって機運が高まり、特に核燃料サイクル政策は建設費用に加えて今後必要となる膨大な費用が絶対にペイしないことから「戦艦大和の出撃」にたとえられ、誰が考えても撤退を選択するしかあり得ないと期待しました。この時に、実質的に撤退を望んでいた東京電力の勝俣社長(現会長)の有名な「産道に入った赤ん坊は戻せない」という敗戦の弁は、路線の修正が不可能となり福島原発事故へと突き進んでいった現状を予告するものと言えました。

 この2004年のチャンスを逃した後は、再処理工場がトラブル続きで操業の見通しが立たない状態に陥っていたため、このまま再処理工場本稼働だけでも阻止できれば良いかという消極的な姿勢になっていたことは否めません。まさか第三のケースがすぐに起こるという現実的な想像力が持てなかった。

 その三番目が、原発過酷事故が現実に起こってしまう最悪のケース。これだけは何としても避けたかった。もし起きてしまったら、今回のように取り返しのつかない被曝と汚染が生じ、多くの国民の健康や命だけでなく、生活も土地も奪われてしまう。それがわかっていたのに、しっかりと声を上げて反対することができなかった。「知らないよりも知っていて何もしない方が罪は重い」という自責の念をぬぐい去ることはできません。

 もしこの第三の破局的事故が起きてしまえば、議論するまでもなく全面撤退せざるを得ない。その構図は明らかであっても、失うものが多すぎる決してあってはならないケースでした。

 そして、それが福島で現実のものとなってしまったいま、何が起こっているか。瀕死の重傷を負ったはずの恐竜が、謝罪も反省もないまま原発・核燃政策を押し通そうとして再び立ち上がり、牙をむき出しにして襲いかかってきているという信じ難い光景です。

 この恐竜の息の根を止めるためには、どれだけの犠牲が必要なのか。