今暮らしている団地の私の住居のベランダの眼下に建売住宅が広がっている。すぐ手前の家は窓がいつも閉まっている。その窓は全て曇りガラスで、どの窓もカーテンが引かれている。開く事の出来ない窓などあってもしょうがないのではないかと思うが、それでも採光には有効だろう。開くことのできない窓のある家での暮らしというのはどのようなものなのだろう。周囲の視線が気になって窓を開けることができない家を何千万も出して買おうという神経が理解に苦しむが、街を歩けばそんな家ばかりである。何度もこのブログに書いているが、私も10数年前にそういう家を建て、今もその住宅ローンを払い続けている。私が買ったのは売建といって、建築条件が事細かに決まった土地である。施工業者も家屋のスペックも決まっていて、その上で価格が付いている。もともと一軒の家があったところを四分割した一画なので、広さなどは期待できないし家屋の回りの空間も規制をぎりぎりで満足する程度のものでしかない。住んでみれば隣家の夫婦喧嘩などが手に取るようにわかる。敷地一杯なので、外壁などは気にする必要もないのだが、それでもあれこれ考えて決めたものである。あのサイディングというのは不思議なもので、表面のデザインが煉瓦風であったり石積み風であったり木目調だったりする。そういうデザインにしたいのなら、本物の煉瓦とか木を使えばよさそうなものだが、そういう予算はない。しかし、そういう外壁に憧れる。妥協の策としてサイディングを利用する。実にセコい話である。そんな家で暮らすような奴に世のため人のためとなるような大きな仕事ができるはずがない。それが地価の高い都市部に限ったことなのかと思いきや、妻の実家の周辺にもそういう家屋が少なからず建っているので驚いた。物価がどうこうという以前に身の程とか、もっと大袈裟な言い方をすれば個人の世界観が貧相なのだと思う。こういうところに明るい未来などないのだろう。