万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

フェアプレイの精神こそスポーツの心髄

2008年01月26日 12時52分34秒 | 社会
明大応援団リーダー部 いじめも伝統…反省なし(産経新聞) - goo ニュース

 応援団リーダー部が体育会系と分類できるのか自信はありませんが、体育会系の部活動における先輩後輩の上下関係の絶対性は、全国何処も同じのようです。そうして、体育会系の部では、何故にか、こうした”いじめ問題”が発生しやすいようなのです。

 筆者自身は、体育会系の部に属したことがないため、外部からの視線となってしまうのですが、この現象は、他の領域でも見られる閉鎖社会の虐待の連鎖と共通しています。例えば、家庭内暴力でも、親が子を虐待すると、その子もまた自分の子を虐待するようになると言われています。また、国民弾圧を日常とする閉鎖国家でも、暴力と恐怖が日常茶飯事となっています。道徳のレベルとは、その集団全体が許容する行為の範囲によって決まるようで、ある集団が、非道徳的な行為を日常的に許してしまいますと、この集団の道徳レベルは、一般的なレベルよりも下がってしまうことがあり得るのです。

 それでは、どのようにしたら、この虐待の連鎖を断つことができるのでしょうか。本来、スポーツから学ぶことは、フェアプレーの精神のはずです。フェアプレーとは、競技を観戦する全ての人々が、公平であると感じるプレーを行うことです(開放性)。相手チームに対するフェアプレーのみならず、自らの内部におけるフェアプレーをも心がけなくては、教育場で部活動を行う意義が消えてしまいましょう(虐待は反則行為!)。虐待の連鎖を断ち切るためには、このスポーツの原点に立ち返ることこそ、大切なように思うのです。

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コメント (1)
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