反日デモ、中国に抗議=野田首相「邦人の安全確保を」(時事通信) - goo ニュース
尖閣諸島、竹島、北方領土と、日本国は、目下、領土をめぐる周辺諸国との軋轢に苛まされています。こうした中、識者などの間からは、領土問題を棚上げし、資源の共同開発に取り組むべきではないかとする意見も聞かれるようになりました。
領土問題棚上げ論とは、領有権の帰属先を決定することは一先ずは先延ばしにし、領域やEEZにおける資源開発だけは共同で行おうというものです。つまり、棚上げ論者は、領有権と資源開発権とを切り離し、資源開発の権利だけは共同で行使できるものとすれば、武力衝突といった決定的な対立に至らずに、円満に当該領土を共同管理できると主張しているのです。この提案、一見、平和的で互恵的に聞こえますので、賛成する人々も現れそうなのですが、よく考えてみますと、巧妙な罠が潜んでいるように思えるのです。何故ならば、それは、法的根拠のない側の国にとって、極めて有利な内容となるからです。否、それどころか、法的根拠を有する側の国にとっては、一方的な領土要求や不法占拠を追認し、自国に帰属するはずの資源の半分をゆすりとられたに等しくなります。尖閣諸島も竹島も、領土としては僅かな面積に過ぎませんが、その近海には天然資源が大量に眠っています。結局、日本国政府を棚上げ論に引き込みば、両国は、資源獲得という初期の目的を半ば達成することになるのです。このような方法が許されるとすれば、今後、世界中で、共同開発狙いの領有権主張が激増することになるでしょう。
『ベニスの商人』では、”肉は切り取ってもよいが、血を一滴も流してはいけない”とする名裁判で、無理難題な要求を押しのけますが、領土問題棚上げ論は、”肉(領有権)はそのままにしてよいが、血(資源)だけを抜きとればよい”と言っているようなものであり、不法行為を働いた側に微笑んでいます。この台詞では、美しく賢いポーシャのイメージは湧いてこないのです。
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尖閣諸島、竹島、北方領土と、日本国は、目下、領土をめぐる周辺諸国との軋轢に苛まされています。こうした中、識者などの間からは、領土問題を棚上げし、資源の共同開発に取り組むべきではないかとする意見も聞かれるようになりました。
領土問題棚上げ論とは、領有権の帰属先を決定することは一先ずは先延ばしにし、領域やEEZにおける資源開発だけは共同で行おうというものです。つまり、棚上げ論者は、領有権と資源開発権とを切り離し、資源開発の権利だけは共同で行使できるものとすれば、武力衝突といった決定的な対立に至らずに、円満に当該領土を共同管理できると主張しているのです。この提案、一見、平和的で互恵的に聞こえますので、賛成する人々も現れそうなのですが、よく考えてみますと、巧妙な罠が潜んでいるように思えるのです。何故ならば、それは、法的根拠のない側の国にとって、極めて有利な内容となるからです。否、それどころか、法的根拠を有する側の国にとっては、一方的な領土要求や不法占拠を追認し、自国に帰属するはずの資源の半分をゆすりとられたに等しくなります。尖閣諸島も竹島も、領土としては僅かな面積に過ぎませんが、その近海には天然資源が大量に眠っています。結局、日本国政府を棚上げ論に引き込みば、両国は、資源獲得という初期の目的を半ば達成することになるのです。このような方法が許されるとすれば、今後、世界中で、共同開発狙いの領有権主張が激増することになるでしょう。
『ベニスの商人』では、”肉は切り取ってもよいが、血を一滴も流してはいけない”とする名裁判で、無理難題な要求を押しのけますが、領土問題棚上げ論は、”肉(領有権)はそのままにしてよいが、血(資源)だけを抜きとればよい”と言っているようなものであり、不法行為を働いた側に微笑んでいます。この台詞では、美しく賢いポーシャのイメージは湧いてこないのです。
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