中国外相「日本が盗んだ」 国連演説、日本激しく応酬(産経新聞) - goo ニュース
先日、中国の外相は、国連総会で、日本国の尖閣諸島領有について、”日本が盗んだ”と聞き捨てならない言葉で非難したそうです。そして、日本国は、反ファシズム陣営によって構築された戦後の国際秩序に挑戦していると…。
戦後、67年もの歳月が流れ、21世紀を迎えた今日にあって、この歴史認識には、どこか時代錯誤の奇妙さが漂っています。第二次世界大戦の終結を待つまでもなく、連合国は分裂模様となり、東西陣営が鋭く対峙する冷戦が発生したのですから。戦後生まれが大半を占める現代の人々にとっては、中国は、長らく”鉄のカーテン”の向こう側の国であり、しかも、かつての枢軸国であったドイツ、イタリア、日本の三国が、揃って自由で民主的な国家として再出発したとなっては、殊更に、”反ファシズム陣営”という言葉には、ノスタルジーさえ感じられます。ファシズムやナチズムの全体主義としての特性は、共産主義体制にこそ色濃く継承されており、中国の批判は、この意味においても、ちぐはぐなのです。それでは、何故、中国は、古い箪笥の奥からこの言葉を取り出してきたのかと推測してみますと、中国政界に隠然たる影響力を維持している、江沢民元国家主席のトラウマに行きつくのではないかと思うのです。江沢民の父親の江世俊は、日本の特務機関の協力者であり、本人もまた、戦時中は、上海交通大学で日本語を専攻していたそうです。自らの生涯をかけて抹殺したかったもの、それは、親日派であったという、自らの負い目なのかもしれないのです。
陰の実力者であるがゆえに、氏の個人的なトラウマは、改革開放路線以降の若手や中堅層にまて、”国家的な歴史観”として強要されているのかもしれません。つまり、中国は、今年で86歳を数える江沢民氏の個人的な経験によって、過去の歴史から抜け出られなくなっているのです。しかも、反ファシズムを唱えていれば、戦勝国側に立って敗戦国の日本国を叩けると同時に、アメリカを懐柔できるのですから、一石二鳥でもあります。中国の権力中枢では、胡派と江派との間で激しい権力闘争が繰り広げられていますが、権力者のトラウマが、一国の運命を弄ぶとしますと、これもまた、共産党一党独裁体制の限界なのではないかと思うのです。
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戦後、67年もの歳月が流れ、21世紀を迎えた今日にあって、この歴史認識には、どこか時代錯誤の奇妙さが漂っています。第二次世界大戦の終結を待つまでもなく、連合国は分裂模様となり、東西陣営が鋭く対峙する冷戦が発生したのですから。戦後生まれが大半を占める現代の人々にとっては、中国は、長らく”鉄のカーテン”の向こう側の国であり、しかも、かつての枢軸国であったドイツ、イタリア、日本の三国が、揃って自由で民主的な国家として再出発したとなっては、殊更に、”反ファシズム陣営”という言葉には、ノスタルジーさえ感じられます。ファシズムやナチズムの全体主義としての特性は、共産主義体制にこそ色濃く継承されており、中国の批判は、この意味においても、ちぐはぐなのです。それでは、何故、中国は、古い箪笥の奥からこの言葉を取り出してきたのかと推測してみますと、中国政界に隠然たる影響力を維持している、江沢民元国家主席のトラウマに行きつくのではないかと思うのです。江沢民の父親の江世俊は、日本の特務機関の協力者であり、本人もまた、戦時中は、上海交通大学で日本語を専攻していたそうです。自らの生涯をかけて抹殺したかったもの、それは、親日派であったという、自らの負い目なのかもしれないのです。
陰の実力者であるがゆえに、氏の個人的なトラウマは、改革開放路線以降の若手や中堅層にまて、”国家的な歴史観”として強要されているのかもしれません。つまり、中国は、今年で86歳を数える江沢民氏の個人的な経験によって、過去の歴史から抜け出られなくなっているのです。しかも、反ファシズムを唱えていれば、戦勝国側に立って敗戦国の日本国を叩けると同時に、アメリカを懐柔できるのですから、一石二鳥でもあります。中国の権力中枢では、胡派と江派との間で激しい権力闘争が繰り広げられていますが、権力者のトラウマが、一国の運命を弄ぶとしますと、これもまた、共産党一党独裁体制の限界なのではないかと思うのです。
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