万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ダライ・ラマ14世の転生活仏制度廃止発言-チベット型民主主義の可能性

2014年09月12日 16時13分32秒 | アジア
 チベットのダライ・ラマ14世は、訪問先のドイツで450年の伝統を誇る転生活仏制度の廃止について言及したと報じられております。宗教を麻薬として否定しているはずの共産主義国家中国が、この発言に反発している矛盾が示すように、現状では、転生活仏制度が、近い将来、中国のチベット支配の手段となることは疑いえないことです。ダライ・ラマ14世は、転生活仏制度の存続とチベットの将来の両者を思慮深く量り、廃止を選択することで、チベットを救おうとしたのでしょう。

 実のところ、今日の先端的な科学的知識を以ってしても、転生については、誰もが証明することができず、あるとも、ないとも断言できない状況にあります。中国が、ダライ・ラマ14世が選んだパンチェン・ラマを拉致し、別の少年を指名したのは、転生の証明不可能性を悪用したとも言えます。ダライ・ラマ14世もまた、転生活仏制度に付随する政治的危険性を深く認識しているからこそ、制度の存続よりも廃止を選んだのでしょう。それでは、チベットは、転生活仏制度の廃止と共に俗化してゆくのでしょうか。チベットの民主主義のあり方として、一つ考えられるモデルは、転生の証明不可能性を逆方向に生かす形態です。ダライ・ラマやパンチェン・ラマ等の生まれ変わりを決める手続きは、伝統的に乗っ取れば、他の転生ラマの承認が必要です。一方、民主的な制度にあっては、投票権を持つ国民一人一人が自らの心を働かせ、仏心を宿した活仏であると信じる高潔な人物に投票するという方法が考えられます。この方法ですと、たとえダライ・ラマやパンチェン・ラマといったラマの職位や名称がなくなったとしても、少なくともチベット仏教の精神だけは引き継ぐことができます。そして、選ばれた政治家もまた、国民から仏の化身と見なされている以上、権力を私物化したり、道徳に反するような悪事に手を染めることはできないはずです。

 ”政治はきれいごとでは済まされない”とする意見も聞かれますが、その反面、政治権力が悪人の手に渡った時の起きる国民の悲劇は計り知れません。民主的制度の欠点の一つは、様々な誘惑によって、有権者も政治家も堕落し易いことです。転生活仏制度なき後のチベットの人々の心が荒廃し、俗化による政治腐敗や社会悪が蔓延しないためにも、チベット型の民主主義という試みがあってもよいのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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