万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ウィキリークスが公開した天安門事件の証言を読む

2019年07月15日 13時23分11秒 | 国際政治
天安門事件から凡そ一ヶ月が過ぎた1989年7月12日、一通の外電が北京の在中チリ大使館から本国政府にもたらされました。それは、事件発生当時、同大使館に勤務していた二等書記官カルロス・ガロ氏の目撃証言であり、今日なおも同事件の全容が不透明な中、真相を追求上での極めて貴重な資料と言えましょう。

 同文書は機密扱いであったのですが、ウィキリークスが公開することにより多くの人々が知るところとなりました。ウィキリークスの基本的なスタンスから推測しますと、‘天安門事件は西側メディアが報じる程の大虐殺ではない’とする中国擁護論とも推測されるのですが、この文書から天安門事件の真相の一端が垣間見えるように思えます。

 第一に、ガロ氏の証言は、‘天安門事件はなかった’という証拠にはなり得ないことです。ガロ氏は、学生側の負傷者が赤十字病院に運び込まれたのを目撃していますので、犠牲者が‘ゼロ’と云うことはあり得ません。自らの個人的な見聞から、犠牲者の総数は、数百人レベルではなかったかと推定しているに過ぎないのです。因みに、イギリスの外交機密文書では少なくとも1万人の人々が虐殺されたとしておりますので、犠牲者の数は、チリの機密文書とでは桁違いです。仮にイギリスの情報収集能力の高さを信じるならば、1万という数が事実に近いのでしょうが、何れにせよ、犠牲者の推定数に違いこそあれ、当時の中共政府が人民解放軍の投入を以って学生たちの民主化運動を踏み潰してしまった事実そのものを消し去ることはできないはずです。

 なお、ガロ氏の推定した被害者数が少ないのは、6月3日の深夜頃に、当局と学生側との間に合意が成立したため、同合意に従った学生等と共に天安門広場を離れたからなのでしょう(天安門広場には、なおも多数の学生が残っていたと推測される…)。仮に‘人民解放軍よる大規模な発砲や虐殺がなかった’としても、それはこの時までの事であり、現場からの離脱後の推移については同氏はコメントを避けています。つまり、ガロ氏は天安門事件の一部始終をしっかりと自らの目で目撃したわけではなく、6月4日の未明に起きたとされる‘出来事’については何も知らないのです。銃声等は聞こえなかったとしていますが、消音装置を備えた銃器は存在していますし、学生たちを無残に戦車で轢き殺したのであれば、大虐殺であっても発砲音や爆発音を伴うとは限りません。

 第2に、人民解放軍は、ガロ氏が避難していた赤十字病院を包囲し、発砲までには至らぬものの、攻撃を加えていることです。おそらく、学生側の負傷者の治療を妨害しようとしたのでしょうが(治療機会の喪失は死を意味してしまう…)、国際法は赤十字に対する攻撃を禁じていますので、この出来事は、中共政府には全く国際法を順守する意思がなかったことを示しています。中国もジェノサイド条約の締約国ですが、集団殺害が国際法において禁じられていることなど、当時の中国の指導者の念頭には全くなかったのでしょう。

 第3に、事件発生から一夜が明けた4日の朝、天安門広場に戻ったガロ氏は、人民解放軍が天安門広場を手際よく片付けている光景を目にします。多数のプラスチック製のバックがヘリコプターに積み込まれており、これらのバッグの中身が犠牲者の遺体であったかどうかは分からないとしています(プラスチック製のバッグに詰めて現場からヘリコプターで運び去ることが、誰からも気づかれないように遺体を運び出す方法だったのではないでしょうか)。仮に、人目に触れても構わないものであったならば、人民解放軍が敢えて大量のプラスチック製バックを用意するはずもありませんので、その中身が犠牲となった方々の遺体であった可能性はかなり高いのです。

 そして第4点として挙げられるのは、スペインの不審な行動です。同文書には、ガロ氏が天安門広場を後にした後の空白期間に、スペインのTVクリューが人民大会堂?付近で大虐殺現場を撮影したにもかかわらず、本国にあって、オリジナル版が編集者によって切り刻まれ、台無しにされてしまったと記されています。このことは、事件発生当初から、既に何らかの勢力が、同事件のもみ消し、あるいは、情報統制に動いていた可能性を示唆しています。アメリカのブッシュ大統領が中国を秘かにサポートしていた点を考慮すれば、西側諸国による要請である可能性も100%は否定できないものの、自由主義諸国では、天安門事件の惨事を撮影した動画はネット上に公開されていますので、スペインにおける国家レベルでの動画毀損は、あるいは中国側による圧力であったのかもしれません。

 以上にウィキリークスが‘暴露’した天安門事件に関する機密文書について述べてきましたが、仮に中国が、天安門事件を西側諸国による陰謀、あるいは、冤罪であると主張するならば、その存在を隠蔽して‘なかったこと’にするよりも積極的に証拠を提示して自らの‘無実’を主張するはずです。同情報のリークを機に、中国は、国際世論が自らに有利な方向に傾くことを期待したのでしょうが、同文書の行間から、あの日の大虐殺の光景がリアリティを以って迫ってくると同時に、中共政府の残忍性、並びに、国際社会の闇をもが浮かび上がってくるように思えるのです。

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コメント (6)
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