イランによる核合意の上限を越えたウラン濃縮の再開は、目下、国際社会に緊張をもたらしています。東方の朝鮮半島における北朝鮮の核問題も未だ解決を見ず、国際社会は、東西の核問題から揺さぶりをかけられているのです。そして、これら両国の核問題は、NPT体制の行方をも左右しかねないのです。
NPT体制とは、原則として国連安保理の常任理事国にのみ核保有を認め、他の諸国に対してはそれを禁じる体制として理解されています。同条約により、全世界の諸国が核保有国と非保有国に分かれるため、不平等条約との批判もあります。しかしながら、安保理常任理事国の5ヶ国には、‘世界の警察官’という重い責務があるため、核保有国と云う特別の地位が認められているのです。銃刀法が制定されている日本国では、公式に拳銃を携帯できるのは警察官のみあり、その他の国民の銃保有は違法行為となります。警察は、常に銃保持者がいないかパトロールを実施し、仮に、銃を携帯している国民を発見すれば、警察が銃保持者の身体や家宅をくまなく探し、当該拳銃を押収することとなりましょう。NPT体制とは、まさにこのような状況を想定しており、核保有国は、核の保有が特別に認められるのと引き換えに、非核保有国の核保有国に向けた試みを阻止し、仮に、核を保有する国が存在する場合には、それを取り上げなければならないのです。
国際社会において核保有国と非核保有国との間の権利と義務の関係がバランスしていれば、NPT体制は長期的に安定しますし、全ての諸国がその恩恵を受けることができます。おそらく、全世界の諸国がNPT体制の維持に積極的な賛意を表明することでしょう。しかしながら、現状を観察しますと、少なくとも3つの点において同体制には重大な欠陥があるように思えます。
第1の問題点は、‘無法者’あるいは‘強盗’が警察官を務めている点です。南シナ海問題において、中国は、常設仲裁裁判所の判決を‘紙屑’扱いして破り捨て、同海域の軍事拠点化に邁進しています。加えて、中国やロシアは、自国の核兵器を他国に対する威嚇目的で濫用しており、本来の核保有の目的から逸脱していると言わざるを得ないのです。これらの行為は警察官が法を破るに等しく、核保有国の地位のみならず、‘世界の警察官’たるべき国連安保理の常任理事国の資格をも問うべき事態でもありましょう。中国やロシアが、非核保有国に対して‘NPTを遵守せよ’と迫る時、それは、おとなしく自らに従え、あるいは、抵抗せずに侵略を受け入れよ、と要求しているように聞こえるのです。
第2の問題点は、NPT体制には包括性が欠如している点です。インドとパキスタン、並びに、イスラエルの3国はNPTを批准せず、1970年の同体制発足当初から参加していません。つまり、NPT体制の枠外にあるため、同条約による法的拘束から免れることができるのです。この状態は、先の日本国の事例に喩えれば、国内に警察権力が及ばない無法空間が存在していることを意味します。包括性の欠如は、同体制による安全の保障が不完全であることに他ならないのです。
しかも、これらの常任理事国以外の核保有国は決して無害なわけではなく、警察が治安の維持という公的目的の下で拳銃を携帯するのとは違い、国際社会に対する何らの公的責務を負っていませんので、周辺諸国に対して核を以って威嚇することができます。核保有国による義務なき核の利己的、かつ、非平和的な利用こそ、第3の問題点となりましょう。言い換えますと、これらの諸国は、印パ戦争や中東戦争を根拠とするものであれ、公的な義務を負うことなく特権だけは享受できますので、最も危険、かつ、狡猾な国と云うことができるのです。そして、NPTからの一方的な脱退を宣言した北朝鮮(最も、国際社会は独国の脱退を認めていない…)、並びに、NPT批准国でありながらウラン濃縮を再開したイランは、これらの諸国を模倣していると推測されるのです。
以上に主要な3点を挙げて見ましたが、この3点に照らしますと、イランのウラン濃縮の再開がNPT体制を崩壊に導く可能性が極めて高い理由がおぼろげながら見えてきます。同国の核開発・保有計画は、中国とロシアのバックアップの下で進められ、かつ、今般の再開も両国の承認に依るものなのでしょうから、‘警察官’が、無法者の拳銃保持を幇助したに等しくなります。これでは、警察官に対する国民の信頼は地に墜ちますので、当然に、現行の治安維持体制に対する見直し要求も高まることでしょう。その一方で、上述した核保有国の行動を真似て、周辺諸国に対して優位な立場を得るために核を保有しようとする国も増加することでしょう。つまり、無法地帯がじわりじわりと拡大し、その裏で警察と違法国家が手を組むのですから、他の諸国の安全保障上のリスクは格段に上昇します。NPT体制の下では全ての国の安全が保障されないこととなり、別の体制、あるいは、手段を考えざるを得なくなるのです(アメリカも、世界の警察官の重荷に耐えられないのであるならばなおさらのこと…)。果たして、国際社会の現実を見据えたNPT見直し論は、平和に反する根拠なき暴論なのでしょうか。
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NPT体制とは、原則として国連安保理の常任理事国にのみ核保有を認め、他の諸国に対してはそれを禁じる体制として理解されています。同条約により、全世界の諸国が核保有国と非保有国に分かれるため、不平等条約との批判もあります。しかしながら、安保理常任理事国の5ヶ国には、‘世界の警察官’という重い責務があるため、核保有国と云う特別の地位が認められているのです。銃刀法が制定されている日本国では、公式に拳銃を携帯できるのは警察官のみあり、その他の国民の銃保有は違法行為となります。警察は、常に銃保持者がいないかパトロールを実施し、仮に、銃を携帯している国民を発見すれば、警察が銃保持者の身体や家宅をくまなく探し、当該拳銃を押収することとなりましょう。NPT体制とは、まさにこのような状況を想定しており、核保有国は、核の保有が特別に認められるのと引き換えに、非核保有国の核保有国に向けた試みを阻止し、仮に、核を保有する国が存在する場合には、それを取り上げなければならないのです。
国際社会において核保有国と非核保有国との間の権利と義務の関係がバランスしていれば、NPT体制は長期的に安定しますし、全ての諸国がその恩恵を受けることができます。おそらく、全世界の諸国がNPT体制の維持に積極的な賛意を表明することでしょう。しかしながら、現状を観察しますと、少なくとも3つの点において同体制には重大な欠陥があるように思えます。
第1の問題点は、‘無法者’あるいは‘強盗’が警察官を務めている点です。南シナ海問題において、中国は、常設仲裁裁判所の判決を‘紙屑’扱いして破り捨て、同海域の軍事拠点化に邁進しています。加えて、中国やロシアは、自国の核兵器を他国に対する威嚇目的で濫用しており、本来の核保有の目的から逸脱していると言わざるを得ないのです。これらの行為は警察官が法を破るに等しく、核保有国の地位のみならず、‘世界の警察官’たるべき国連安保理の常任理事国の資格をも問うべき事態でもありましょう。中国やロシアが、非核保有国に対して‘NPTを遵守せよ’と迫る時、それは、おとなしく自らに従え、あるいは、抵抗せずに侵略を受け入れよ、と要求しているように聞こえるのです。
第2の問題点は、NPT体制には包括性が欠如している点です。インドとパキスタン、並びに、イスラエルの3国はNPTを批准せず、1970年の同体制発足当初から参加していません。つまり、NPT体制の枠外にあるため、同条約による法的拘束から免れることができるのです。この状態は、先の日本国の事例に喩えれば、国内に警察権力が及ばない無法空間が存在していることを意味します。包括性の欠如は、同体制による安全の保障が不完全であることに他ならないのです。
しかも、これらの常任理事国以外の核保有国は決して無害なわけではなく、警察が治安の維持という公的目的の下で拳銃を携帯するのとは違い、国際社会に対する何らの公的責務を負っていませんので、周辺諸国に対して核を以って威嚇することができます。核保有国による義務なき核の利己的、かつ、非平和的な利用こそ、第3の問題点となりましょう。言い換えますと、これらの諸国は、印パ戦争や中東戦争を根拠とするものであれ、公的な義務を負うことなく特権だけは享受できますので、最も危険、かつ、狡猾な国と云うことができるのです。そして、NPTからの一方的な脱退を宣言した北朝鮮(最も、国際社会は独国の脱退を認めていない…)、並びに、NPT批准国でありながらウラン濃縮を再開したイランは、これらの諸国を模倣していると推測されるのです。
以上に主要な3点を挙げて見ましたが、この3点に照らしますと、イランのウラン濃縮の再開がNPT体制を崩壊に導く可能性が極めて高い理由がおぼろげながら見えてきます。同国の核開発・保有計画は、中国とロシアのバックアップの下で進められ、かつ、今般の再開も両国の承認に依るものなのでしょうから、‘警察官’が、無法者の拳銃保持を幇助したに等しくなります。これでは、警察官に対する国民の信頼は地に墜ちますので、当然に、現行の治安維持体制に対する見直し要求も高まることでしょう。その一方で、上述した核保有国の行動を真似て、周辺諸国に対して優位な立場を得るために核を保有しようとする国も増加することでしょう。つまり、無法地帯がじわりじわりと拡大し、その裏で警察と違法国家が手を組むのですから、他の諸国の安全保障上のリスクは格段に上昇します。NPT体制の下では全ての国の安全が保障されないこととなり、別の体制、あるいは、手段を考えざるを得なくなるのです(アメリカも、世界の警察官の重荷に耐えられないのであるならばなおさらのこと…)。果たして、国際社会の現実を見据えたNPT見直し論は、平和に反する根拠なき暴論なのでしょうか。
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