万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

リブラは途上国の貧しい人々を借金漬けにする?

2019年07月29日 15時52分39秒 | 国際政治
先日、フェイスブックが公表した「リブラ構想」は、マネーロンダリングといった安全性や個人情報保護の問題に加えて、国家の金融・通貨に関する権限をも侵食するため、多方面から反発を招いています(しかも、通貨発行権の獲得は‘濡れ手に粟’…)。こうした批判に対して、リブラをより肯定的、かつ、楽観的に捉えようとする意見もないわけではありません。

 リブラ肯定派の人々のモットーは、‘超テクノロジー時代には意思ある楽観主義者になれ’というものらしく、‘「リスク要素が全部クリアにならない限りは止めておこう」という悲観主義では、ビジネスも社会も前進しない’と考えているようなのです。乃ち、‘信じる者は救われる’とする信仰にも似た信念を掲げてリブラの誕生に期待しているのです。しかしながら現実をみますと、必ずしも‘信じる者は救われる’わけではなく、古今東西を問わず‘信じたが故に酷い目に遭う’事例は枚挙に遑がありません。未来に偽りの理想郷を提示して誘い込む手法は‘メビウスの輪戦略’の一つでもありますので、ここは、楽観主義者の主張を鵜呑みにしてはいけない場面なのかもしれません。

 そこで、楽観主義者が主張するリブラのメリットについて検討を加えてみることとしましょう。フェイスブックの説明によれば、同構想が計画された主たる目的の一つは、銀行口座を持っていない全世界の17億の人々を救うことにあります(もう一つは、国際送金の低コスト・簡便化…)。つまり、フェイスブックは、多くの良識ある人々から賛同を得られるように貧しい人々が金融の恩恵に与れるという‘人助け’を表看板に掲げているのです。しかしながら、リブラ構想は、実際に‘人助け’になるのでしょうか。

 フェイスブックが‘人助け’を主張する根拠は、17億の人々が銀行口座を持てない理由を、その信用力の低さに求めているからです。しかしながら、この問題、途上国の銀行が邦銀のように無審査、維持費無料、ネット・郵送申請可の口座開設サービスを始めれば、簡単に解決してしまいます(もっとも、本人確認の作業は要しますが、仮に、フェイスブックが金融事業を始めれば、本人確認なしのモバイルウォレット開設では安全性が低いとして不許可になるのでは…)。休眠口座が多数存在しているように、銀行にとりましては、個人口座の開設自体には然程のコストがかかりませんし、預金額がゼロでも何らかの損害を受けるわけでもありません。ですから、17億人の無口座救済説は疑わしいのです。

 それでは、何故、フェイスブックが‘救済’を強調するのかと申しますと、本当のところは、同社は、17億の無口座の人々に借金をさせたいのかもしれません。低信用力⇒無口座⇒リブラの利用⇒リブラによる負債のほうが、よほど論理的な流れとしては自然です。もちろん、途上国においてスモール・ビジネスを始めるに必要な初動資金を融資するケースもありましょうが、17億という人口を考慮しますと、これらの人々が一斉に企業家になり、事業に成功するとは思えません(仮に、この可能性があれば、既存の銀行でも積極的に融資するはず…)。人口増加が著しい途上国の現状からしますと、リブラの利用によって無審査・無担保・低利子で融資が受けられるのならば、むしろ、起業ではなく消費、あるいは、家計補填のために借入金を増やす可能性の方が高いように思えます。

 かつて、歴史上には債務奴隷と云う奴隷の形態がありましたが、リブラによって貧困にある人々に債務を負わせるとなりますと、借金返済のためにどのような事態が発生するのか、不安にもなります(返済に困った末の犯罪も増加するかもしれない…)。17億の人々を救うためには、リブラによってモバイルウォレットを提供するよりも、途上国の人々が安定した生活を営めるよう、産業の発展を支援する方が余程効果的な方法ではないかと思うのです。

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コメント (6)
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