万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

参議院選挙の候補者人選-多様性の勘違い?

2019年07月04日 13時48分43秒 | 日本政治
本日7月4日、日本国では、同月21日が投票日となる第25回参議院議員選挙が公示されました。各党とも選挙戦に向けて一斉に街頭に繰り出したのですが、候補者の人選、特に野党の候補者選びにつきましては疑問なところがあります。

 今日、全世界の風景を見渡してみますと、‘多様性’のキャッチフレーズが猛威を振るっているように思えます。とりわけ性差別に関する運動が活発であり、LGBTについてはイギリスのウィリアム王子まで動員しての熱の入れようです。こうした全世界的な広がりを見せている運動は、同一のフレーズが使われていることからしましても、何らかの国際組織が背後にあることは容易に推測されます。EUでも、今般、女性初の委員長、並びに、ECB総裁が誕生する見通しですが、国際レベルや国家レベルにおける人事に際しても、最優先にされるのは能力や手腕よりも差別解消なのかもしれません。おそらく、日本国内で議論を呼んでいる女性・女系の天皇や宮家の問題も、性差別解消を強力に推進している国際組織の圧力があるのでしょう。

 ‘多様性’については、性差別のみならず、あらゆるマイノリティーや弱者に対する‘差別’が含まれます。このためか、参議院選挙での候補者の顔ぶれを見ますと、マイノリティーであることを全面的に打ち出し、得票に結びつけようとする戦略も見受けられます。この手法は、アメリカ民主党にあってオバマ前大統領やヒラリー・クリントン氏をトップの地位に押し上げるに際して使われたのですが、日本国の国政選挙でも、‘多様性戦略’とでも表現されるような候補者の人選が行われているようです。

 しかしながら、国会の役割に照らしてみますと、多様性重視の人選の方針には疑問があります。何故ならば、国会が様々なマイノリティーの代表を集める場と化してしまいますと、もはや、国民の代表が集まる機関とは言えなくなるからです。一般の国民はマジョリティーですので、ここに、マイノリティーとマジョリティーとの間に抜き差しならない二律背反性が生じてしまうのです。そして、政治家の方々がしばしば言及する‘政治は数’という言葉はさて置くとしても、民主主義における基本原則は多数決ですので、マイノリティーの集合体としての議会が真に民意を代表するのかも怪しくなるのです。

 もちろん、議会の役割の一つは、国民の間に存在する異なる立場や利害関係等を調整することですので、マイノリティーの方々の意見を政治に反映させることは重要です。全ての人がは分野が違えばマイノリティーになり得るのであり、ある意味、社会が多様性に満ちていることは当然のことです。なればこそ、多様性の実現とは、議会の議員構成を多様化することではなく、政党や政治家自身があらかじめ多様性を調和させたり、マイノリティーの人々の意向を汲んだ政策を立案したり、あるいは、党綱領を作成し、賛意を得るべくこれらを国民に問うことにあるのではないでしょうか。日本国を含め、現在の政治を見ておりますと、政治そのものよりも、何か別の方向に国民の関心を逸らそうとする傾向に危惧を覚えざるを得ないのです。

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コメント (9)
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