昨日10月1日、中華人民共和国は、建国から70年の節目の日を迎えました。中国共産党が国共内戦に勝利をおさめて産声を上げたその日から70年の月日が過ぎ、今では、その旧態依然とした思考、並びに、行動様式において老大国の風情さえ漂わせています。ITやAIといった先端技術において世界のトップランナーでありながら、その使用目的を見る限り、過去の歴代中華帝国のハイテク化、あるいは、ITで蘇った全体主義国家に過ぎないようにも思えます。
中国の思考の古めかしさと硬直した行動様式は、その軍事パレードにおいて余すところなく示されています。習近平国家主席を仰ぎ、膝を曲げることなく人形の如くに一直線に行進する兵士達の姿は、ナチス・ドイツやソ連邦、並びに今日の北朝鮮の軍事パレードと変わるところなく、自由主義諸国の人々から見ますと不気味の一言に尽きます。そして、何よりも、強大な軍事力を誇示するために披露された先端兵器の数々は、中国と云う国が前近代的な暴力主義の国であることを、開き直るが如くに内外にアピールしているのです。脅迫効果を期待して…。日本国内のメディアの多くは、全アメリカを射程距離に納める新型のICBM等の公開を根拠に、同パレードは対米牽制の意味を持つと解説し、日本国は攻撃対象外のような印象を与えていますが、中国が、全世界の諸国を武力で威嚇していることは疑いようもありません。米ソ(ロ)間で締結された各種核合意は、結果的には、中国が同等の核戦力を保有するに至るまでの、両国に課せられた‘制限条約’として作用したとしか言いようがないのです。
かくして、暴力主義を露わにした中国は、香港に対しても、その内心においては暴力での解決を望んでいることでしょう。しかしながら、英中共同宣言や香港憲法による法的縛りにより、北京政府と雖も、人民解放軍を抗議活動の弾圧のために投入することはできません。そこで推測される軍事介入に替る代替手段は、香港警察の利用です。直接的介入が難しいとなれば、間接的介入を選択した可能性が高いのです。
建国記念日の同日、香港では、抗議デモに参加していた18歳の高校生が至近距離からの警察の発砲を受けて重体化するという痛ましい事件が起きています。これまで、香港警察は、催涙弾等を使用したとしても、殺傷力を有する拳銃の使用は控えてきました。おそらくその背景には、香港市民を刺激して抗議活動をさらにエスカレートさせる、あるいは、国際的な批判を浴びるような対応を避けたいとする香港行政府の思惑もあったのでしょう。しかしながら、今般、建国記念日の日に警察による発砲事件が起きたとしますと、香港警察の上部から発砲許可が下ったとも考えられるのです。
同時期に建国記念の祝賀行事に参加するために北京を訪問している香港の林鄭月娥行政長官は、習主席とも面会したとされています。狡猾な北京政府のことですから、香港警察の事実上の‘人民解放軍警察部隊化’を提案したのかもしれません。第二の天安門化による国際的批判を怖れる北京政府にとりましても、地方選挙を前にして香港市民の反発を懸念する林長官にとりましても、間接的に香港警察を使うとする案は好都合であったかもしれないのです。
北京政府は、香港警察を操って一人の高校生を‘見せしめ’とすることで、抗議活動の沈静化を図ろうとしたのかもしれませんが、全ての人が暴力に怯え、自らの信念を捨てるとは限りません。実際に、香港の抗議活動は終息するどころか、怒りに火をつけ、逆に勢いを増しているそうです。中国北京政府が、自由、そして、民主主義を暴力で封じることができると信じているとしますと、時代を、そして、人間性というものを読み違えていると思うのです。
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中国の思考の古めかしさと硬直した行動様式は、その軍事パレードにおいて余すところなく示されています。習近平国家主席を仰ぎ、膝を曲げることなく人形の如くに一直線に行進する兵士達の姿は、ナチス・ドイツやソ連邦、並びに今日の北朝鮮の軍事パレードと変わるところなく、自由主義諸国の人々から見ますと不気味の一言に尽きます。そして、何よりも、強大な軍事力を誇示するために披露された先端兵器の数々は、中国と云う国が前近代的な暴力主義の国であることを、開き直るが如くに内外にアピールしているのです。脅迫効果を期待して…。日本国内のメディアの多くは、全アメリカを射程距離に納める新型のICBM等の公開を根拠に、同パレードは対米牽制の意味を持つと解説し、日本国は攻撃対象外のような印象を与えていますが、中国が、全世界の諸国を武力で威嚇していることは疑いようもありません。米ソ(ロ)間で締結された各種核合意は、結果的には、中国が同等の核戦力を保有するに至るまでの、両国に課せられた‘制限条約’として作用したとしか言いようがないのです。
かくして、暴力主義を露わにした中国は、香港に対しても、その内心においては暴力での解決を望んでいることでしょう。しかしながら、英中共同宣言や香港憲法による法的縛りにより、北京政府と雖も、人民解放軍を抗議活動の弾圧のために投入することはできません。そこで推測される軍事介入に替る代替手段は、香港警察の利用です。直接的介入が難しいとなれば、間接的介入を選択した可能性が高いのです。
建国記念日の同日、香港では、抗議デモに参加していた18歳の高校生が至近距離からの警察の発砲を受けて重体化するという痛ましい事件が起きています。これまで、香港警察は、催涙弾等を使用したとしても、殺傷力を有する拳銃の使用は控えてきました。おそらくその背景には、香港市民を刺激して抗議活動をさらにエスカレートさせる、あるいは、国際的な批判を浴びるような対応を避けたいとする香港行政府の思惑もあったのでしょう。しかしながら、今般、建国記念日の日に警察による発砲事件が起きたとしますと、香港警察の上部から発砲許可が下ったとも考えられるのです。
同時期に建国記念の祝賀行事に参加するために北京を訪問している香港の林鄭月娥行政長官は、習主席とも面会したとされています。狡猾な北京政府のことですから、香港警察の事実上の‘人民解放軍警察部隊化’を提案したのかもしれません。第二の天安門化による国際的批判を怖れる北京政府にとりましても、地方選挙を前にして香港市民の反発を懸念する林長官にとりましても、間接的に香港警察を使うとする案は好都合であったかもしれないのです。
北京政府は、香港警察を操って一人の高校生を‘見せしめ’とすることで、抗議活動の沈静化を図ろうとしたのかもしれませんが、全ての人が暴力に怯え、自らの信念を捨てるとは限りません。実際に、香港の抗議活動は終息するどころか、怒りに火をつけ、逆に勢いを増しているそうです。中国北京政府が、自由、そして、民主主義を暴力で封じることができると信じているとしますと、時代を、そして、人間性というものを読み違えていると思うのです。
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