万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

相互主義の罠-中国による言論統制リスク

2019年10月18日 15時17分37秒 | 国際政治
 本日の日経新聞朝刊に、「中国の言論統制海外にも」というタイトルで中国の言論弾圧が海外にまで拡大している現状を憂うる記事が掲載されておりました。筆者はフィナンシャルタイムズのチーフ・フォーリンアフェアーズ・コメンテーターのギデオン・ラックマン氏なのですが、同氏が危機感を募らせた切っ掛けは、米プロバスケットボール協会(NBA)と中国との間で起きた軋轢です。NBAに属する「ヒューストン・ロケッツ」の幹部が香港支援のメッセージをツウィートしたことから、これを問題視した中国当局がNBAの放映を一部中止すると言った圧力をかけたのです。また、仏ディオール社も、台湾を描いていない中国地図を用いたことから謝罪に追い込まれています。

 同記事に依りますと、かこくも露骨な介入を行いながら、習近平国家主席は、アフリカ諸国の首脳を前にして「5つのNO」を提唱し、内政不干渉を掲げているそうです。この言葉は、一般的な理解からすれば、‘中国は他国の内政に干渉しないかわりに、他国の中国の内政には干渉しないでほしい’という意味に聞こえます。しかしながら、ラックマン氏も「中国政府が解釈する不干渉」に過ぎないと注意を促すように、この言葉の言い回しは中国独自のレトリックであり、むしろ、中国の干渉を許すリスクが潜んでいるというのです。

 そこで、「中国政府が解釈する不干渉」について何処にまやかしがあるのか考えてみたのですが、まずもって、相互主義の罠に気が付く必要があるように思えます。相互主義とは、対等の立場から一般的にはお互いの言い分や立場を認め合うことを意味しますので、誰からも受け入れられやすい原則として一般的には理解されています。しかしながら、相互主義で合意する段階にあっては対等でありながら、必ずしもその結果までもが公平であるとは限らならいケースもあります。

 ある特定の相手方に害を与える行為をめぐって、‘私もそれをしませんので、あなたもそれをしないでください’という合意が成立いたしますと、以後、双方ともがその同一行為を控えるのですから、相互主義は、双方に同等の禁止効果を及ぼします。こうしたパターンでは、双方にとって公平な結果がもたらされますので、お互いに何らの不満も残りません。

 しかしながら、相互承認の対象が考え方や価値観であり、かつ、その及ぶ範囲も曖昧な場合には、「相互主義」という言葉はレトリックに転じ、その結果は対等でも公平でもなくなります。例えば、それは、「わたしは、この他害行為を禁止すべきではないと考えているが、あなたは、逆に禁止すべきと考えている。意見は違うけれども、相互に相手の言い分を認め合おう」という表現の罠です。このケースでは、確かに双方ともがお互いの意見や立場を認めるのですから平等なように見えますが、その結果を見ますと思わぬ落とし穴に気付かされます。何故ならば、この手の相互主義を認めますと、他害行為の禁止を主張する側は、それを容認する側による他害行為の実行によって自らが害を受けることを甘受せざるを得なくなるからです。つまり、結果は対等でも公平でもなく、本来相互に禁止されるべき他害行為が、それを容認する側にのみ許されることとなるのです。

 トラップとしての相互主義が存在することを考慮しますと、「中国政府が解釈する不干渉」とは、‘相手国に対する干渉を認める中国の立場に対して他国は干渉してはならない’という意味かもしれません。しばしば中国は、‘国家間の体制の違いに拘わらず、相互に互恵的な関係を構築すべき’と訴えていますが、その実、他国に対して自らの覇権主義を受け入れるよう迫っているのかもしれないのです。自由主義国が全体主義国の在り方や価値観をそのまま認めることは、自殺行為に等しい結果を招きかねず、こうしたトリッキーな相互主義もまた、メビウスの輪戦略の一つではないかと思うのです。相互主義のはずが一方的な侵害に行き着くという…。

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コメント (8)
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