万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

混乱する‘皇統’

2019年10月22日 13時40分44秒 | 日本政治

本日、10月22日、皇居では即位の礼が行われました。昭和や平成時の代替わりとは違い、様々な情報がネット空間を飛び交う今日にあって、少なくない国民が皇室の在り方に不安や違和感を覚えているようにも思えます。知っているのか、知らないのかによって、物事に対する判断は正反対になることもあるからです。特に重大となるのは、皇統の問題です。本記事では、今後の議論のために、皇統問題について一先ず整理を試みたいと思います。

 日本国の公式の見解であり、天皇の存在意義、並びに、正統性を説明する際に唱えられてきたのが、所謂万世一系論です。皇統とは、天照大神に由来する神聖なる血統を意味します。皇位継承法に変遷はあったとしても、神武天皇以降の歴代天皇が今日に至るまで絶えることなく父系の血脈として天照大神の血統を引き継いでいるとする点が、皇位の正統性の源にあるのです。建国の祖の子孫が、代々国家のトップの座や統治権を世襲する制度は、古今東西を問わず、世襲制の王制として普遍的に見られますが、日本の場合は、これらとは些か違い、建国の祖が、天の世界の神様、即ち、天照大神の子孫であるということを特徴としています(もっとも、昭和天皇による所謂人間宣言や、今日の科学的な見地からは、同血脈の神聖性は否定せざるを得ない…)。皇統に関する第一の立場は、万世一系論です。

 ところが、国家としての公式見解である万世一系論が存在するものの、同見解は、歴史的な事実とは必ずしも一致はしません。第二の立場は、皇統は断絶しているとする立場です。日本国の皇統についても、既に古代から疑義が呈されており、現代のようにDNA鑑定といった科学的手法がない時代にあっては、皇統の乱れや入れ替えを確認することはできませんでした。『源氏物語』では光源氏もまた皇統を継いでいますので、厳密には王朝交替とはならないのですが、秘かに他家の血脈に入れ替わってしまうケースはあったと考えられるのです。室町時代にあって北朝は足利系に替ったとする説もありますが、近現代にあっても天皇すり替え説は存在します。政治的な‘宮中クーデタ’であれ、個人的なアフェアであれ、内乱なくして新たな王朝交替が起きてしまっていた可能性はあります。明治天皇すり替え説もよく知られております。この立場にあっては、上述した万世一系論は建前に過ぎず、秘密裏に王朝交替が起きていたとする説は、皇統断絶論、あるいは、皇統すり替え説と称することができます。

 そして、第三の皇統に対する疑義は、婚姻による正統性の希薄化です。父系のみに皇位継承の正統性を認める万世一系論では母系は無視されるものの、天皇の配偶者が皇統に影響を与えることは歴然とした事実です。古代にあって、皇后の条件が皇統を継承する女子とされた時期もあり、こうした事例は母系が無視されてきたわけではないことを意味しており、否、むしろ重視されてきたと言えるでしょう。例えば、平安期の藤原氏のように母系を介して‘天皇の祖父’の座を独占し、摂関政治の基礎を築いた事例もあります。政略結婚もまた古今東西を問わずに散見されますが、近年に至ると、皇族の自由婚姻という別の形での‘天皇の祖父’問題も起きています。何れにせよ、生殖細胞の減数分裂により皇統は確実に希薄化しますので、Y遺伝子、即ち、父系のみで繋がってはいても、婚姻には皇統の他家による支配や私物化のリスクがあるのです。また、代を重ねる度に皇統が半減してゆけば、もはや一般国民とは違う特別の血脈でもなくなりますので、天皇の権威低下も否めません(現代人の感覚からすれば、むやみに有難がったり、頭を下げるのは馬鹿馬鹿しい…)。

 本日の即位の礼も、建前としては万世一系論に立脚しておりますが、実のところ、何れかの時点で皇統が断絶している可能性は極めて高く、それが明治期といった近現代に起きた陰謀であれば、海外勢力による日本支配の問題とも直結します。過去の歴史上の出来事ではなく、今日なおも、日本国は、自国の歴史に埋め込まれてしまった皇統問題に苦しめられているように思えるのです(皇室の血統上の機密情報を入手した諸外国から脅迫されるリスクもある…)。そして、第三に指摘した婚姻による私物化リスクもまた、皇族の配偶者の出自が詳らかではない以上、国民にとりましては重大な不安材料です。新天皇の即位を慶事として祝うべきなのか、躊躇う国民が現れても不思議はありません(また、真の多様性の尊重と自由に鑑みれば、皇室については、批判を含めた様々な意見や捉え方があってもよい…)。

 以上に述べた皇統に関する諸点を考慮しますと、‘皇統’につきましては、現皇室による世襲、並びに、‘現代に合わせた新たな皇室像’の模索は、きっぱりと諦めた方が潔いのかもしれません。むしろ、古来の祭祀、並びに、朝廷に伝わる伝統文化こそ、後世に伝承すべきものの本質と見なすべきなのではないでしょうか。

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コメント (12)
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