万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

リブラとデジタル人民元は風林火山?

2019年10月29日 14時19分49秒 | 国際政治
 フェイスブックのモットーは、‘Move fast and break things」(素早く行動し破壊 せよ)’なそうです。同社の創設者であるマーク・ザッカ―バーグ氏は、同モットーの実践によって若くしてデジタル時代の寵児となりました。逸早く会員制交流サイトのアイディアを以ってSNSのプラットフォームを構築し、全世界に24億を超えるユーザーを得たのですから、同モットーこそ、フェイスブック躍進の原動力であったことは疑いようもありません。しかしながらこのモットー、実のところ相当に謀略的であり、現代と云う時代にはそぐわず、乱世にこそ相応しいのではないかと思うのです。

 もっとも、リブラ構想ではこのモットーは通用せず、逆風の中でストップせざるを得なくなりましたが、同モットーは中国にも当てはまります。フェイスブックのモットーに最も近い行動原則を探してみますと、それは、風林火山のように思えます。風林火山とは、日本国内では甲斐の武田信玄が旗指物に掲げられたことで知られていますが、この出典は、『孫子』にあるとされます。風・林・火・山の4文字のうち、‘動’に関する風と火は、まさしくフェイスブックの‘素早く行動し破壊せよ’の行動原則と凡そ一致します。乃ち、‘早ききこと風の如く’、‘侵掠すること火の如く’なのです。因みに、‘静’の二文字である林と山は、‘しずかなること林の如く’、‘動かざること山の如し’です。現代にあっても中国は、春秋戦国時代に書かれたとされる戦略指南書、『孫子』の忠実な信奉者であるように思えるのです。

 『孫子』が春秋戦国時代に書かれた兵法書であったことは、同書に記された行動原則が、戦乱の世を前提にしていることを意味します。乃ち、この世界には、法やルール、あるいは、合意を尊重する精神は宿っておらず、力とそれに基づく行動力が凡そ全てを決定します(一方的に自らの意思を他者に強制できる…)。そして、無法世界で勝者となるためには、誰よりも先に素早く行動し、攻撃の目的と定めた対象を破壊しなければならないのです。フェイスブックを事例にとれば、全世界に張り巡らされたネット上にSNSのプラットフォームを逸早く構築することであったのでしょう。プラットフォームは空間の掌握ともなりますので、他のインフラと同様に独占や寡占の利益を永続的に享受することができます。こうした‘先手必勝’にも通じる既成事実による覇権の掌握は、乱世におけるオフェンス側の基本的な策の一つです(法秩序が整っている‘平和な世界’では、スタートの位置や時間等が公平なルールによって定められている…)。敵に熟考や準備を整える暇を与えず、一気に攻め入るという…。

 ネット上の交流サイトの運営は、全く新しいビジネスモデルですので、破壊’とまでは行かないまでも、それが、デジタル通貨の発行ともなりますと事情は大きく違っています。何故ならば、送金や決済システムを備えたデジタル通貨の発行は、国家レベル並びに国際レベルにおいて既存の金融システムを‘破壊’するからです。つまり、国内の金融インフラのみならず、国際公共財である国際通貨システムがその‘破壊’の対象なのです。そして中国も、‘風’の如く他の諸国に先駆けてグローバル通貨を発行し、‘火’の如く他国の通貨圏を‘侵掠’し、国際基軸通貨の地位をも奪うつもりなのでしょう。リブラであれ、デジタル人民元であれ、特定の主体による一方的な行動が公共財を破壊するのですから、国際社会にとりましては重大な脅威なのです。

 デジタル時代を迎えた今日、オフェンス側の基本戦略に対するディフェンス側の基本戦略もあるはずです。そして、この後者の対抗戦略こそ、破壊をともなう乱世ではなく、人々が理性や知性を働かせ、合意や法が重んじられる現代という時代に相応しいものであるべきです。そして、金融・通貨の分野におけるディフェンス側の戦略とは、時間をかけて理性的かつロジカルに考え、今後の国際通貨制度については誰もが納得する制度設計を志すと共に、国際的なコンセンサスを形成することなのではないでしょうか。

よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする