メンデルによる遺伝の法則の発見は、人類が生命の不思議を解明する入口に立つと共に、社会の在り方にも多大なる影響を与えることとなりました。その衝撃性において、メンデルはダーウィンにも優るかもしれません。何故ならば、遺伝学上の見地は、世襲に関する伝統的な考え方を覆してしまったからです。日本国の皇統に関しても例外ではなく、以下に述べるような問題を提起しています。
母親は‘借り腹’に過ぎず、子は父親のいわばクローンであるとする考え方は、今日、遺伝学によって完全に否定されています。ランダムな染色体の組み換えためにその比率に違いがあろうとも、いずれの子も、両親の双方から染色体を引き継いでおり、もはや母親は‘無関係’とは言えなくなりました。このことは、側室を母とする大正天皇のように、戦後の正田家からの入内以前に遡って皇統が希薄化していたことを意味します。その一方で、Y染色体のみが父親から男子に確実に継承されるため、46本の染色体の1本に過ぎないにせよ、遺伝学に立脚した新たな父系主義も登場したのです。
遺伝のメカニズムが明らかになるにつれ、さらにはっきりしてきたことは、建国の祖の遺伝子は、婚姻を同一血族間に限定しない限り、残りの大多数の遺伝子は、代を重ねる度に急激に減少するという事実です。平安時代にあっては藤原氏が皇后や中宮の地位を独占しましたし、その後も戦国大名等の女子が入内していますので、万世一系が保たれているとすれば、天照大神の子孫とされる神武天皇の遺伝子は、おそらくY染色体のみかもしれません(ただし、天照大神は女神であり、しかも皇孫とされる瓊瓊杵尊は、素戔嗚尊の佩く剣と、天照大神のみずらと腕に巻かれた首飾りから生じていることから、皇統男子特有とされるY染色体の特定自体がそもそも困難…)。
また、遺伝学によって皇族が受け継ぐとされる‘神の血脈’を証明することは殆ど不可能となりました。DNA配列とは暗号のような記号であって、しかも、分離可能な情報パーツです。すなわち、一個の統合された人格や身体であっても、遺伝子レベルで見れば、分解可能な膨大な情報パーツによって構成されているのです。何故、生物は一個の意思を有するのかは未解明の謎ですが、建国の祖やその後継者のみが排他的に有するDNA配列は存在せず、しかも、何らかの固有なDNA配列を有していたとしても、それが他の人類とは全く異なる‘神’のものであるはずもありません。
そして、ヨーロッパの王室では、男子優先の継承ではなく性別をなくして長子継承に切り替えましたが、遺伝学的見地に基づけば、この継承法は合理的ではありません。仮に、建国の祖、あるいは、先代君主の血統を後世に残そうとすれば、全ての子のDNA検査を実施し、その中から最も多く正統性の根拠となる人物のDNAを継承している子、あるいは、親族を即位させるのが、最も合理的な方法であるからです。この点に鑑みれば、現皇室に皇位継承権を独占的に認める必要性はなくなります。
以上に述べてきた遺伝学的な見地からしますと、今日の皇族と他の一般の日本国民とを区別することは極めて難しくなります。しかも、皇統の希薄化に留まらず、唯一の拠りどころとされるY染色体の継承に疑義があるとすれば、国民の多くは、皇族を‘神の子孫’や貴人として素直に敬うことはできなくなります。それは、理性に反する、あるいは、自らの心に嘘を吐くことになるからです。国のトップの一挙手一動に全国民が一喜一憂するよう強いられる、北朝鮮のようなパーソナルカルトの世界に住みたい人は、殆どいないのではないでしょうか。
全国民に崇敬を要求する皇室の現状は、合理的に物事を考える人であるほど、精神的な苦痛として感じることとなりましょう。こうした混沌とした状況から脱するためには、先ずは、天皇陵の発掘と現皇室のDNA鑑定を実施する必要があるかもしれません。歴代天皇のDNA鑑定は、日本国の歴史を明らかにする上でも重要な作業ですが、遺伝的継承の有無やY染色体の一致・不一致による万世一系を検証することができます。そして、戦国時代に布教を試みた宣教師が評したように、元来日本人は合理的な考え方をしますので、たとえ、教科書の説明とは違う結果が判明したとしても、国民の多くは、それを、事実として受け入れることでしょう。
カルト的な手法で国民を北朝鮮的世界へと誘導しようとする政治家やメディアよりも、一般の日本国民の方がはるかに精神的に成熟し、かつ、冷静に皇室を見つめているように思えます。事実が判明すれば、もやもやしていた感情が晴れ、むしろ未来に向けて新たな一歩を踏み出すことができるのではないでしょうか。
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