万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

香港の覆面禁止法-あまりに狡猾な中国の手法

2019年10月04日 20時16分36秒 | 国際政治
 香港情勢は、16歳の高校生が香港警察の発砲により重傷を負う事件をきっかけに、緊迫感が増しています。検察当局が同学生を起訴すると共に、香港政府も、緊急法として覆面禁止法を制定する構えを見せています。この手法、あまりにも狡猾なのではないかと思うのです。

 覆面禁止法とは、ITの先端技術としての顔認証システムの完備によってその効果が倍増されることは疑いようもありません。覆面をすることなく抗議デモに参加した場合、当局側の画像分析によって参加者の一人一人が確実に特定され、同抗議活動が暴動に認定されようものならば、逮捕拘留され、政治裁判によって処罰を受けることとなるからです。香港にも、中国式のハイテク国民監視システムが導入されているとすれば、逮捕記録は国民の政治的な‘信用格付け’においてマイナス評価となり、香港の、中国の、そして、人類の自由・民主主義のために闘った若者たちの将来は閉ざされてしまうかもしれないのです。

 中国にとりましては、香港は、おそらく中国本土で同様の自由化・民主化運動が起きた時に備えた一種の実験場であるのかもしれません。つまり、中国が、かくもITの研究・開発に熱心に取り組み、これらの実用化を急いだのか、その理由が分かります。人の心には、一方的な強制や支配を嫌い、自由で公正な社会を求める善性が本性として宿っていますので(ただし、サイコパス等は除いて…)、共産党一党独裁体制に対する抵抗や反発が生じるのは自然の流れです。この人類の心理に根差した歴史の展開を予期しているからこそ、中国共産党、並びに、全体主義者の人々は、自己の独占的な支配権を脅かす如何なる行動も許してはならず、個人の私的な領域や内面までをも支配する先端的な監視システムを必要不可欠としたのです。テロや犯罪対策といった政府による治安目的の説明、あるいは、ユーザーの利便性の向上といったIT大手のピーアールは、国民の警戒心を緩め、監視システムを正当化するための方便に過ぎないのでしょう。

 香港の人々は、自らの顔を晒して抗議活動を続けるのか、それとも、抗議活動を止めるのか、というどちらを選択しても過酷な運命が待ち受けている二者択一を迫れられています。前者を選択すれば、自己犠牲を引き受けかねず、後者を選択すれば、自由な空間を失うからです。邪悪な支配者の思考は徹底して人の善性に対して冷酷であり、恐怖心を植え付ける残酷さこそが自己が生き残る唯一の道であると固く信じているのでしょう。

 香港問題が、香港のみの問題ではなく今や人類全体の問題であるとされる理由は、まさにここにあります。監視カメラが至る所に設置され、スマートフォンがビジネスや日常生活において不可欠のツールとなる今日、自由主義国家もまた、国民に知られることなく全体主義国家へと移行してしまうリスクがあるからです。今日、日本国民を含め、多くの国の人々が、民主主義の形骸化に懸念をいただいています。香港の自由や民主主義を護ることは人類を護ることでもあり、今日、全ての人類が、長きに亘る努力の末に獲得してきた普遍的価値が失われる危機に直面しているのです。あらゆる科学技術は、それを使う者の心の在り方によって、その効果は正反対となるものです。善良なる人々を二者選択に追い詰める中国に対して、人類の未来に責任を負う全ての諸国、並びに、人々がこの狡猾なる行為を許してはならないのではないかと思うのです。

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コメント (8)
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