6月6日(日曜日)。☁☂☁☂☁。寒っ。朝のバルコニーの温度は10度。昼を過ぎてもやっと12度。予想最高気温は14度で、朝方の最低気温は何と8度。外のトマトもきゅうりも泣いちゃってるなあ。どうなってんだろう、この気候不順ぶり。1日中雨が降っているならともかく、どよぁ~んと曇っているかと思うと、雲が白っぽくなって来て、晴れるのかなと思っていると、黒い雲がぐわっと広がって雨がざあざあ。ええっと呆れていると、雨足が弱まって空が明るくなって何となく青空への期待を抱かせ、そこへまた分厚い雲がやって来てが雨しょぼしょぼ。何だかいじわるな雨雲の塊がこれ見よがしに行列を作って通って行くみたいで、何なのよ、もう。(夜になって何と暖房がオン!)
ま、雨が降ろうが寒かろうが、今日は「仕事モード」。半年の中断を挟んで1章ごとに進めて来て、やっと核心に入って来たので、校正と編集、リサーチが担当のワタシもおもしろくなって来て、すんなりと身が入るようになった。ほぼ30年もやって来た仕事からリタイアしたとは言え、コロナのおかげで芝居にも旅行にも行けない今は、ときたまの仕事はメリハリになっていい。それに、昨今の演劇界を外野席から眺めていて、創作と翻訳の間でどっちつかずになっていた自分の軸足を、この際思い切って翻訳に据えようと本気で考え始めたところで、翻訳者としてまだまだ捨てたもんじゃないよと背中を押してもらっている気持にもなる。でも、翻訳の作業そのものには「好き」という感情があまりないので、翻訳がワタシが思っていたような天職ではなかったんじゃないかという気がする。
と言うと、じゃあ翻訳って、ワタシにとってはいったい何なのよということになるんだけど、そこが一番難しいところかなあ。大学には自分の意思で行かなかったし、こっちの通信制大学で1年分の単位は取ったけど科目のつまみ食いだったし、夜の学校に行って通訳の勉強はしたけど、翻訳についてはこれといった勉強はしたことがないから、今どきの日本のモノサシだと無学歴と言うことになるらしい。実際にキャリアの初めの頃、日本から来た翻訳者志望のお嬢さんの「大学はどちら?」という問いにどこにも行かなかったと答えたら、「えぇ~っ、それってぇ~、もぐりじゃないんですかぁ~」と返されて絶句したことがあったっけ。それでも、営業しなくてもなぜかどかどかと降って来る仕事の山に埋もれてしまって、天職がどうかなんて考えてみる暇はなかったんだよなあ。
でも、少なくとも仕事をしているときは楽しかったんだから、これまた摩訶不思議。つらつらと考えると、翻訳と言う「仕事」そのものが楽しかったんじゃなくて(荒稼ぎは確かにうれしかったけど)、原稿を読んで、頭の中で噛み砕いて、イメージを作って、それをもうひとつの言語で読み取って、理解して、文章として表現すると言う作業と、そのの過程でいろんな知識に触れて感動したり学んだりすることが、とにかく刺激的で、おもしろくて、楽しかったんだと思う。これも、あらゆる分野で専門化が進む中で、学位記などで裏づけできる「専門」がなかったために、否も応もなく来るものは拒まずの「何でも屋」に徹するしかなかったのが逆に幸いしたというべきで、へたに専門分野の看板を掲げていたら、遅かれ早かれ同じような仕事の繰り返しに飽きてしまったかもしれないな。長い人生、禍福は糾える縄のごとしって言うからね。

きのうルーフデッキに飛来したトラフアゲハ