リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ドラァグクィーンも歌舞伎も異性を表現する芸能

2022年06月17日 | 日々の風の吹くまま
6月16日(木曜日)。☁⛅☁⛅。目が覚めたら、うはっ、もう9時過ぎ。よく眠ったもんだなあ。ゆうべが楽し過ぎたのかな。いや、ほんとに楽しかった。ちょっぴりだけおしゃれをして出かけて、おしゃれなクラブでのレセプションで後援者グループのADCの仲間とワイングラスを傾け、回って来るおつまみを摘まみながら、「コロナ前の良き時代と同じだなあ」と、ほんとにコロナ前にタイムスリップしたような盛り上がり。会場になった「バンクーバー・ローン・テニス&バドミントン・クラブ」は1897年創立の由緒ある会員制クラブで、元はテニスとローンボーリングたったのがテニスとバドミントンになっていたのは時代の流れだろうか。テニスコートは16面、バドミントンコートは6面、他にスカッシュなどのコートやプールがあって、夫婦なら入会金390万円で飲食を含む会費は月3万3千円(社交だけなら入会金230万円で月2万5千円)というから、ゴルフクラブと似たようなものかな。私たちには文化的にも縁がないけどね。





レセプションがお開きになって、三々五々スタンリー劇場へ。シーズンを通して同じ席なので、周りも同じ顔ぶれのADCのメンバーだらけ。私たちのすぐ後ろはイーディスとデイヴィッド、すぐ前はヒラリーとティムで、専務理事のピーターがオープニングの挨拶に登場するまで、親しい同士でぺちゃくちゃ。どうやら満席御礼のようで、偽チケットが出回っていたという前代未聞の大ヒット。実話を基にしたイギリス映画をミュージカル化したもので、音楽担当はロック歌手のシンディ・ローパー。倒産寸前の紳士靴メーカーを相続した青年チャーリーがひょんなことからドラァグクィーンのローラ(サイモン)と知り合って、彼らの体格を支えられる女物の靴を作って起死回生を図るという筋書き。そのローラを演じた役者は本物のドラァグクィーンで、サイモンとしてはまあ普通の男性なんだけど、いったんローラになるとそんじょそこらの女性には太刀打ちできそうにないような妖艶でパワフルな美女に変身するからすごい。共演のドラァグクィーンたちも惚れ惚れするような「美女」ぞろいで、1曲ごとに大喝采。

今でこそドラァグクィーンは芸能のひとつのジャンルとしてけっこう広く認識されているけど、スポットライトを離れて素顔になると、やっぱり何かと差別や中傷の的になって来ただろうな。でも、シェイクスピアの時代は男役者が女性の役を演じていたし、日本にも男だけの歌舞伎という伝統芸能があって、演じる「女形」そのものが芸能の一形式になっているし、近代になって女性だけで男性役も演じる「宝塚歌劇」が誕生したわけで、異性を表現すること自体が芸術、芸能として存在して来たのは、洋の東西を問わず基本的なsexism(性差別)が根底にあったからだと思う。男女同権が進んで同性婚が合法化され、男女を問わず同性カップルがどこにでもいる今では、大学の演劇科に講座ができていたりするくらいだし、本能的な違和感を持ち続ける人がいなくなることはないだろうとしても、この先はドラァグクィーンに対する世間の好奇の目も遠のいて行くだろうな。

ワタシ自身は子供の頃からよく「女の子らしくない」と言われて、一時はほんとは男の子じゃないのかと疑ったり、女らしさって何なんだろうと模索したことがあったので、、性的マイノリティに属する人たちの気持は普通の人たちよりわかっているつもりで、FB友の中には「ピーチ」の名で活動しているドラァグクィーン(本名では劇作家)がいるし、FB仲間にも実際の行き来がある友だち仲間にも同性カップルが何組もいる。まあ、演劇界にはマイノリティに属する人が多いこともあるだろうけど、ワタシは老若男女を問わず初めて会う人に違和感を持たない方で、違和感そのものがなければモヤっとすることもない。自分がラベル分けされるのが嫌いで(ラベルを付けた人たちが勝手に思い描く「ワタシ像」を具現することへの圧力を伴うことが多い)、会う人たちもそういう「先入観」なしでひとりの「人」として見るから、いろんな意味で他人との間の壁が低いのかもしれない。この地球上には実にいろんな「人」がいて、みんな違ってみんないいはずだもの。