リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

人間ってのはほんっとにややこしい動物だと思う

2022年10月01日 | 日々の風の吹くまま
9月30日(金曜日)。🌫🌤☀。あぁ~あ、ついこの間もう9月になっちゃったと言っていたのに、気が付いたらもう9月最後の日。まあ、今月は騒音イベントから避難してトフィーノに行ったり、そこでカレシが拾って来たらしい風邪をもらっちゃったりしているうちにいつの間にか過ぎてしまったというな、何だかなあと言う感じの1ヵ月だったな。でも、今日は暑くもなし、寒くもなしで、朝の霧が晴れれば視野いっぱいの空は見渡す限り秋の色。そして、明日からは10月・・・と。

今日はNational Day for Truth and Reconciliation(真実と和解のための国家の日)という長ったらしい名前の去年できた「祝日」。連邦政府の管轄下では法定休日なので、連邦政府のお役所を始め、郵便局や銀行も閉まって、そこで働く人たちは有給で休み。でも、BC州では「記念の日」というだけで法定休日に指定していないので有休にはならないけど、州政府や公社、公立の学校、UBC(BC大学)やバンクーバー市役所などは(有給で?)休みで、公共交通は「休日運賃」で運行、その他は「先住民に対する過去の過ちを真実として受け入れて(反省し)、和解を目指そう」という趣旨に沿って(仕事を休んで?)思索しようとかいう日で、あちこちで特別イベントが目白押し。いつも1日中かけっぱなしのロック専門のラジオ局まで、先住民の声を聞こうとか何とかで、1曲終わることに先住民の活動家やアーティストの「声」が流れて、常連のコマーシャルが流れて、ときどき「ラジオ放送局の全国組織が企画したものです」。ふむ、「うちが企画してやってるんじゃないから、苦情の電話はかけないでくれ」という予防線を張っているみたいで、つい笑っちゃった。

要するにリベラル族が大好きな「イベント」の日なのよね。自分たちがどんだけ差別や偏見の存在を認識(wokeという)している進歩的な「上級」人間であることを認めて(称賛して)欲しい「自意識高い系」にとって、イベントは自己肯定感を高める手っ取り早い手段なんだと思う。こんなことを大っぴらに言ったらwoke族の攻撃目標になりそうだけど、ワタシは彼らが差別や偏見を排除し(てあげ)ようとしているIBPOC(先住民、黒人その他有色人種)のうちのPOCに分類される巷の人間なんで、悪しからず。まあ、趣旨はともあれ、掲げる目的がどれだけ立派なものであっても、メディアを動員しての大がかりなイベントは詰まるところ夏中いたるところでやっているストリートフェスティバルと変わらない集客イベントで、終わってしまえば「また来年も来てね」のビジネス。集まった人たちもイベントがあるから行ってみたという向きが多いだろうから、一夜明けたら「おもしろかった」でおしまいで、結局は社会を変えるきっかけにはならず、政治が押し付ける「変革」以外には何も変わらないんだと思う。

まあ、人間のやることはなぜかいつもパラドックス満載だから、頑迷で狭量な保守主義に対峙して進歩的な自由社会を理想としていたはずのリベラルが、あれはダメ、これはダメ、こうすべき、ああすべき、これを優先、あれは排除と、どんどん偏狭になり、人間を人間たらしめる言語から言葉を消し去り、はては人間の歴史から過去の記憶まで抹消するという、保守派や差別主義者さえびっくりの不寛容な押し付け社会を作ってしまっているのもそのパラドックスのひとつと言えそうで、だからアメリカでもヨーロッパでも、エリート意識丸出しの「イリベラル」左翼が社会をどんどん窮屈にしていると感じ始めた庶民が右翼のポピュリズムに惹かれているんだろうと思う。歴史は振り子のごとく、一方に強く押すと同じように強く自分の方に振れ戻って来るわけ。それはともかく、ラジオから流れて来た先住民の「声」の中で、「先住民のレッテルは害でしかない。誰にもレッテルを貼らない社会になればいい」と言う人がいて、日ごろから「人間」以外のレッテルを貼られたくないと公言しているワタシは手を止めて聞き入ってしまった。そうだよね。やたらとIBPOCとか2SLGBTQQIA+なんてレッテルをつけて中身のない特権意識を擦り込むこと自体が、ワタシには自意識高い系(woke族)の差別意識の表れそのものに見える。もっとも、自他の区別は人間が「自分」のアイデンティティを確立する上で不可欠の要素でもあるんだけどね。人間ってのは、ややこしい動物だなあ、ほんとに。