10月13日(木曜日)。☀☀。のんびり起きて、のんびり朝ご飯。相変わらず雨の気配はなしで、もやってはいるけど大気の質(AQHI)は「低リスク」の「2」と「3」を行ったり来たり。でも、遠い郊外のフレーザー川上流の一帯は燃えている山林火災に近いとかで大気汚染注意報が発令中で、ケイラの農場があるチリワックやマットの家があるハリソンホットスプリングスでは、AQHIが「高リスク」の上限の「10」と言うから、かなり煙たそう。この週末はまた残暑になるんだそうで、はあ。でも、次の週末の予報には「雨」のマークがついていて、雨粒が4つということはまとまった雨が降るということだけど、当たればいいけどね。
きのうの夜はArts Clubのシーズン第2作目『Redbone Coonhound』のオープニングナイト。オリンピックヴィレッジ地区にあるBMOシアターセンターのニューモントステージは243席の小劇場で、Silver Commissionというプログラムの下でArts Clubが新進から中堅どころの劇作家に依頼した新作を上演することが多い。ゆうべの作品もそのひとつで、オマリ・ニュートンとエイミー・リー・ラヴォワの合作による、人種問題、ジェンダーの問題、不平等の問題、文化の盗用、キャンセルカルチャー(Woke族による思想や言動に基づく排斥行動)を痛烈かつコミカルに風刺したドラマ。タイトルは犬の品種名で、黒人のマイクと白人のマリッサの異人種夫婦が散歩の途中で遭遇して、マイクが「黒人差別用語が2つも使われているのに誰も何とも思わないのか」と激高するところから始まる。BMOでの劇作家や演出家との座談会にはロビー上の会議室を使うので、出席者はだいたい20人くらいでほとんどがADCの常連。作者のオマリはカリブ海系の黒人、エイミーは白人で、そろってケベックの出身。実生活では(ご近所さんのケイトお姉ちゃんによると)仲のいい夫婦でかなりの部分に2人の日常会話が反映されていると言っていた。
座談会の参加者の中では私たちとグレンとメラニーの夫婦の2組が異人種婚カップルで、座談会の後でしばしオマリとエイミーを交えて異人種カップルのあるある体験談に花が咲いて、ちょっと見識が広がった気持。ケベック生まれのオマリは両親がカリブ海の島国トリニダード・トバゴの出身で、同じくケベック生まれのエイミーは代々のフランス系。グレンはアメリカ東部ニューイングランド出身の白人。メラニーはバンクーバー生まれの中国系3世。カレシは「イギリス系5世」だけど、イングランド、スコットランド、ドイツなどの「雑種白人」。そしてワタシはその雑種白人一家の一員になった(たぶんに縄文系の)日系アジア人。要するに、多民族国家を標榜するカナダでは、肌の色は同じでも言葉や文化が全く違う「民族」が世界中から集まって来て住んでいるし、全体の8%(日系人/日本人は80%!)と言われる異人種婚(「国際結婚」と言う言葉はない)カップルの間に生まれた混血の子供が大勢いるから、肌の色だけで「何国人」と仕分けするのは至難の業と言うこと。ワタシとしては、これから100年か200年先の未来のカナダでは誰でもみんなただの「カナダ人」というイメージが見えて来ているのはすばらしいことだと思う。
でもまあ、そういう未来の理想像はあくまでも理想なんであって、偏執的で石頭のWoke族が誰にもかれにもあれこれとレッテルを貼って、自分たちの「理想世界」の要件に合わない人間を片っ端から社会から排除していたら、アガサ・クリスティーのタイトルじゃないけど、そのうちに「そして誰もいなくなった」になってしまう可能性も無きにしも非ずかな。でも、何らかのレッテルを貼って、それをフィルターにして篩にかけ、さらに同じグループの中でもランク付けしたがるのが人間社会のようだし、そこで相手が同じレッテルで同じランクでなければ接し方がわからないという人たちがいるのも人間だからこそだろうし、そんなところからキャンセルカルチャーなんてものができて来るんだと思う。はて、色も形も大きさも違う多彩な種類がいる犬や猫も相手を互いをフィルターにかけて見るのかな。それにしても、笑いながらもいろいろと考えさせられる、いい作品だったな。ヒットして欲しいね。