新年早々からgooにアクセスできなくなって、アメーバに間借り中・・・
新年早々から・・・
1月1日(水曜日)。☁。ハッピーニューイヤー。あけましておめでとう。謹賀新年。年越しはあちこちで鍋を叩く音、爆竹の音、バルコニーから叫ぶ声が入り乱れて賑やかだったけど、新しい1年の始まりはいたって静か。西暦2025年。日本では何の何年なのかな。ワタシが日本を離れた1975年はたしか昭和50年だった。昭和なんて遠い昔なんだよなあ。うん、今年2025年はあの昭和50年からちょうど50年。元旦は水曜日だったそうで、50年経った2025年の元旦も水曜日。当時27歳だったワタシは今年77歳。喜寿って言うんだよね、これ。古希から始まって長寿を祝う節目なんだそうで、3年後の80歳は傘寿、88歳になると米寿、90歳に到達したら卒寿、99歳まで生き延びたら白寿、めでたく100歳になったら紀寿ということだけど、基本的にはいつも「今生きているワタシ」がワタシなので、未だに年を取ったという自覚が湧いて来ない。まあ、50年前のワタシよりは人間として「成長した」とは思うけど・・・。
元旦の朝はミモサでハッピーニューイヤー
カナダに来て根を張って今年で満50年なわけだけど、同時にカナダで温度の単位が「摂氏」に切り替わってから今年で50年。政府が度量衡の単位をそれまでのヤード・ポンド法から漸次メートル法に切り替えることを決めて、その第1弾が天気予報の気温だったわけで、前の年にカレシに会いに来た時はまだ華氏を使っていたのにいつのまにか摂氏に変わっていて面食らった記憶がある。来た時はまだ温度だけで、加工食品の重量表示がメートル法になったのは翌年1976年、道路の速度制限がマイルからキロメートルになったのは1977年で、スーパーでの食品の表示はまだポンド、クォート、オンスのまま。メートル法に対しては相当な国民の抵抗があったようで、1984年の選挙で政権を取った進歩保守党がメートル法切り替えを進めていた政府機関を解散したもので、切り替えを義務とした法律や規定が廃止されたり施行停止されて、それ以来メートル法と旧来のヤード・ポンド法が共存している。
温度が摂氏になってから50年の年月が過ぎたわけだけど、その後メートル法の単位が定着したのは気象情報とラベル表示が必要な加工食品、ハイウェイなどの距離と制限速度、ガソリンスタンドや車の燃費などの表示くらいかな。切り替えの初めはキログラム単位で隅っこにポンド単位の値段が小さく書かれていたスーパーの価格表示は、今ではまったく逆転して、でかでかとポンド単位(ただしレジのレシートはキログラム単位)。おもしろいことに、ワタシがカナダで家庭生活を始めた時は肉や野菜の値札はポンド単位で、レシピもみんなポンドだったのでその感覚が染みついているし、長さもインチ単位の物差しを使い慣れたせいで目測ではフィートかインチの方が正確。体重計もポンド表示なので、キログラムでは太っているのか痩せているのかわからない。(日本規格ではたぶん痩せてはいない。)でも、牛乳は早くにリットル表示になったので、クォートとかガロンなんて見当もつかないし、メートル法になってから車の運転を始めたので、どこそこまで何マイルと言われてもピンと来ないし、ガソリンもアメリカに行って1ガロンいくらと言われてもはあ?という感じ(元々カナダの1ガロンは1.2USガロンだし・・・。)
今日の最高気温は摂氏6度で、華氏にすると42.8度。1975年4月1日にメートル法に切り替わった時、ネットのある時代じゃなかったから、知らないでいた人たちが西のエドモントンで(摂氏)マイナス27度という予報を見て驚愕したそうな。だって、水が凍るのが華氏32度というのが常識だったんだから、華氏マイナス27度なんて摂氏ではマイナス34度だもんね。もっとも、摂氏マイナス40度なら華氏でも40度だから変わったことに気づかなかっただろうけど、それは北極圏での話。エイプリルフールのジョークだと思った人も多かったそうだし、またその日大嵐に襲われた大西洋沿岸諸州ではメートル法のせいにする声がけっこうあったらしい。まあ、もう50年前、半世紀前の話で、今では気温は摂氏でオーブンの温度は華氏、ジョギングはキロメートルで手が届く距離はインチ、体重はポンドだけど、肉屋で買うステーキはグラムと二刀流なのは、公用語が2つある国だからかな。ま、我が家流の正月料理を作って新年を祝うことにしよう。
何となくお正月的な元旦ディナー
1月2日(木曜日)。☁🌧☁。また雨か。週末まで休みを取っている人が多いのか、道路もどこも静かなもの。世の中を見渡すと、とても静かな新年なんて言えたもんじゃないけど、少なくとも我が家の窓から見える範囲は静か。朝一番で運送会社のジャクリーンから「エレベーターは復旧しましたか?月曜日に家具を搬入できますか」というメール。はぁ~い、動いていまぁ~す。月曜日に午前8時30分から午後4時まで「専用」の予約をしてありまぁ~す。(丸1日はかからないだろうとは思うけど。)
ウォーキングから帰って来て、ブログを更新しようとしたら、あれ、アクセスできないよ。どうやらNTTドコモがサイバー攻撃に遭って、gooもダウンしているらしい。年末にはJALがサイバー攻撃に遭ったらしいし、年末から新年にかけていくつかの大手銀行もサイバー攻撃が疑われる不具合があったそうだkし、日本企業のインターネットサービスのシステムってそんなに脆弱なのかな。だから狙われるのかな。だとしたら何をかいわんやだけど、アクセスできないのは現実だし、1日や2日スキップしたってどうってことないから、そいじゃワタシもブログの更新は休みってことにしようか。日がな1日、クロスワードをやったり、ハッピーニューイヤーのメールをくれたみんなに返事を書いたり、とにかくのぉ~んびり行こうっと・・・。
☆☆暫定復旧とかで外国からはアクセスできないのかな☆☆
1月3日(金曜日)。🌫☁🌧☁。けさは見渡す限りの霧の風景。木々の間に低く垂れ込めているから、水墨画のようでちょっぴり幻想的。遠い郊外では雪の予報だって。きのうからダウンしているgooはまだダウン中のようで、今日もアクセス不能。NTTだかドコモだか、どっちでもいいけど、しっかりしてほしいもんだなあ。やれやれ。[写真]霧
後発白内障のレーザー治療の予約は午後1時10分。少し早めに出て、エレベーター2号機が動いていることを確認して、マンションの隣の医療ビルにある眼科へ。車やバスで行くとなると同伴者が必要だけど、何しろほんとにすぐ隣だから、ちょっとぐらい目がかすんでいても大丈夫。まず視力と眼圧をチェックして、瞳孔を開く薬を点眼してもらって、呼ばれるまで待合室で待機。それほど待たずにレーザー治療室に入って、待つこと15分。治療担当は長くて発音できない名前の小柄な女医さん。タイ人かな。まず目の中をチェックして、「右目ということだけど、左目も濁りが始まっているので、どう、一緒にやってしまう?」と言われて、左目の合意書にもサインしてあったので、二つ返事。
麻酔薬を点眼して、一見して普通の顎と額を固定する検眼台のような感じだけど、両側にハンドルがあって「しっかり握っていてね」。頭が動いてレーザー光線の狙いが狂うことがないようにするためかな。枠の付いたレンズを瞼の間に嵌めて、じっと1点を見つめていると、赤い光が見えて、ピッ、ピッ、ピッ、ピッと音がするたびに何かが動いて行くのがわかる。あっという間に終わって、レンズを左目に移してまたピッ、ピッ、ピッとやって、痛くもかゆくもないまま両目とも終了。瞳孔が開いたままだからぼやけてはいるけど、視界がちょっと明るくなった感じがする。レンズを外して、両目の中をチェックして「You’re good to go」(はい、帰っていいですよ)と先生。え、このまま帰っちゃっていいの、へえ。ということで意気揚々と帰って来た。これで目の治療は終わり。物心ついて初めて、朝目が覚めて目を開けた時に部屋の中のすべてがはっきり見えるのは今年喜寿を迎えるワタシの人生最大の感動…というのは大げさかもしれないけど、何であれ人生の大きな岐路に踏み出すのに遅すぎることはないのは確か・・・。
☆☆gooブログ、どうなってるんだろう・・・☆☆
1月4日(土曜日)。🌫☁🌧☁🌧。けさの霧はちょっと重い感じだな。雨になるんだろうな。去年1年間のメトロバンクーバーの降雨量は合計1,367ミリで、今世紀に入っての最高記録だったとか。ただし、平均雨量が1189ミリだそうで、最高と言っても特に騒ぐような記録とは言えないらしい。(日本じゃこの3倍、4倍の雨が降るところなんかざらだもんね。)
まだgooブログにアクセスできないので、今日ものんびり。若い頃には何度初めても必ず三日坊主で終わっていた「日記」が、かれこれもう20年近くも続いているのは我ながら驚嘆。誰に読まれているかわからないブログのサイトに投稿することがある程度のモチベーションになっていたのかな。でも、毎日その「日記」を書くのに相当な時間を費やしていたことに思い当たって、今さらちょっと愕然たる気分。もっとも、日記を書くことで認知症予防に役立つとかメンタルにはいいらしいから、必ずしも時間のむだにはならないかな。
今日はウォーキングに行って来て(エレベーター2号機が動いているのを確認して)、ランチは珍しく手間をかけて大きな玉ねぎ1個でフレンチ・オニオン・スープ。自家製のビーフボーンブロスで作るから栄養たっぷり。おなかの底からぽかぽかになったところで、玄関エリアに積んであった余り物のフローリングを洗濯室の洗濯機/乾燥機の後ろの隙間に収納する作業。フローリングは長さが150センチくらいあって、10枚入りが4パックとバラが8枚。まず洗濯機の後ろに置いてあったペンキの缶を外に出して、床に溜まった埃をきれいに掃いて、カレシに洗濯室まで運んでもらった重いパックをえいやっと洗濯機の後ろに押し込んで壁に立てかけて、その上にもう1パック重ねて立てかけて、その横に同じように2パック。さらにその横にバラの8枚を立てかけて、前の床にペンキ缶を並べて、その前に2つ(空き容器と紙類)重ねたリサイクル用のバケツを置いて、その前にごみ箱。うん、ちゃんと収まったじゃないの。マルコが「また水漏れがあった時のために」なんて言ってたけど、いや、それはない、ない。
☆☆まだgooにアクセスできないねえ☆☆
新年早々から・・・
1月1日(水曜日)。☁。ハッピーニューイヤー。あけましておめでとう。謹賀新年。年越しはあちこちで鍋を叩く音、爆竹の音、バルコニーから叫ぶ声が入り乱れて賑やかだったけど、新しい1年の始まりはいたって静か。西暦2025年。日本では何の何年なのかな。ワタシが日本を離れた1975年はたしか昭和50年だった。昭和なんて遠い昔なんだよなあ。うん、今年2025年はあの昭和50年からちょうど50年。元旦は水曜日だったそうで、50年経った2025年の元旦も水曜日。当時27歳だったワタシは今年77歳。喜寿って言うんだよね、これ。古希から始まって長寿を祝う節目なんだそうで、3年後の80歳は傘寿、88歳になると米寿、90歳に到達したら卒寿、99歳まで生き延びたら白寿、めでたく100歳になったら紀寿ということだけど、基本的にはいつも「今生きているワタシ」がワタシなので、未だに年を取ったという自覚が湧いて来ない。まあ、50年前のワタシよりは人間として「成長した」とは思うけど・・・。
元旦の朝はミモサでハッピーニューイヤー
カナダに来て根を張って今年で満50年なわけだけど、同時にカナダで温度の単位が「摂氏」に切り替わってから今年で50年。政府が度量衡の単位をそれまでのヤード・ポンド法から漸次メートル法に切り替えることを決めて、その第1弾が天気予報の気温だったわけで、前の年にカレシに会いに来た時はまだ華氏を使っていたのにいつのまにか摂氏に変わっていて面食らった記憶がある。来た時はまだ温度だけで、加工食品の重量表示がメートル法になったのは翌年1976年、道路の速度制限がマイルからキロメートルになったのは1977年で、スーパーでの食品の表示はまだポンド、クォート、オンスのまま。メートル法に対しては相当な国民の抵抗があったようで、1984年の選挙で政権を取った進歩保守党がメートル法切り替えを進めていた政府機関を解散したもので、切り替えを義務とした法律や規定が廃止されたり施行停止されて、それ以来メートル法と旧来のヤード・ポンド法が共存している。
温度が摂氏になってから50年の年月が過ぎたわけだけど、その後メートル法の単位が定着したのは気象情報とラベル表示が必要な加工食品、ハイウェイなどの距離と制限速度、ガソリンスタンドや車の燃費などの表示くらいかな。切り替えの初めはキログラム単位で隅っこにポンド単位の値段が小さく書かれていたスーパーの価格表示は、今ではまったく逆転して、でかでかとポンド単位(ただしレジのレシートはキログラム単位)。おもしろいことに、ワタシがカナダで家庭生活を始めた時は肉や野菜の値札はポンド単位で、レシピもみんなポンドだったのでその感覚が染みついているし、長さもインチ単位の物差しを使い慣れたせいで目測ではフィートかインチの方が正確。体重計もポンド表示なので、キログラムでは太っているのか痩せているのかわからない。(日本規格ではたぶん痩せてはいない。)でも、牛乳は早くにリットル表示になったので、クォートとかガロンなんて見当もつかないし、メートル法になってから車の運転を始めたので、どこそこまで何マイルと言われてもピンと来ないし、ガソリンもアメリカに行って1ガロンいくらと言われてもはあ?という感じ(元々カナダの1ガロンは1.2USガロンだし・・・。)
今日の最高気温は摂氏6度で、華氏にすると42.8度。1975年4月1日にメートル法に切り替わった時、ネットのある時代じゃなかったから、知らないでいた人たちが西のエドモントンで(摂氏)マイナス27度という予報を見て驚愕したそうな。だって、水が凍るのが華氏32度というのが常識だったんだから、華氏マイナス27度なんて摂氏ではマイナス34度だもんね。もっとも、摂氏マイナス40度なら華氏でも40度だから変わったことに気づかなかっただろうけど、それは北極圏での話。エイプリルフールのジョークだと思った人も多かったそうだし、またその日大嵐に襲われた大西洋沿岸諸州ではメートル法のせいにする声がけっこうあったらしい。まあ、もう50年前、半世紀前の話で、今では気温は摂氏でオーブンの温度は華氏、ジョギングはキロメートルで手が届く距離はインチ、体重はポンドだけど、肉屋で買うステーキはグラムと二刀流なのは、公用語が2つある国だからかな。ま、我が家流の正月料理を作って新年を祝うことにしよう。
何となくお正月的な元旦ディナー
1月2日(木曜日)。☁🌧☁。また雨か。週末まで休みを取っている人が多いのか、道路もどこも静かなもの。世の中を見渡すと、とても静かな新年なんて言えたもんじゃないけど、少なくとも我が家の窓から見える範囲は静か。朝一番で運送会社のジャクリーンから「エレベーターは復旧しましたか?月曜日に家具を搬入できますか」というメール。はぁ~い、動いていまぁ~す。月曜日に午前8時30分から午後4時まで「専用」の予約をしてありまぁ~す。(丸1日はかからないだろうとは思うけど。)
ウォーキングから帰って来て、ブログを更新しようとしたら、あれ、アクセスできないよ。どうやらNTTドコモがサイバー攻撃に遭って、gooもダウンしているらしい。年末にはJALがサイバー攻撃に遭ったらしいし、年末から新年にかけていくつかの大手銀行もサイバー攻撃が疑われる不具合があったそうだkし、日本企業のインターネットサービスのシステムってそんなに脆弱なのかな。だから狙われるのかな。だとしたら何をかいわんやだけど、アクセスできないのは現実だし、1日や2日スキップしたってどうってことないから、そいじゃワタシもブログの更新は休みってことにしようか。日がな1日、クロスワードをやったり、ハッピーニューイヤーのメールをくれたみんなに返事を書いたり、とにかくのぉ~んびり行こうっと・・・。
☆☆暫定復旧とかで外国からはアクセスできないのかな☆☆
1月3日(金曜日)。🌫☁🌧☁。けさは見渡す限りの霧の風景。木々の間に低く垂れ込めているから、水墨画のようでちょっぴり幻想的。遠い郊外では雪の予報だって。きのうからダウンしているgooはまだダウン中のようで、今日もアクセス不能。NTTだかドコモだか、どっちでもいいけど、しっかりしてほしいもんだなあ。やれやれ。[写真]霧
後発白内障のレーザー治療の予約は午後1時10分。少し早めに出て、エレベーター2号機が動いていることを確認して、マンションの隣の医療ビルにある眼科へ。車やバスで行くとなると同伴者が必要だけど、何しろほんとにすぐ隣だから、ちょっとぐらい目がかすんでいても大丈夫。まず視力と眼圧をチェックして、瞳孔を開く薬を点眼してもらって、呼ばれるまで待合室で待機。それほど待たずにレーザー治療室に入って、待つこと15分。治療担当は長くて発音できない名前の小柄な女医さん。タイ人かな。まず目の中をチェックして、「右目ということだけど、左目も濁りが始まっているので、どう、一緒にやってしまう?」と言われて、左目の合意書にもサインしてあったので、二つ返事。
麻酔薬を点眼して、一見して普通の顎と額を固定する検眼台のような感じだけど、両側にハンドルがあって「しっかり握っていてね」。頭が動いてレーザー光線の狙いが狂うことがないようにするためかな。枠の付いたレンズを瞼の間に嵌めて、じっと1点を見つめていると、赤い光が見えて、ピッ、ピッ、ピッ、ピッと音がするたびに何かが動いて行くのがわかる。あっという間に終わって、レンズを左目に移してまたピッ、ピッ、ピッとやって、痛くもかゆくもないまま両目とも終了。瞳孔が開いたままだからぼやけてはいるけど、視界がちょっと明るくなった感じがする。レンズを外して、両目の中をチェックして「You’re good to go」(はい、帰っていいですよ)と先生。え、このまま帰っちゃっていいの、へえ。ということで意気揚々と帰って来た。これで目の治療は終わり。物心ついて初めて、朝目が覚めて目を開けた時に部屋の中のすべてがはっきり見えるのは今年喜寿を迎えるワタシの人生最大の感動…というのは大げさかもしれないけど、何であれ人生の大きな岐路に踏み出すのに遅すぎることはないのは確か・・・。
☆☆gooブログ、どうなってるんだろう・・・☆☆
1月4日(土曜日)。🌫☁🌧☁🌧。けさの霧はちょっと重い感じだな。雨になるんだろうな。去年1年間のメトロバンクーバーの降雨量は合計1,367ミリで、今世紀に入っての最高記録だったとか。ただし、平均雨量が1189ミリだそうで、最高と言っても特に騒ぐような記録とは言えないらしい。(日本じゃこの3倍、4倍の雨が降るところなんかざらだもんね。)
まだgooブログにアクセスできないので、今日ものんびり。若い頃には何度初めても必ず三日坊主で終わっていた「日記」が、かれこれもう20年近くも続いているのは我ながら驚嘆。誰に読まれているかわからないブログのサイトに投稿することがある程度のモチベーションになっていたのかな。でも、毎日その「日記」を書くのに相当な時間を費やしていたことに思い当たって、今さらちょっと愕然たる気分。もっとも、日記を書くことで認知症予防に役立つとかメンタルにはいいらしいから、必ずしも時間のむだにはならないかな。
今日はウォーキングに行って来て(エレベーター2号機が動いているのを確認して)、ランチは珍しく手間をかけて大きな玉ねぎ1個でフレンチ・オニオン・スープ。自家製のビーフボーンブロスで作るから栄養たっぷり。おなかの底からぽかぽかになったところで、玄関エリアに積んであった余り物のフローリングを洗濯室の洗濯機/乾燥機の後ろの隙間に収納する作業。フローリングは長さが150センチくらいあって、10枚入りが4パックとバラが8枚。まず洗濯機の後ろに置いてあったペンキの缶を外に出して、床に溜まった埃をきれいに掃いて、カレシに洗濯室まで運んでもらった重いパックをえいやっと洗濯機の後ろに押し込んで壁に立てかけて、その上にもう1パック重ねて立てかけて、その横に同じように2パック。さらにその横にバラの8枚を立てかけて、前の床にペンキ缶を並べて、その前に2つ(空き容器と紙類)重ねたリサイクル用のバケツを置いて、その前にごみ箱。うん、ちゃんと収まったじゃないの。マルコが「また水漏れがあった時のために」なんて言ってたけど、いや、それはない、ない。
☆☆まだgooにアクセスできないねえ☆☆
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